働くことによって心を磨きましょう

掲載日:2020年1月1日(水)

『始祖・御法話集』の一番初めに「出世の意義」というご法話があります。
「皆様方はどなたも出世がしたいと思われるでしょう。さて、出世とは如何なることを希うことかと申せば、万人に愛され、立派な家に住み、資産も富有にして、男子なれば八方美人の慈悲深き良妻を娶り、賢き子どもを得て、いずれも立派に教育し、すべてに満足し、喜びのうちに八十才、百才までも長生きし、死しては金色と紫の無上道に到る、これなれば誠の幸福でありましょう。だれも願う極楽でしょう。この極楽、あるいは宝の山に到るには、申すまでもなく行く道がなくてはなりません。この道を学び、実行して幸福を得、出世をして世間の人々にその範を示し、絶大なる妙法の偉力を国内はおろか、海外にまで宣伝流布せしめんとするのが、仏教感化救済会の目的であります」

その具体的な方法として、杉山先生は「第一に、精を出して働きましょう」と言われます。続けて「段々世の中が複雑になってくるにしたがって、真面目さがなくなり、怠け者が増えてきます。今の人間は、働くことに対して苦痛であるが如く考える者さえあります。我々会員は、そういう考えは全然やめにして、働くことは楽しみだ、という考え方に改めましょう。お互いの目的を忘れず、お互いの仕事に趣味をもって、身を惜しまず働きましょう」と言われています。百年以上前、杉山先生は「怠け者が増えてくるから気をつけなければいけない」と言われているのです。
 昨今、「働き方改革」が声高に言われています。国際的に見ると日本の長時間労働は問題で、特に働き盛りの30~40代の長時間労働の割合が深刻な状態だそうです。ですから労働時間を短くすることが重要視されています。労働時間が長すぎれば、すぐに「ブラック企業」と言われ、人が集まりません。労働時間がとても気にされる時代になっています。こんな話を聞きました。仕事の終業時間を少し過ぎて会議をしていると、若い社員が上司に「残業手当はつくのですか」と尋ねたと言います。上司が「これはつかないよ」と言うと、若い社員はがっかりしていたそうです。そういう時代になってきています。

発明王エジソンにまつわるお話です。エジソンは今の労働時間などという考え方とは真逆で、時間を気にしたことがない人でした。睡眠時間も三、四時間程だったそうです。食事は奥さんができたてを研究室の机に置いておくのですが、研究に没頭するあまり、いつも冷め切ってから食べていたそうです。また、寝室のベッドで寝たことがなかったそうです。研究室のソファーで横になるだけで、ベッドでちゃんと寝るようになったのは、70歳を過ぎてからだと言います。

そんなエジソンのところに友人が息子を連れてきて、「エジソンさん、これは私の息子ですが、学校を卒業しこれから世間に出ようというのです。それについて何か一つ心得になることをお聞かせ願えないですか」と言いました。するとエジソンは頷いて、青年と握手をし、研究室にかかっている大きな時計を指さして言いました。「決して時計を見てはいけない。これが若い人達が一番覚えておくべき、私の忠告である」
 これは“立派な仕事を成し遂げるには時間を気にしていてはできない”というエジソンの教訓です。「寝食を忘れる」という言葉がありますが、文字通りエジソンはその実践者でした。

私は長時間労働を是としている訳ではありませんが、働くということに関しては、杉山先生のように考えた方が良いと思っています。

日本人は昔から「働くことは美徳である」とし、“辛いこともあるけれど、喜びや生き甲斐を得られるのは働くことからである”と考えてきました。また、“働くことによって心が磨かれ、人格が陶冶される”とも考えます。仏教ではこれを「精進」といいます。

現代の経営の神さま、稲盛和夫さんの書かれた『働き方』(※)という本があります。その中には「働くことは美徳である」という意味の話が全編にわたって書かれています。その中から「働くことは万病に効く薬である」という話を紹介します。
 稲盛さんは若い頃、多くの挫折を経験されました。まず中学受験に失敗し、その後、結核に罹って死線をさ迷っておられます。再度の中学受験にも失敗し、戦災で家を焼かれ、大学の受験にも失敗しました。就職の時には、大手企業に入りたいと願いながら、うまくいかず京都の小さな碍子の会社に就職することになりました。その会社では給料がほとんど遅配でした。もらえない時もあったようです。
 23歳の稲盛さんは〝なぜ自分にはこんなに次々と、苦難や不幸が降りかかってくるのだろう。この先、自分の人生はどうなっていくのだろう〟と自分の運命を嘆いたそうです。しかし、たった一つのことで運命は変わったのです。それは、ただただ一生懸命に働くということです。苦難や挫折ばかりだった人生が信じられない程、希望にあふれたものに変貌を遂げたのです。
 稲盛さんは言われます。
「今、働く意義を理解しないまま仕事に就いて、悩み、傷つき、嘆いている方があるかもしれません。そのような方には、働くということは、試練を克服し、運命を好転させてくれる、まさに万病に効く薬なのだということを、ぜひ理解していただきたいと思います。そして、今の自分の仕事に、もっと前向きに、できれば無我夢中になるまで打ち込んでみてください。そうすれば必ず、苦難や挫折を克服することができるばかりか、想像もしなかったような、新しい未来が開けてくるはずです」
 私は、稲盛さんのような考え方は日本人の魂に染まっているもののように感じます。

昔から今に至るまで日本人の働くことへの思いは変わっていないと思います。
『奇跡体験!アンビリバボー』というテレビ番組で、ウズベキスタンに、ナヴォイ劇場という日本人がつくった立派な劇場があるという話が放送されました。ウズベキスタンは旧ソ連の国です。ナヴォイ劇場は旧ソ連時代に完成しました。日本は1945年8月15日に終戦を迎えますが、その直前にソ連が旧満州国に侵攻してきて、多くの日本人が極寒のシベリアに抑留されました。その数は約65万人と言われています。そのうちの2万5千人が、旧ソ連のウズベキスタンに連れて行かれ、強制労働をさせられました。そこで作られたのがナヴォイ劇場です。工事中に79人の方が亡くなりました。そんな中、リーダーが「私達は日本人だ。日本人の誇りをもって働こうではないか。そして必ず日本に帰ってもう一度桜を見よう」と言って皆を鼓舞し、劇場は完成したのです。強制労働にもかかわらず、真剣に仕事に取り組む日本人の姿に、当時を知るウズベキスタン人が「日本人の捕虜は、本当に正々堂々としていた。ドイツ人捕虜が待遇改善ばかりを叫んでいたのに対して、日本人はサムライの精神を持っていた」と語っています。

三年はかかると思われた作業が驚異的な速さで進み、わずか二年足らずで完成しました。強制労働なのに、細部の彫刻に到るまで手の込んだ仕事をし、完璧な出来栄えでした。二十年後、ウズベキスタンを震度5の大地震が襲いました。首都タシュケントの建物の三分の二にあたる7万8千棟が倒壊しました。ところがナヴォイ劇場はびくともしなかったのです。そればかりでなく市民達の避難場所となって多くの命を救いました。今もウズベキスタンの人達はナヴォイ劇場を見上げて「戦いに敗れても日本人は誇りを失うことなく、骨身を惜しまず働いて、立派な仕事を残した。すばらしい民族だ」と言うそうです。現在、抑留された日本人の立派な仕事のお陰で日本とウズベキスタンは大変良い関係になっています。

最後にもう一つ心うたれる話を紹介します。麻生副総理が外務大臣をされていた時、インドの首都ニューデリーに滞在中に、できたばかりの地下鉄を視察されました。日本からのODA(政府開発援助)でその地下鉄は建設されました。日本とインドの大きな国旗が地下鉄の駅の入り口に掲げてあり、改札口には大きな円グラフが表示され、建設費の70%が日本の援助であるとわかるように色分けされていました。麻生さんがそれを見て「ありがとうございます」と言うと、インドの技術者のトップだった地下鉄公団の総裁は次のように言ったそうです。
「お礼を言われるなんてとんでもない。もう感謝、感謝です。最初の現場説明の際の集合時間が8時でした。集合時間の少し前に現場に行ったら、日本から派遣された技術者はすでに全員作業服に着替えて並んでいました。我々インドの技術者は、それから数十分以上かかって全員が集まりました。日本の技術者は誰一人文句を言わずに整列して待っていました。自分が『全員揃った』と報告すると、『8時集合ということは8時から作業できるようにするのがあたりまえです』と言われました。悔しいので翌日は7時45分に行くと、日本人はもう全員揃っていました。以後、このプロジェクトが終わるまで日本人が常に言っていたのが『納期』という言葉でした。決められた工程どおり終えられるように、一日も遅れてはならないと徹底的に説かれました。そしていつのまにか我々も『ノーキ』という言葉を使うようになりました。これだけ大きなプロジェクトが予定よりも2カ月半も早く完成しました。もちろん、そんなことはインドでは初めてのことでした。翌日からは運行担当の日本人がやってきました。彼らが手にしていたのはストップウォッチでした。これで地下鉄を時間通りに運行するように言われました。秒単位まで意識して運行するために、徹底して毎日訓練を受けました。その結果、それまでインドでは数時間遅れがあたりまえのようになっていましたが、現在インドの公共交通機関で地下鉄だけが数分の誤差で運行されているのです。我々がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではありません。むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳です。労働に関する自分達の価値観が根底から覆されました。日本の文化そのものが最大のプレゼントだったのです。インドでは今、この地下鉄をベストアンバサダー(最高の大使)と呼んでいます」

 麻生さんはこの話に感銘を受け、「地下鉄建設に携わった日本人技術者達の仕事ぶりそのものが、優れた外交官の役割を果たしたのです。彼らは何もよそ行きのやり方をやって見せたのではありません。いつものように、日本で普通に行っているスタイルで仕事をしたに過ぎないのです。しかしそれが、インドの人々には価値観が覆るほどの衝撃だったのです。日本人の勤勉さは、私達が思っている以上にすばらしい美徳なのだと思います」と話されています。私もその通りだと思います。

『働き方』 著 者 稲盛和夫
       発行者 押鐘太陽
       出版社 株式会社三笠書房