深い愛情があって 人は育つのです

掲載日:2020年6月1日(月)

 現在の新型コロナウイルス感染拡大の中で、教育についての議論が盛んに行われています。日本人は昔から教育というものを大変重要視してきました。天皇陛下の玉音放送によって終戦を知った人々がまず始めたのが、青空学級だったといいます。

 小泉元総理が所信表明演説で引用された「米百俵の精神」も教育の大切さを物語る話です。
 河井継之助が率いた長岡藩は戊辰戦争で敗れ、財政が窮乏し、藩士達はその日の食にも苦慮するありさまでした。そこに窮状を見かねた支藩の三根山藩から百俵の米が贈られてきました。藩士達は大喜びしましたが、大参事・小林虎三郎は贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用とすることを決定しました。これに反発し、抗議に押しかけた藩士達に虎三郎は言い放ちました。
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
 米百俵の売却金によって洋学局と医学局をもつ国漢学校が設立されました。そこから数多くの俊英が輩出し、長岡藩は近代日本の発展に大いに貢献したのです。

 今回は教育のお話です。

 京都大学名誉教授で、日本で初めて電子顕微鏡を製作した東昇先生が言われたことです。
「猫は生まれてすぐ、人間が育てても猫に育つ。犬も生まれてすぐ、人間が育てても犬に育つ。ところが、人間は人間の子に生まれたからといって、人間に育つとは決まっていない。育て方によって五千通りの可能性がある」
 昔、インドの山奥で、狼が棲む洞穴から人間の女の子が二人発見されたことがあります。狼がさらっていって、穴の中で育てていたのです。推定年齢8歳くらいだった二人は人間の世界に連れ戻され、人間としての教育を受けたものの効果なく、衰弱して亡くなってしまったということです。この二人には狼と同じ特徴がありました。暗闇でも眼が利き、その眼がらんらんと光っていたと言います。遠く離れたところにあるエサにも鼻が利いたそうです。また四つ足で物凄い勢いで走ることはできても、二本足で立つことはできなかったそうです。食事に手を使うことができず、貪り喰う姿は狼そのものだったと言います。また夜中の一定の時刻には遠吠えをしたそうです。人間に生まれても狼に育てられると狼同然になってしまうのです。恐いことです。
 人間が人間を育てるのに一番大事なものは何か、それは愛情です。
 1990年代にフジテレビ系列で『ひとつ屋根の下』というドラマが放映されました。

江口洋介さん演じる「あんちゃん」はドラマの中で何かが起こるたびに、「そこに愛はあるのかい?」と言っていました。これは放送当時、流行語になりました。以前、ラジオでコーチングをしている人が「部下が失敗した時に、『何でそうしたんだ?』という聞き方には意味がない。そこには愛がないからだ。その時求められているのは理由ではなく、再発防止である。『何か事情があったんだね』と聞くところに愛がある」と言っていました。

 昭和の時代に多くの教師に影響を与えた東井義雄という教育者がいます。東井先生の本にあるエピソードを読むと、教育とは愛情であるということをつくづく思わされます。二つのお話を紹介します。

 昭和初期、大阪に松原春海という先生がいました。その先生のクラスにはケンちゃんという、とてもやんちゃな子がいました。先生は赤いインク瓶にペンを差して採点していましたが、ある時、先生の留守中に、ケンちゃんはそのインク瓶を持ち出して遊んでいてインクをぶちまけてしまいます。インクで手は真っ赤になり、服にもつき、洗っても取れません。家に帰ったケンちゃんにお母さんが、「一体どうしたの。また何か悪いことをしたんじゃないの」と問いただします。ケンちゃんは「先生の手伝いをしていたんだ。先生は『助かった』と言って喜んでいたよ」と嘘をつきました。お母さんは、いつも叱られている息子が先生からほめられたと聞いてとても喜びました。お母さんの喜ぶ姿を見て、かえってケンちゃんは罪悪感に苛まれます。そこで、ケンちゃんは先生に手紙を書きました。
「インクで遊んでいたのはボクです。先生、ごめんなさい。お母さんには先生の手伝いをしたと嘘をついてしまい、とても悲しい気持ちになりました」
 この手紙に松原先生が返事を書きました。
「本当のことを言ってくれてうれしいです。勇気を出して謝ってくれたことを先生はとても喜んでいます。今度お母さんに会ったら『ケンちゃんが手伝ってくれて、とても助かりました』と言いますね」

 もう一つのお話も昭和初期の頃のことです。
 熊本県に徳永康起という先生がいました。その先生のクラスに成績の悪い少年がいました。その子は成績の良いお兄さんと比べられ、いつもお父さんから叱られていました。その子がいつも削られていない鉛筆を持ってくるので、徳永先生は「どうして君は鉛筆を削ってこないんだい」と聞きました。その子が言うには、「鉛筆削り用のナイフを買ってほしい」と父親に言ったところ、「勉強のできない奴に、そんなものは必要ない」と言われたということで、お兄さんには買い与えても、自分には買ってくれないとのことでした。
 ある日、クラスの生徒が「買ったばかりのナイフがなくなった」と、先生のところに訴えてきました。はっと思った先生は、誰もいない教室に行って確認すると、あの少年の机の引き出しの中に新品のナイフを発見しました。引き出しをそっと閉めた先生は慌てて自転車を走らせ、近所の金物屋で全く同じナイフを購入し、「盗まれた」と言っていた子の机の引き出しの奥の方に入れました。
 生徒達が教室に戻ってきたところで、「ナイフがない」と訴えていた子に先生は、「君は慌て者だからな。もう一度よく探してごらんなさい」と促します。そこには先生の入れたナイフがあり、「先生、ありました」とその子は喜び、事なきを得たのです。ナイフを盗んだ少年は潤んだ目で先生を見つめていたそうです。
 時が流れ、その少年は19歳になり、徳永先生に少年から手紙が届きました。
「明日、僕は(特攻隊員として)見事に戦死できると思います。その前に先生にお礼を申し上げたい。あの時、先生は何も言わないで僕を許してくださいました。死が直前に迫った今、そのことを思い出し、お礼を申し上げます。ありがとうございました。お身体を大切にしてください。そして、これからも僕のような子どもをよろしくお願いします」

 東井先生は言われます。
「教育というのは、こういう先生達のように深い愛がないと成り立つ仕事ではないのです」

 一昨年、昭徳会の福祉セミナーで、山元加津子先生に講演していただきました。特別支援学校の先生だった方で、映画『1/4の奇跡〜本当のことだから〜』で一躍有名になられました。とても穏やかな方でした。
 山元先生が穏やかでおとなしいのは子どもの頃からの性格のようで、ある時、中学校の同窓会に行ったら、「カッコちゃん(山元先生)はトイレにも一人で行けなかったよね。通学バスでも、皆に先を越されて取り残されて次のバスに乗っていたよね」と言われたそうです。とても弱々しいカッコちゃんでしたが、クラスメート達が大変驚いたことがあったと言います。
 ある日、一人の生徒の給食の集金袋がなくなっていました。若い先生は一人の少年の胸ぐらをつかみ、「盗ったのはお前だろ。わかっているんだぞ」と怒鳴りつけました。少年は「僕は盗っていない」と泣いて叫んでいました。それでも怒りのおさまらない先生は、真っ赤な顔をして机を持ち上げようとしました。その時、カッコちゃんが「やめて、やめて、してないって言ってる、してないって言ってる」と泣きながら先生の腕にしがみついたのです。
 先生はそれ以上追及せずにその場を収めました。その時のことが同窓会で話題になったのです。
 カッコちゃんが大学生の頃、その少年から手紙が来ました。高卒で自動車会社に就職したその少年は、社内でトップのセールスマンになったそうです。そしてその近況報告の後に次のように書いてありました。
「実はあのお金は僕が盗ったんだ。でも、信じて。もうあれからは盗っていないんだよ。それまでの僕はお金を見ると、衝動的に手が動いて盗ってしまっていたんだ。でもね、カッコちゃんが僕のことを信じてくれた。泣きながら必死に僕をかばってくれた。それがブレーキになって、僕はあれからは一度も盗らないでいられるんだ。カッコちゃんのお陰で僕は頑張って仕事もできているんだと思う。ありがとう。カッコちゃんは僕の人生を変えてくれた大恩人だ」
 その後、カッコちゃんは先生になり、十年ごとに開催される教育課程講習会に参加したときのことです。あの机を持ち上げようとした先生がいたのです。定年間際の先生は当時のことを覚えていて、こう言ったそうです。
「カッコちゃん、若い自分をよく止めてくれたね。あの時、止めてくれていなかったら、僕は教員を辞めていたと思う。君のお陰で定年まで教員を続けられたよ。カッコちゃんがあいつを信じてあげられたのに、どうして僕は信じてあげられなかったんだろう」
〝盗った・盗っていない〟という問題ではなく、〝人間を信じる〟ということが大事なのです。〝仏性を信じる〟と言ってもよいかもしれません。山元先生の人間を信じる力が、後の特別支援学校での数々の奇跡を起こしたのではないかと思います。

 最後にもう一つお話を紹介します。

 スーパーティーチャーとして有名な小玉宏さん(通称たまちゃん)は講演や化学の授業、そしてユニークな筆文字で全国の子ども達を励まし続けています。小玉さんは、高校時代、進学校に通っていたのですが、勉強に対して全くやる気がなく、特に理科と数学が大嫌いで、仮病を使っては授業をさぼっていたのです。ある時、生徒指導の先生に呼び出され、職員室の真ん中で「お前の目は腐っちょる」と怒鳴られました。そう言われても、よけいにふてくされ、どんどん成績は下がり、落ちこぼれていきました。
 小玉さんが3年生になった時、新しい化学の先生が赴任してきました。化学関連の会社で長年働き、一念発起して教員になった方です。新任ではあっても、年配のその先生は、「私は右も左もわかりませんが、よろしくお願いします」とおもしろい挨拶をされたそうです。
 この先生との出会いが小玉さんの人生を変えたのです。先生の授業は、目から鱗が落ちるくらいにわかりやすかったそうです。気がつくと化学が大好きになり、得意科目になっていました。そして、〝自分も将来、あの先生と同じ大学に進学し、勉強をしたい〟と考えるようになりました。その後、本格的に勉強して先生の母校である広島大学をめざしました。模擬試験では志望者の中で最下位でしたが、却ってそれに発奮して猛勉強したそうです。
 合格発表の日、学校から電話をかけてきてくれたのは以前「お前の目は腐っちょる」と言った生徒指導の先生でした。
「小玉、合格だぞ。おめでとう。本当によく頑張ったな」
 この先生はずっと小玉さんのことを見守ってくれていたのです。電話口で自分のことのように喜び、泣いていたそうです。
 小玉さんが直接、化学の先生に広島大学合格のことを報告すると、満面の笑みで「おめでとう」と力強く手を握ってくれました。小玉さんは「今でもあの笑顔が忘れられない」と言います。
 大学2年生の秋頃、大学院進学の希望調査書が届きました。〝大学院に進んでもっと化学の研究をしたい〟という気持ちがある一方で、〝早くあの先生のようになりたい〟という思いもあり、決めきれなかった小玉さんは〝そうだ先生に相談しよう。先生のアドバイス通りにしよう〟と考えたそうです。
 小玉さんは言われます。
「その時、先生からもうこれ以上ないくらいの、人生を大きく変えるアドバイスをいただくことになりました」
 実は、母校を訪ねると、数週間前に先生が亡くなったことを知らされました。先生は以前勤めていた会社の健康診断で癌を患っていることを知り、自分はそう長くは生きられないと感じ、若い人達に化学のすばらしさを伝えたいという一心で、会社を退職して学校の先生になったのです。余命をすべて子ども達のために捧げたのです。そこで小玉さんは、なぜ先生の授業が自分の心をあんなに動かしたのかが一瞬でわかりました。小玉さんは帰りに学校の自転車置き場で、先生のことを思い出し、涙が止まりませんでした。最後には大声をあげて泣きました。そして決心したのです。
〝先生の思いを受け継ぐのは自分だ。自分はこの先生を一生の目標にして化学の教師として生きていくんだ〟
 最後に小玉さんの言葉です。
「先生は私に対して、『勉強しろ』とか『生活態度をきちんとしろ』とか『立ち直れ』とか、そんなことは一言も言いませんでした。いつも笑顔で優しく接してくれました。カリスマとはその背中で人の生き方を根底から変える力を持つ人のことだと思います。私にとって先生は永遠のカリスマです。一生をかけて先生の背中を追い続けます」
 愛情には人の心を真に動かす力があります。これは三徳の慈悲です。