人は死があるからこそ、 今を一生懸命に生きられるのです

掲載日:2020年2月1日(土)

皆さんは幽霊の絵を見られたことがありますか。日本の幽霊の絵は髪をふり乱し、恨めしい目をした若い女性の姿というのが一般的ですが、実は幽霊には三つの共通した特徴があるのです。一つ目は、おどろ髪を後ろに長くひいているということ。二つ目は、両手を前に出しているということ。三つ目は、足がないということです。
 これらにはそれぞれ意味があります。おどろ髪を長くひいているというのは、過去にとらわれているということです。〝ああすれば良かった。こうすれば良かった。昔は良かったのに〟と心が後ろにひっぱられているのです。二つ目の両手を前に出しているのは、どうなるかわからない未来のことを考えて取り越し苦労をしているということです。〝ああなったらどうしよう。こうなったらどうしよう〟と生きる姿勢が前のめりになっているのです。三つ目の足がないというのは、今を一生懸命に生きなければいけないのに、過去と未来ばかりで肝心な今がないということを表しています。なるほど、幽霊というのは他ならぬ私達のことであったと気づきます。私達の心を戒めているのが幽霊の絵なのです。

誰でも過去にとらわれることや、未来の不安に駆られることがありますが、曹洞宗師家会会長の青山俊董法尼がお年寄りのための老人大学で講演をされた後、参加者の一人から「正月がきてまた年をとって。どうも先生、この年になると先が見えてきて心細くていけませんねえ。体は動かないし、物おぼえは悪くなるし…」と言われました。それを聞いた法尼が「私もね、そろそろ老化現象で足腰はおかしくなるし、物忘れはひどくなるし、我ながら嫌になってしまいますよ。でもね、昔は物おぼえが良かったとか、こんなはずじゃなかったとどんなに言ってみても、昔に帰れるはずもなく、物おぼえが良くなるはずもありません。言ったってどうにもならない繰り言は、言わぬことです。私はそこでスパッと切り替えて、後ろを向いている目を前に向けかえ、私の残った人生の内では今が一番若い、一時間たったら一時間年をとる、明日になったらそれだけ身心が老化する、だから今をがんばりましょうと、そう考えるようにしているんですよ」と言うと、そこに居あわせたお年寄り達が「その通りですね」と相槌を打ったそうです。

年をとると、だんだん未来に夢を持てなくなりがちですから、過去に対して、〝あの頃は良かった〟と思うことが多くなります。しかしそうなると、今がつまらなくなってしまいます。また、過去に対して後悔の念が強い人は、その過去の重荷によって今が生きづらくなります。今をどう生きるかということが一番大切です。今をどう生きるかによって、過去の経験のすべてがプラスにもマイナスにもなります。
「あの経験のお陰で今の私がある」と言えるような今の生き方をすることが大事だと思います。どんな経験でも、その経験をいかに自分の財産として転換し、生きるための栄養として消化するかです。

平野恵子さんという方がおられます。この方は三人の幼い子どもさんに『子どもたちよ、ありがとう』と題する遺書を残され、癌のために四十一歳で亡くなられました。その後この遺書は出版されました。その本の中には「人生には、無駄なことは、何一つありません。お母さんの病気も、死も、あなた達にとって、何一つ無駄なこと、損なこととはならないはずです。大きな悲しみ、苦しみの中には、必ずそれと同じくらいの、いや、それ以上に大きな喜びと幸福が隠されているものなのです」と書かれています。母から子への命がけの真の遺言です。

今を一生懸命に生きるために一番大事なことは、死を意識することです。
 江戸時代の中期、佐賀鍋島藩士によって書かれた『葉隠』の中に次のように記されています。
「身分や老若に関係なく、人は悟っても死に、迷っても死ぬ。とにもかくにも、人は死ぬ定めなのである。誰であれ、このことを知らないわけではない。じつは、極意というものがここにある。誰もがやがて死ぬと知ってはいるものの、自分だけは皆が死んでしまった後に死ぬように錯覚して、まさか今にもその順がめぐってくるとは少しも思っていない。寂しいかぎりではないか。死というものに対しては、何も役に立つものはなく、現実はまるで夢の中の戯れにも等しい。このことをよく自覚し、決して油断してはならない。それが極意である。今すぐにも起きる問題なのだから、しっかり心の準備をしておくことだ」(聞書第二・五五)
 まさにこの通りです。人間は致死率100パーセントです。死はいつ起きてもおかしくない人生の大問題なのです。

お通夜でこんな説教をされたお坊さんがいます。
「皆さん、今日は故人からの最後にして最大のメッセージがあります。それは『みんな死ぬぞ。だから心して生きよ』です」
 葬儀に出席する時は確かにこのことを感じなければならないと思います。

お釈迦さまは「四馬の譬喩」という譬えを説かれています。第一の馬は、御者のふりあげた鞭の影だけを見て走り出す馬で、駿馬です。第二は鞭が毛の先にふれて、走り出す馬です。第三は肉に鞭を感じてから走り出す馬です。第四は骨に達してからようやく走り出す馬です。
 お釈迦さまはいったい何を話そうとされているのでしょう。
 こういうことです。遠い村や町の人が亡くなったと聞いて、我が事と受けとめ、心して生きようとする人が第一の馬にたとえられる人です。自分の村や町での訃報を聞いて、〝うかうかしておれんぞ〟と立ちあがる人が第二の馬にたとえられる人です。自分の親兄弟などにお迎えが来て遅ればせながら気づく人が第三の馬にたとえられる人です。最後は自分自身のお迎えが近くなってようやく気づく人、これが第四の馬にたとえられる人です。
 人は皆、いや生きとし生けるものは皆例外なく死にます。老若を問わず、予告なし、待ったなしに死は訪れます。しっかりと第一の馬にたとえられる人のように生きなければいけません。

先代日達上人は、お若い頃から人間の死に関する本をよく読んでおられました。私がよく覚えているのが、エリザベス・キューブラー・ロスという精神科の医師が書かれた『死ぬ瞬間』という本です。私が日達上人に勧められて読んだロス博士の本で印象に残っているのは『人生は廻る輪のように』(※)です。この中に興味深い話があります。ロス博士は「死というものを意識して生きるべきだ。死というものは今を生きている人間にとって大事なものだ。それを考え、理解し、受け入れることは大事なことだ」と言われています。
 ロス博士は大学の授業で、大病をした人達に学生の前で講演をしてもらい、その後に学生に質問をさせました。『死とその過程』というセミナーです。第一回目に選ばれたのが、シュウォーツ夫人です。ロス博士が看護師さんから「シュウォーツ夫人がいいです。あの人はICU(集中治療室)に15回も入ったことがありますから」と聞いて選ばれた人です。
 シュウォーツ夫人が講演をしてから数カ月後、ロス博士のところに夫人から、「先生、もう一度講演させてください」と連絡がきました。それに対してロス博士は「一人一回限りなんですよ」と答えましたが、「ぜひとも」と頼まれ、そこで違う生徒を集めて講演をしてもらうことにしました。講演の途中から話が前回とまったく変わっていきました。それは臨死体験の話でした。

「また私は死にそうになった。いや、一度死んだんです。病院に担ぎ込まれて危篤状態でした。部屋に蘇生チームが入ってきて死にもの狂いで心肺蘇生をしました。その様子を病室の上の方から私は見ていました。お医者さんが死亡宣告をしてシーツを私の顔まで被せました。狼狽した研修医が変なジョークを言ったことも覚えています」
 その後、夫人は奇跡的に蘇生したのです。学生達はにわかには信じ難い話でした。でもロス博士だけは信じました。シュウォーツ夫人が「私は精神病になったんでしょうか」と尋ねると「違います。あなたは過去も、今も精神病にはなっていません。私は医師として証明します」と答えました。
 その後もロス博士はゲインズという牧師とともに死に関する研究を続けました。しかし、紆余曲折がありロス博士は、大学病院をやめる決心をしました。そこに、なんと十カ月前に亡くなったシュウォーツ夫人が現れたのです。その姿は空中に浮いているようで、また透きとおっているようだったそうです。そして「ロス先生。帰ってきましたよ。先生のオフィスまでご一緒してもかまいません?話はすぐすみますから」と言いました。その後、シュウォーツ夫人はオフィスのドアを自分で開け、部屋に入って「先生、今の研究をやめないでください。死を学ぶことは非常に大事です。先生の仕事はまだ始まったばかりです。私達がお手伝いしますわ」と言いました。
 ロス博士は夫人がたしかにここに来たという証拠を残そうと、夫人にペンと紙をわたしました。夫人はすばやくペンを走らせ、その時のサインが今でも残っているそうです。
 死を学ぶということはとても大事なことです。死があるからこそ、人生は一生懸命に生きる価値があるのです。

※『人生は廻る輪のように』
   著  エリザベス・キューブラー・ロス
   訳  上野圭一
  出版社 角川文庫