素直な心で

掲載日:2023年8月1日(火)

先日の御開山会の挨拶の中で「大悪は大善の来るべき瑞相なり」(悪いことの後には必ず良いことが来る)というお話をさせていただきました。この言葉は日蓮聖人の御遺文『智慧亡国御書』にあります。

 当時、鎌倉一帯は天変地異が並び起こっていました。正嘉の大地震は一番有名ですが、その他にも不吉な大彗星が現れたり、疫病が流行ったりしたので、数年のうちに何度も元号が変えられています。これを「災異改元」といいます。また幕府の内乱である北条時輔の乱が起こり、さらに蒙古襲来がありました。これらを日蓮聖人は「大悪」と言われたのです。北条時輔の乱と蒙古襲来は、『立正安国論』に予言されたものが現実となってしまいました。

「大悪の後に大善が来る」というのは、どういう意味かというと、日蓮聖人が言われるのは、「世界中に害悪が充満して混乱に陥れば、逆に、唯一の正法である法華経のお題目が世界中に広く流布することの疑いのない瑞相である」ということです。悪いことが並び起こることによって、正しい教えに帰依しなければいけないと人々が正気に戻って、その結果お題目が流布するようになると日蓮聖人は考えられたのです。

 日蓮聖人は「大悪は日本の人々が正しい教えを信じていないから、起こっているのだ」と諸宗と幕府を批判されました。諸宗批判とは四箇格言に言われる「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」です。中には法華経を読誦する宗派もありましたが、日蓮聖人は「お題目を唱えなければいけない」と言われました。さらに「間違った教えを流布させている大元は幕府である。その最高権力者であった北条時頼・重時両入道は今、無間地獄に堕ちている」と主張し続けたことで幕府の勘気を被り、その結果、遂に佐渡に流罪となられたのです。

 佐渡流罪中、日蓮聖人は昼夜を問わず、高い山に登って大きな声で叫んでおられたそうです。

 最近、日蓮宗教師で兵庫県立大学名誉教授の岡田真水先生が『大音声をはなちて』という文章を発表されました。岡田先生は東京大学を卒業後、ドイツに留学され、文学博士の学位を取られたという方です。

 その発表された文章の中に『光日房御書』の中の一節が引用されています。

「急ぎ急ぎ国土に験を出ださせ給いて本国へ還させ給えと、高き山に登りて大音声を放ちて叫び」 〝私は日本の国を救おうと思ってやっているのだ。早く鎌倉へ返せ〟と大きな声でおっしゃったというのです。

『種種御振舞御書』にも次のようにあります。

「夜もひるも高き山に登りて、日月に向かつて大音声を放つて上を呪詛し奉る。その音声一国に聞ふと申す」

「上を呪詛し奉る」というのはこうです。「梵天・帝釈天・日天・月天・四天王はどうなされた。天照大神・八幡大菩薩はこの国におられないのか。法華経の行者を守るという釈尊との誓いをなぜ果たされぬ。もし日蓮を守らず見捨てるならば、法華経に大嘘をついた罪によって地獄に堕ち這い出られぬことになろう。その罪おそろしと思うならば、急ぎ急ぎ予言したように内乱の現証を示され、日蓮を鎌倉へ返されよ」と、諸天善神を諫められたのです。

 この自信、日本国を思う心、何人も及ばないものです。

 こう言われた後に日を待たず、現証が現れました。北条時輔の乱、いわゆる「二月騒動」が起こったのです。『立正安国論』の預言が的中したのです。これに幕府は驚いて、それまで牢屋に入れていた日蓮聖人の弟子達をただちに赦免にしました。

 しかし、日蓮聖人に対しては佐渡流罪を赦免することはありませんでした。すると日蓮聖人は、さらに強く諸天を諫められたのです。その結果どうなったか。これも『光日房御書』の中にあります。

「いよいよ強盛に天に申せしかば、頭の白き烏飛び来りぬ。彼の燕の丹太子の馬烏の例…」

 高い山に登って、〝天は何をしているのだ。早く私を赦免して鎌倉へ返せ〟といよいよ強盛に言われると、白い頭の烏が飛んできたのです。

 頭の白い烏は、普段は妙音菩薩につき従って天上界に住んでいると言われます。また、頭の白い烏は信仰の篤い人間の前にしか姿を現すことはないとも言われています。

 しかし、時に一心に天に向かって祈るものがあると、そこに舞いおりるという話もあります。そこで日本では〝頭の白い烏は古来より吉瑞をもたらす霊鳥〟として崇められてきました。

 日蓮聖人が言われた「燕の丹太子の云々」というのは、これは中国の戦国時代(紀元前3世紀頃)の話に基づいています。

 秦王・政(のちの始皇帝)は、破竹の勢いで次から次へと他国を攻め滅ぼしていきました。次に狙われたのが燕という小さな国でした。燕は、攻め込まれたらひとたまりもありません。そこで太子の丹は、老いた母を残して国を守るために、人質として秦に赴いたのです。秦王・政はすぐに太子を牢屋に幽閉しました。太子は暗い牢屋で老母のことを思いながら過ごしました。

 ある日、太子は牢屋から秦王・政の前に引き出されました。いよいよ命もこれまでかと思われた時、太子は涙を流しました。秦王・政は「命が惜しいのか」と冷たく言い放ちました。それに対して太子は

「一国の民を守るために命を投げ出すつもりで来たのだから、命などは惜しくはない。ただ老母が私のことを思い、心配しているだろう。死ぬ前に一目私が元気でいる姿を見せてやりたい。どうか死ぬ前に一度だけ母に会わせてほしい」と懇願したのです。

 すると秦王・政はあざ笑いながら、こう言ったのです。

「もし馬に角が生えて、カラスの頭が白くなったら、お前に暇をやろう」

 それから太子は母親のために昼夜をわかたず一心に祈り続けたのです。すると、ある日、なんと角の生えた馬が宮中にかけ込み、頭の白い烏が宮中の庭前の木に飛んで来たのです。

 それを見てさすがの秦王・政も驚き、「本国に帰るがよい」とつぶやくのがやっとであったといいます。

 そのことが日本の平家物語にも出ています。

「始皇帝、烏頭馬角の変に驚き、綸言(天子の言葉)返らざる事を信じて丹太子を宥めつつ、本国へこそ帰されけれ」

「至誠天に通ず」。一心を込めた祈りの叶わぬことはないのです。妙音菩薩は太子の孝養の志を哀愍されて、角のある馬と一緒に頭の白い烏をさしつかわされ、太子を故国へ帰されたのです。

 日蓮聖人は頭の白い烏を見られ、ご自分が帰る時期が近づいたことを悟られました。この後、文永十一年二月十四日に赦免状が下り、それが三月八日に佐渡に届いたのです。本当に中国の故事の通りとなったのです。

 先日、御開山会の法要の後に参詣された役員の方々と面会をした時、「日蓮聖人は佐渡で高い山に登って大音声で叫ばれたんですよ」と、この話をしました。

 そうしましたら、後日、天草布教所担任の吉屋かおるさんがお手紙をくださいました。

「先日の御開山会ありがとうございました。日蓮聖人さまのお話を聞かせていただき、島の一番高い所から広宣流布のお願いをさせていただいております。大きな声で頑張っています。山首上人さまのお話を聞かせていただいて、名古屋までお参りさせていただいたこと、最高の喜びとなりました。感激いたしました」

 日蓮聖人が高い山に登って叫ばれたという話を聞いて、それを即実行する人がいるということに私は感心しました。また、こういうことが大事だと強く思いました。

 15世紀のヨーロッパのお話です。ドイツのトマス・ア・ケンピスというキリスト教の神父が『イミターショ・クリスティー(キリストのまねび)』という一冊の本を書き、ヨーロッパで大ベストセラーになりました。

『イミターショ・クリスティー』というのは、キリストの真似ということです。「何にも詮索しないで、黙ってキリストのした通りにする。ただ真似るのである。するといつしか、その意味するところも、〝あぁそうであったのか〟とわかってくる時が来る。一生懸命になってひたぶるに真似るのである。それが本当のキリスト者の生き方である」

 これがトマス・ア・ケンピス神父の主張です。

 常識の世界では、真似るということはつまらない、浅はかなことだと考えます。猿真似という言葉があるくらいです。〝人の真似をするのはあまりほめられたものではない、人間は自分で考えて自分の判断で行動しなければいけない〟常識ではそう考えます。しかし、信仰の世界は違うのです。自己の計らいを捨てなければならないという場合があるのです。

 永平寺の開山である道元禅師が雲水達に言われています。

「学道の人は人情を棄つべき也」

 学道の人というのは仏道を学ぶ人、人情とは世間の常識です。仏道を学ぼうとする人は世間の常識を捨てるべきであるというのです。

 また、こうも言われています。

「仏道に入るには、我がこころに善悪を分けて、良しと思い悪しと思うことを捨てて、我が身よからん、我が意なにとあらんと思うところを忘れて、良くもあれ、悪しくもあれ、仏祖の言語行履に隨いゆくなり」

〝自分の良い悪いという分別を離れて、仏さまや祖師達の言われたこと・行われたことを真似していけ〟と言われるのです。

 現代においては、トマス・ア・ケンピスや道元禅師が言われたようにそのまま実行することはむずかしいかもしれません。しかし、私は吉屋さんのように素直に純粋な心で、信仰していくことが大事であると思います。お自我偈に説かれる「質直意柔軟」「柔和質直者」とは、このことだと思います。  
素直な心で理屈ぬきで信仰をする人には、常住の仏さまのお姿が見えるのです。