ほめること

掲載日:2023年7月1日(土)

私は毎年、日本福祉大学付属高校の1年生全員に御開山上人の御一代のお話をしています。講演の後、感想文を書いてもらうのですが、それを読むと、生徒達が御開山上人の教育方針である「ほめる」ということに、とても興味をもってくれたことがわかります。

 御開山上人は親のない子を育てるにあたって、二つの教育方針がありました。一つは「ほめること」、もう一つは「人格を尊ぶこと」です。当時は子どもを呼び捨てにするのがあたりまえという時代でした。そういう時代に御開山上人は、どの子にも「さん・くん」を必ずつけるようにされていました。「ほめること」と「人格を尊ぶこと」は一対だと私は思います。その子の人格を尊ぶからこそ、ほめることができるのだと思うのです。

 当時の人の中には「ほめてばかりでは子どもがつけあがるのではないか。躾ができないのではないか。時には体罰も必要なのではないか」という意見もあったそうです。それに対して御開山上人は、「体罰なんかを加えて、子どもが良くなることは絶対にありません」と断言されました。

 当時のご法話です。

「子どもが悪いことをしたり、過ちを犯した時、きつく叱るのは子どもの心を委縮させることになるのです。良いところをほめることは、子どもの心を広く明るくするのです。広く明るい心になった時に、過ちを反省するようによく教えたならば、子どもはよく理解するものです。子どもは大事な宝です。ほめることが大切です。ほめるところが見つからなければ、掃除などを一緒にさせてほめるようにすれば良いのです。こういう思いやり、親心があれば、どんな荒んだ心の子どもでも段々明るくなり、素直な良い子になっていきます」

児童養護施設・駒方寮の向上箱の話をご存知の方も多いと思います。向上箱は人の良いところを見つけたら、その人の名前と良いところ、そして見つけた人の名前を書いて箱に入れるというものでした。毎月の誕生日会の日に御開山上人は箱を開けて、良いことをした人とそれを見つけた人、両方にご褒美を渡されたそうです。そうすると、良いことをしようともなるし、人の良いところを見つけようともなるのです。向上箱によって皆がお互いに向上していったのです。当時の保育士さんの中には「ほめるところがない子もいます」と言う人もいましたが、御開山上人は「そういう子には何かをさせて、ほめてあげればいい」と言われました。実際に、やんちゃな正男くんという子に掃除をさせて、それをほめられたという有名な話があります。

 御開山上人は知的障がいのある子ども達もほめて育てられました。名古屋大学の医学部教授をされていた杉田直樹博士が、戦前から自費で知的障がい児施設『八事少年寮』を運営されていました。杉田博士は定年退官で東京に帰る時に、後事を愛知県に託そうと相談に行かれました。しかし、「全国に例がないし、それに当る予算もない」とけんもほろろに断られたのです。戦後間もない頃で愛知県にお金がなかったのです。その時、一人の県の職員さんが「あなたの施設のすぐ近くに昭徳会を運営する鈴木修学さんという人がいるから、あの方に頼んでみてはどうですか」と伝えました。すぐに杉田博士は御開山上人に会いに来られ、御開山上人は二つ返事で引き受けられました。愛知県にお金がないのに、昭徳会にお金があるわけはありません。杉山先生以来の東京支部の土地などを売って、なんとか資金を工面されたのです。

 当時は全国にほとんど例がない施設でした。ですから職員もどうやって知的障がい児と接すればいいかわかりませんでした。どうしていいかわからない状況の中で、御開山上人は「とにかくほめて育てよう」と言われました。

 八事少年寮付属小学校の始業式で、校長先生の挨拶の後、御開山上人は子ども達へ次のように言われました。

「今、校長先生におほめいただいてうれしかったね。私も皆さんがどんどん良い子になっていくことを聞きまして、とてもうれしく思います。昔、仏さまのお弟子に周梨槃特という人がいました。大変物覚えの悪い人でしたが、仏さまの教えを聞いて一生懸命働きました。そうすると知らぬ間に、500人のお弟子さん達よりも立派な人になりました。皆さんは初めから周梨槃特よりも頭の良い子ばかりです。先生の言いつけもよく聞ける良い子ばかりです。校長先生がおっしゃったように『先生ありがとう』と感謝することができるようになれば、周梨槃特よりもきっとえらい人になれると思います」

 子ども達は大変喜んだそうです。

御開山上人は、〝どんな人間でも必ず教育を受ければ人格が向上していく〟という信念を持っておられました。そしてもう一つ、〝働くことによって必ず人生に喜びを得ることができる〟と確信されていました。今では養護学校も授産所もあたりまえのように全国にありますが、これを先駆的に手探りの中で始められたのです。

 立花高等学校(現・日本福祉大学付属高等学校)や日本福祉大学で使う椅子や机を子ども達に作らせてみたところ、ことのほか良いものができ上がりました。知的障がいがあっても愛情深く教えればできるのです。

 昭和34年に東京で社会事業の世界大会がありました。そこでは「知的障がいを持った少年達に職業指導をすることはとても困難である」という意見がありましたが、それに対して御開山上人は、「うちの八事少年寮の子ども達は、立花高校や日本福祉大学で使う立派な机や椅子を作っています。ちゃんと指導をすればきちんとした仕事ができます。指導員が『真・善・美・聖』の精神を教えているのも大きいと思います」と言われました。「真」とは、真心を込めて仕事をすれば必ず立派な仕事ができる。「善」とは、それによって善根功徳が積まれ、人格が向上する。「美」とはその働く姿が美しい。「聖」とは、そういう姿が人の模範となり、世の中の人が仰ぎ見るようになる、ということです。

 御開山上人は八事少年寮の子ども達が作った家具をデパートで売られました。デパートに子ども達を連れていき、「君達の作ったものが売れているよ」と言って、子ども達を喜ばせ、「君達が真心を込めて立派なものを作ったから、みんなが喜んで買ってくれるんだよ」とほめられました。また、立花高校や日本福祉大学にも生徒達が勉強している姿を見せに連れて行かれました。そこでも「君達が真心を込めて立派なものを作ったから、あのようにお兄さんやお姉さん達がしっかり勉強できるんだよ」とほめられたそうです。

 最近は、ようやく世の中が杉山先生や御開山上人の考え方に追いついてきたように私は思います。

「日本ほめる達人協会」という社団法人があります。そこの理事長が西村貴好さんです。通称「ほめ達」です。この人の本業は覆面調査会社の社長さんです。どんな小さなことでも良いところを見つけ出してほめる覆面調査会社です。西村さんは言います。

「ほめてみたけれど相手が喜ばない。ほめ方が間違っているのでしょうか?という質問がたまにあります。でも、実はこの問い自体が間違っているのです。相手の喜ぶ顔が見たいからと、他人をコントロールするためにほめるのではありません。僕らが重視しているのは、ほめることで自分の心が整うということです。脳は話している時、自分と他人を識別しません。他人をほめることが、自分をほめることにつながり、周りを応援することが、自分の可能性を広げることにつながるのです」

 西村さんはこうも言っています。

「ほめるところがない人はいません。それを見つけられない自分がいるだけなのです」

 西村さんが一躍有名になったのは、当時橋下徹知事の依頼で大阪府庁の職員のほめる調査を二年連続で実施し、行政サービスの質が大幅に向上したことです。

 現在は「日本ほめる達人協会」のほめるメソッドを採用する企業や団体がたくさんあります。その中の一つに三重県の南部自動車学校があります。「ほめちぎる教習所」として全国的に有名です。

 自動車学校というと、怖いところ・怒られるところというイメージを持っている方も多いと思います。南部自動車学校も以前はそういう自動車学校でした。ほめ達メソッドを採用した当初は「やめた方がいい」「うまくいきっこない」「ほめるような甘い教え方では安全が守れない」「運転免許試験に合格できなくなる」「自動車の運転は命がかかっているのだから、厳しく教えるべきだ」という批判や意見がたくさんあったそうです。

 しかし、指導にほめることを取り入れて以来、世間では運転免許を取る人の数が減っているにもかかわらず、生徒数が増加を続けているのです。

 また、免許の合格率も年々向上しています。さらには卒業生の事故率も半減しているということです。指導員の仕事に取り組むモチベーションも向上し、離職率が下がったそうです。西村さんは言っています。

「厳しく伝えた方が良さそうですが、怖いと感じると知覚防御が働き、聞いてはいても頭に入ってこなくなります。南部自動車学校では失敗した時こそ、ほめるのです。例えば脱輪した時、普通の自動車学校では『何やってるんだ』と叱ると思いますが、南部自動車学校では『いい経験したね』と言葉をかけるのです」

 西村さんによると、失敗した時、人は溺れてアップアップしているのと同じ状態なのだそうです。そういう時には言葉の浮き輪を投げてあげるのが良いそうです。

 私は毎週、孫に会いに行くのですが、ある日、1歳半の孫がゴミを欲しがるので、どうするのかなと思いながら渡すと、二段ほどの階段をよちよち歩きながら登り、ゴミ箱のあるところまでいってゴミを捨てました。親がするのを真似したのです。「えらいね」と拍手をしたら満面の笑みで孫も自分で拍手をしました。それから事ある毎に、ちょっとしたことでも拍手をするようにしています。拍手もほめることの一つだと思います。

この拍手が、ギャンブル依存症の方にとても効果があるということを知りました。ギャンブル依存症というのはなかなか治らないそうです。アルコール依存症よりも治すのはむずかしいそうです。アルコール依存症はどんどんアルコールの量が増えていきますが、ギャンブル依存症も掛け金が1万円、10万円、50万円、100万円とどんどん増えていきます。一時期ニュースになりましたが、ある製紙会社の元会長さんが、会社のお金を100億円あまりカジノでなくしてしまいました。刑務所を出所しましたが、現在はネットサロンで会員を募って、韓国のギャンブル場で一緒にバカラ賭博に興じているとの話もあります。ギャンブル依存症というのはなかなか治らないようです。

 精神科のお医者さんで作家の帚木蓬生という方がいます。この方のところによくギャンブル依存症の人が相談に来るそうです。調査によるとギャンブルを始める平均年齢は20歳前後で、借金が始まるのが27歳頃だそうです。ギャンブル依存症の人の特徴は「借金」と「嘘」だそうです。帚木先生のクリニックに来る患者さんの初診の平均年齢は39歳で、借金の平均はなんと1300万円です。この人達は「三だけ主義」だといいます。〝今だけよければいい。自分だけよければいい。金だけあればいい〟ということです。ただ、この人達も帚木先生のところに来るということは、治したいという気持ちがどこかにあるのです。入院させて、ある程度落ち着いてきたら、ギャンブル依存症治療のグループ、ギャンブラーズ・アノニマス(通称GA)に通わせます。だいたい一回、一時間半ほどのミーティングがあって自分のことだけを話します。〝こんな悪いことをしてきた。こんなに迷惑をかけてきた〟など、ただただ懺悔をするのです。その懺悔が終わった後、他のメンバー全員が「よく言った。よく頑張った」と拍手をします。中にはつらくて何も言えない人もいますが、「よくここに来た」と言って皆で拍手をします。これを週二回、数カ月続けると、ほとんどの人が良くなるのです。それまでなかった思いやり、寛容さ、全くなかった正直さ、謙虚さといったものが出てきて、人間性が大幅に変わるのです。

 帚木先生は患者さんが〝元々はこんなにまともな人間だったのか〟と驚くそうです。ギャンブル依存症の人はそれまで、他の人に対して、「ありがとう」「お世話かけるね」「ごめんね」などの普通の人が使う言葉を一切言わなかったそうです。それがGAで人間性を回復すると、これらの言葉が自然に口から出てくるようになるのです。帚木先生はそういう時が一番うれしく、感銘を受けると言っておられます。

 ほめること、ほめ合うことが人生においていかに大事なことかがわかります。