人を助けたいという慈悲心

掲載日:2020年5月1日(金)

現在、世界中に蔓延する新型コロナウイルスを巡ってさまざまな問題が発生しています。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上ではデマが横行し、スーパーでトイレットペーパーを買い占める人、インターネット上でマスクを法外な値段で転売する人もいます。また感染者の多い地域に住む人に対して差別が行われているとも聞きます。私達はそういったことに心惑わされることなく、冷静に三徳の精神で対処していくことが肝心だと思います。

実は今、ある本が俄に売り切れとなっています。ノーベル文学賞を受賞したフランスのアルベール・カミュが書いた『ペスト』です。小説ですから創作なのですが、実際に起きたことの記録ではないかと錯覚するほどの現実味のある内容です。

『ペスト』の舞台は北アフリカの港湾都市のオラン市です。そこで突然ネズミの死骸が相次いで発見されました。ネズミの持つ病原菌がノミを介して人間にどんどん広まり、大勢の人が亡くなっていきました。当初、人々は一時的なものだろうと楽観視していましたが、病気が蔓延するにしたがって、商店や事務所が閉鎖され、行き場を失った人達が町にあふれました。その後、感染拡大防止のために町が閉鎖され、手紙のやりとりさえできなくなりました。交通がマヒして電車が唯一の交通手段となりました。乗客は感染を恐れ、背中を向け合って乗りました。ペストの蔓延の中で市民は未来への希望も過去への追憶も奪われ、現在という時間の中に閉じ込められていきます。しかし、ついに市民達は連帯し、沈着で感動的な行いが増えました。そうしているうちにペストの流行が突然収まり、最後は人々が喜びあって物語は終わります。
 この小説の中では約9カ月でペストが終息します。今の新型コロナウイルスの終息はまだ残念ながらいつになるかわかりません。しかし、この小説のように感染症という不条理に対して、連帯し、個々人がやるべき義務を果たすことが肝要かと思います。

人類の歴史は感染症との戦いの歴史でもあります。有名なのは14世紀のペストの流行です。当時は「黒死病」と呼ばれていました。ペストに罹ると黒い斑点や腫瘍が体にでき、また手足が壊死して真っ黒になって死ぬので、そう呼ばれたのです。致死率が当時は60%という恐ろしい伝染病だったのです。また治療しなければ数日で死ぬという状況でした。発生後、中国大陸からシルクロードを経由して西に広がっていき、中東、ヨーロッパと広がりました。イタリアの港に着いた貿易船にネズミが乗っていて、そこからヨーロッパ全土に広がり、人口の3分の1の人が亡くなったそうです。
 当時、ひどいデマが流れました。ユダヤ人があまりペストに罹らなかったので、「ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだ」というデマです。このデマによってユダヤ人が迫害されたのですが、後にわかったことは、当時のユダヤ人はキリスト教徒よりも衛生的な生活をしていたのでペストに罹りにくかった、ということのようです。
 戦前、日本が台湾を統治していた時は、上下水道を整備し、「大清潔法」を施行するなどして衛生面に尽力した結果、マラリア・ペスト等がなくなり、台湾人の平均寿命が30歳から60歳になったと言います。清潔にするというのは大事なことです。

毎年世界中で多くの人が亡くなるインフルエンザは、イタリア語の「インフルエンツァ(影響)」という言葉から来ています。昔、ヨーロッパでは毎年、冬になると悪性の風邪が流行していました。16世紀の頃、当時のイタリアの占星術師が〝冬の星座が現れるとその影響で病気が流行する〟と考えて、「インフルエンツァ」と名付けました。それが英語で「インフルエンザ」になりました。〝冬の星座が現れると悪性の風邪が流行る〟という因果関係を昔の人は考えたのです。
 それが時代を経るに従い、〝悪い微生物が風邪などの病気を媒介するのではないか〟という推測が行われるようになりました。そして17世紀にオランダのレーウェンフックが初めて顕微鏡を作り、それによって微生物を発見したことから病原性の微生物が感染症を引き起こすことがわかってきたのです。ちなみに今回の新型コロナウイルスは病原菌よりずっと小さく、普通の顕微鏡では見ることはできません。ウイルスは電子顕微鏡ができて初めて見えるようになりました。
 病原体の名前はラテン語を使うことになっているそうです。私が子どもの頃は「ウイルス」ではなく、「ビールス」と言いましたが、今は統一されて「ウイルス」です。「ウイルス」はラテン語で「毒液」という意味です。コロナはラテン語で「王冠」という意味です。有名なパスツールやコッホが現れて病原菌の研究がどんどん進んでいきました。パスツールはコッホとともに「近代細菌学の開祖」と言われています。パスツールはワクチンの予防接種を考案し、狂犬病のワクチンを開発しています。コッホは炭疽菌、コレラ菌、結核菌を発見しました。新千円札の肖像画になる北里柴三郎は「日本の細菌学の父」と言われています。北里柴三郎はペスト菌を発見しています。また、破傷風の研究から世界で初めて血清療法を開発しています。今でしたら間違いなくノーベル生理学・医学賞を受賞していると思います。

このような細菌の研究は命がけの研究です。かの野口英世はアメリカのロックフェラー医学研究所で黄熱病の研究をしていました。また、梅毒患者の脳内に梅毒の病原体を発見したことでも有名です。ノーベル賞にも三度も名前が挙がりました。野口英世は黄熱病のさらなる研究のためにアフリカに渡り、そこで自ら黄熱病に罹患し、亡くなりました。

昔、サミュエル・スマイルズの『自助論』という本を読みました。これは明治の頃に福沢諭吉の『学問のすすめ』とともに大ベストセラーになった本で、300人以上の欧米人の成功談を集めたものです。その中に種痘を発明したエドワード・ジェンナーのことが書いてあります。種痘とは、今は撲滅された天然痘の予防接種のことです。ジェンナーは若い頃、ある外科医の助手をしていました。その時に村の娘がやってきて、その外科医が診察したところ「天然痘」と診断されました。それに対して、その娘が「そんなはずはないわ。だって私は牛痘(牛がかかる疱瘡)に罹ったことがあるんですもの」と言いました。外科医はその話を無視したのですが、ジェンナーの頭にはそれが残りました。〝牛痘になると人間の天然痘にはならないのか〟と。それから牛痘を研究しようと決心しました。その思いを同僚の医師に話すと、彼らは散々嘲笑しました。それでもジェンナーは研究を続けました。そして、解剖外科の権威のジョン・ハンターの弟子になりました。ジョン・ハンターはジェンナーに「あれこれ考えていてはいけないよ。考えるのではなく、まずやってみなさい。ただし、やるからには辛抱が必要だ。また注意深く正確にやらなければいけないよ」と励ましました。この言葉に勇気を得て、ジェンナーは二十年にわたり種痘の研究をしました。研究には人体実験が必要です。ジェンナーは自分の息子に三度ワクチンを接種したそうです。それで効果に確信を得たジェンナーは一般の人にも接種しようとしました。それに対して、ある牧師は「あれは魔術・妖術のたぐいだ。絶対にあんなものを受けてはいけない」と非難しました。それでも、ある貴族の夫人が「私の子ども達に接種してください」と申し出たのです。
 貴族階級の行為によって当時の偏見が打破され、ジェンナーの種痘が認められました。そして、ジェンナーの功績は日に日に高まっていきました。友人達は「ロンドンに移り住んで医院を開業すればものすごい収入になるぞ。年収1万ポンドはかたいぞ」と勧めるのですが、ジェンナーは「若い頃から私は谷あいの道を歩むように、静かで慎ましい生活を求めてきました。それなのに晩年の今になってどうして我が身を山頂に運んでいけましょう。富や名声をめざすのは私に似つかわしい生き方ではありません」と断ったということです。
『自助論』には「種痘を伝えたことは人類の恩恵という点で、どんな大発明も遠く及ばない」と書かれています。
 このように多くの先人の不屈の努力によって感染症は抑えられてきました。

近年、日本人がノーベル賞を数々受賞しています。その中でもノーベル生理学・医学賞というのは特別な気が私はします。山中伸弥先生は、本当に長い間苦労されてiPS細胞を発見されました。iPS細胞は、これから世界中の多くの人を救う世紀の大発見だと思います。
 大村智先生はイベルメクチンという薬を開発されましたが、これによってオンコセルカ症による失明から60万人が救われ、近い将来撲滅されるかもしれません。
 本庶佑先生は癌の特効薬・オプジーボを長い労苦の末に開発されました。当初は悪性黒色腫のための薬だったそうですが、今は適用が広がっています。森元総理が「癌になり、もう駄目かと思ったけれども、オプジーボのお陰で、今オリンピックの仕事ができている。本当に本庶先生のお陰だ」と言っておられました。
 こういう世紀の大発見・大発明は想像を絶する努力の賜であることは間違いないことですが、私は人類に対する慈悲心がもたらすものでもあると思います。〝人を助けたい〟という慈悲心によって、このような発明・発見があるのではないかと思うのです。
 新型コロナウイルスのワクチンの一日も早い開発が望まれます。