善き行い

掲載日:2025年6月1日(日)

 私達は誰もが幸せを求めています。お釈迦さまは、王子の生活を投げ捨てて苦行生活に入られました。これは幸せを捨てられたような印象があるかもしれませんが、それは違います。お釈迦さまは不変の幸せを求めて修行に入り、真理を悟って、本当の幸せを体得されたのです。それを多くの人に広め、真摯に実行することを勧められたのです。それが菩薩行です。

 古代ギリシアの哲学者、アリストテレスもその著書の中で言っています。

「我々の達成せんとするあらゆる善きものの中の最上のものは何であろうか。その名目については、大概の人の答えはほぼ一致する。すなわち、一般の人々も、たしなみある人々も、それは幸福にほかならないのである。だが、ひとたび幸福とは何であるかという点になると、人々は互いにその見解を異にしている」

 そして、アリストテレスは、快楽の生活を吟味し、蓄財の生活を吟味し、また名誉ある生活を吟味し、結局それらが最上のものでも、究竟のものでもないことを明らかにして、結論として、「真の幸福とは徳を身につけるべく日々行動し、徳に満ちた人生を生きることである」としています。お釈迦さまの教えと相似しています。

 以前、月刊誌『PHP』で『わたしの幸福論』という特集がありました。その中に『ゲゲゲの鬼太郎』の作者として有名な水木しげるさんが登場され、「《幸せ》なんていう言葉はない方がいい」と言っていました。

 水木さんは戦争中に徴兵され、ニューブリテン島のラバウルへ送られ、そこでマラリアに罹りました。すぐに野戦病院に収容されたのですが、運悪く、その病院が爆撃を受け、左腕をなくしてしまいました。片腕を失った水木さんは完全に前線から後退し、島民達との長閑な生活が始まりました。そこにはトライ族という部族がいました。彼らは水木さんに非常に親切でした。水木さんはトライ族とすぐに仲良くなり、彼らの自然な暮らしぶりに感心しました。また、親子の愛情、友人に対する思いやり、隣人に対する振る舞いを見るにつけ、彼らの日常の暮らしの中には、空気のように「幸せ」が充満しているのを感じました。

 水木さんは言います。

「おそらく彼らの生活の中には《幸せ》という言葉はないだろう。我々日本人の生活には《幸せ》という言葉がよくでてくる。また、みんなが《幸せ》を求め、『もっと幸せになりたい』と叫び、人生をいじくり回す。これがいけない。自然の流れに身を委ねて、トライ族のように生きた方がいい。《幸せ》なんていう言葉はない方がいいんだ」

 そんな水木さんですが、その著書『水木サンの幸福論』の中で、長年世界中の幸福な人と不幸な人を観察してきて、見つけた幸福になるための条件を書いています。

「第一に他人と比べない、競わない。他人と比較するから〝幸せだ〟とか〝不幸せだ〟とか、〝もっと幸せになりたい〟となる。だから比べてはいけない。人生の成功とか栄誉とか、勝ち負けとかを目的としてはいけない。そういうものを得られたら幸せとか、得られなかったら不幸せとかは関係ない。とにかく毎日愉快に生きた方がいい。愉快か、愉快じゃないかは自分の心が決める。だから愉快に生きた方がいい」

 また、水木さんは『ゲゲゲの鬼太郎』の作者だけあって、「目に見えない世界を尊び、目に見えない世界を信じた方がいい」と言います。「幽玄な世界、神秘的な世界、そういう目に見えない何か別の世界があるということを信じた方が幸せになれる」と言うのです。

 水木さんはドイツの文豪・ゲーテが大好きです。ラバウルに文庫本の『ゲーテとの対話』を隠して持って行ったほどです。ゲーテに関する本も書いています。『水木サンの幸福論』の中からゲーテの言葉を一つ紹介します。

「人はなぜいつも遠くへばかり行こうとするのか。見よ、良きものは身近にあるのを。ただ幸福のつかみ方を学べばよいのだ。幸せはいつも目の前にあるのだ」

 水木さんは、この言葉が大好きだそうです。

 戦争中に南洋諸島にはラバウル以外にも日本の基地がいくつかありました。ウルシー環礁の中のフェダライという小さな島もその一つです。戦後、マーシャル・ポール・ウィーズというアメリカ人医師が、そこに調査のために赴任しました。

 このマーシャル・ポール・ウィーズ氏がフェダライ島で数カ月過ごしたところ、「まさに平和な理想郷だった」と報告しています。

「この島には一人の賢明で、優しい王さまがいて、何事によらず島民の相談相手になっていた。また、この島では子ども一人でも死ぬと島中の人が集まってその死を悼んだ。島は二つの村に分かれていたが、二つの村は大変仲が良く、漁業の収穫や農作物もいつも多い方が少ない方に分け与えていた。島民は皆、心穏やかで上品で、口喧嘩などをするところを見たことがなかった。また驚くべきことに私が数カ月間、医療その他のことに努力する姿を見て、王さまが、『あなたに王位を譲ろう』と言ってきた。理由を聞くと王さまは『理由は簡単だ。自分よりあなたの方が賢人なのだから、あなたに王位を譲るのは当然だ』と言うのだ。総じて、島民の心には妬みや恨みや争う心、悪意が全くなく、万事が極めて善意で運ばれていた。まさに神の御心に沿ったような生活であった」

 ここで、天界の巨人と言われるエマニュエル・スウェーデンボルグを紹介したいと思います。スウェーデンボルグは「北欧のアリストテレス」また「レオナルド・ダ・ヴィンチを凌ぐ巨人」などと称され、かつてドイツの大哲学者イマヌエル・カントや、国際的禅学者・鈴木大拙等が賞賛し傾倒した、18世紀スウェーデンの不世出の天才科学者です。彼は9カ国語を駆使し、150冊以上の著作をものし、20もの学問分野を極め、数々の先駆的発見を成し遂げました。そんな彼が、ある日突然もう一つの世界に招き入れられました。そこで無数の迷える霊が蠢く地獄、天使達が奉仕する天国の光景を眼前にしたスウェーデンボルグは、それより以後の生涯(約三十年間)のすべてをこの霊界と、それを支配する聖なる摂理の探求に捧げました。

 この大科学者は生きながらにして、あの世のすべてを見てきたのです。

 極稀に「死後の世界に行って帰ってきた」と言う人がいます。「臨死体験」と言われるものです。魂が一旦肉体を離れることを「幽体離脱」と言いますが、スウェーデンボルグは、不思議な人物(霊界からの使者)に出会ったことをきっかけに、自由自在に幽体離脱をしてあの世に行けるようになったと言います。

 その人物は「汝、あまり食を過ごすなかれ」と告げた後、「我、汝を人間死後の世界、霊の世界へ伴わん。汝、そこにて霊達と交わり、その世界にて見聞きしたるところをありのままに記し、世の人々に伝えよ」と言いました。いくら大科学者の話であってもこのようなことは誰も信じません。そのため、スウェーデンボルグは人々の目の前でその証拠を見せました。

 次の話は大哲学者カントが調査して、間違いなしと認めた事例です。

 ある時、ストックホルム駐在のオランダ大使が亡くなり、その夫人がスウェーデンボルグに相談に来ました。

「主人に生前、銀細工の高価な食器をプレゼントされました。主人は堅い人だから、ちゃんと生前お金を払っているはずなのに、細工職人が代金を請求してきました。領収書があるはずですから、あの世にいる主人に、そのありかを聞いてきて欲しいのです」

 スウェーデンボルグは幽体離脱をして三日間あの世に行き、大使に会いました。その後、多くの見物者を前にして、その夫人に言いました。

「聞いてきましたよ。ちゃんとご主人は七カ月前に払っているそうです。領収書もあるそうです。今からその領収書を探しに行きましょう」

 スウェーデンボルグは、その夫人と見物者達を伴って2階に行きます。

「大きな机の左の抽斗の二重底のところに領収書があるそうです」

 実際に抽斗を開けて、その板を外すと領収書があったそうです。

 このような事例がほかにもたくさんあります。

 スウェーデンボルグは「霊界とこの世は一つの世界だ」と言います。そして「霊界にも太陽があり、我々と同じようにそれが霊達の生命の源になっている」と言います。霊界の太陽の光は天国には多く注がれ、地獄にはほとんど届かず、地獄は暗く、じめじめとして腐臭のするところだそうです。地獄に行くのは我々が想像する通り、強欲な者、権力の亡者、犯罪者などですが、「彼らは好んで地獄に行くのだ」とスウェーデンボルグは言います。

「私は霊界で乞食の集団を見たことがある。彼らは皆人間だった時に労働を嫌い、乞食をしていた者達で、霊界でも怠惰な生活をしたがっていた。しかし霊界はそんな怠け心を満足させてくれるところではない。上位の天国(天国にも地獄にも三段階の階層があるそうです)の霊になればなるほど、霊界全体のために役に立つ何らかの役割を忙しく果たしているのが霊界である。だから怠け心が染みついた乞食達は、働くことを嫌って地獄の方へ行くのである」

 少々前置きが長くなりましたが、スウェーデンボルグが最上の天国に行った時の話です。

「私は霊界でいろいろな天国を見てきたが、特に印象に残っているのは、人間の時に素朴で無学だったが、心の素直な者の天国である。彼らは最上位の天国にいたのである。私はある時、未開民族の霊達が集まっている天国に行ったことがある。そこで彼らと《信と善行》について議論した。彼らが言っていたことで、一番強く記憶に残っているのは、彼らが盛んに強調したことで、『隣人に対して愛情深く接しよ』ということだ。彼らが言う《信》とは、天の理(※菩薩行)の本質を理解するということなのだが、信ずるだけではまだ知性のレベルなのだ。それは次に意思の中に流れ入って、《善き行い》という行動になって初めて本当の本物になる。彼らはこのことをちゃんと理解していて、それを《隣人に対する愛情》と表現したのだ。彼らは人間だった時から単純明快にそういう生き方をしていた人間だったのだ。もう一つ無学だが素直な者達の集まった天国、そこで彼らはその姿も美しく輝いていた。私がここで最も印象に残ったのは、外面のものがきれいに拭い去られ、最高のレベルの霊に導かれて彼らが暮らしていたことだ。彼らは人間だった時には、無学だったとはいえ、この時は有名な学者などよりよほど高い知恵に満ちていたのである。霊的な世界の知恵は、この世の外面的な記憶などからする知恵(学者の知恵はほとんどこのレベルの知恵に過ぎないとスウェーデンボルグは言います)とは根本的に性質もレベルも違うものなのだから、これも当然であろう。未開民族や無学だが素直な人間の霊が容易に最上の天国に行けたのは、彼らが人間だった時に、よくその内面を耕していたからだ。その内面を耕すのに必要なのが《善き行い》ということだ。これは善を知って行動するということにほかならない。単に《信》があるだけでは内面は十分には耕されない。その《信》が意思に流れ入って、《善き行い》という行為になって初めて良く効果を発揮するのだ。人間は本来天国に行けるべき性質を誰でも持っているものだ。私はこれを『天界の種子』と呼んでいる。人間である時にその内面を深く耕してその種子を成長させることが大事である」

 最後のところは私達が聞いている「仏性の開顕」ということと同じだと思います。天国や浄土に行くには、素直にお題目をお唱えし、慈悲・至誠・堪忍の実行を日々続けていく以外に道はないと思います。お互いに精進いたしましょう。