生かされていることに感謝しましょう

掲載日:2019年4月1日(月)

ある時、お釈迦さまの弟子のマールンクヤが、お釈迦さまに「この世界は有限ですか、それとも無限ですか」と質問しました。それに対してお釈迦さまは、有名な毒箭(矢)の譬え(※)をもって「答えの出ないことを考えても仕方がない。そんなことに時間を費やすより今をしっかり生きよ」と諭されました。

現代では宇宙が無限であることがわかってきています。私達が住んでいるのは銀河系宇宙です。銀河系宇宙は楕円形で、長径は十万光年という距離です。想像もつかない長さですが、全宇宙ではその広大な銀河系が百億程も集まっているそうです。それがいまだに加速度的に広がっているのです。その宇宙で確認されている中、一番美しい星は地球だそうです。宇宙飛行士達は口を揃えて「宇宙から見た地球は本当に美しい」と言います。なぜ地球が美しいかというと、生き物が住んでいるからです。生き物には生命の発するオーラがあります。そのオーラが集まって、地球を美しく光り輝かせているのです。生き物の中で一番オーラの強いのが人間です。同じ人間でも、物事をプラスに考える人のオーラは輝きが強く、物事をマイナスに考える人のオーラは弱くて暗いようです。かのマザー・テレサは人のオーラが見えたそうです。特に人がニコッと笑って「ありがとう」と言った時にオーラが強くなるのを感じたそうです。感謝をすると、生命力が強くなるということです。

地球上のどんな生き物にも天敵がいますが、人間には天敵がいません。ただ「人間の心の中に天敵がいる」と言った人がいます。「貪・瞋・痴」です。つまり、貪り・怒り・愚痴が人間の天敵だということです。戦争をして人間は殺し合いをします。その時、心の中には「貪・瞋・痴」が渦巻いています。この天敵「貪・瞋・痴」の真逆が「感謝」です。

比叡山で千日の回峰行を続けて二度された酒井雄哉大阿闍梨という方がおられました。あれ程の修行をされると本当に人間の角がとれるものだと感じました。以前、テレビで拝見したのですが、良い意味で〝修行したぞ〟という雰囲気が全くありませんでした。

酒井阿闍梨にある信者さんが「人間はなぜ生きるのでしょうか。つらいことばかりの人生に、ふと、〝生きていく意味とは何なのか〟を考え込んでしまいます」という質問をしました。それに対して酒井阿闍梨は「〝なぜ生きるのか〟なんて考えてしまうのは、感謝する気持ちが足りないからだね」と言われました。〝感謝する気持ちがあったら、なぜ生きるのかなんて考えないよ〟ということなのです。

人間は誰もが、自分で生きているのではなく、生かされているのです。そして、生かされていることに感謝をする時、そこに報恩の気持ちが芽生え、〝社会や人に対して、何かしなければ〟という気持ちになり、人間は支え合って生きていけるのです。

私達が一番感謝すべきことは〝生かされている〟ということです。繰り返しますが、私達は生きているのではなく、生かされているのです。

年程前、シュライデンとシュワンという二人の学者が研究の成果を発表しました。これでいよいよ生命の不思議が解けると思った当時の生物学者達は狂喜しました。しかし、現代科学をもってしても、未だに一つの細胞も創り出すことができません。遺伝子研究の第一人者、村上和雄先生が「宇宙に細胞が一個偶然に生まれる確率は、毎回宝くじを買って一億円が百万回連続で当たるのと同じくらいのとんでもない希少さ」だと言われています。つまり細胞ができるのは奇跡、人間として生まれてくることはさらに奇跡の中の奇跡なのです。

 人間には60兆個もの細胞があります。そして、それが調和をとっています。だから健康に生きることができるのですが、調和を保つのが感謝です。「貪・瞋・痴」によって調和が乱れると病気になるのです。

日蓮宗の尼僧さんで瀧本光静さんという方がおられます。その方が講演で次のようなお話をしておられます。

ある女性のお話です。その女性は大きな交通事故にあって右腕を切断するような大けがを負いました。お医者さんは「切断しなくてもいいが、完全に腱が切れているから腕は一生動きませんよ。動かない腕をぶら下げていると体に余計な負担がかかり、頭も痛くなります。それが我慢できるならそれでもいいですが、総合的に判断すると切断した方がいい」と言われました。

誰しも切断するのはいやです。一生懸命、左腕一本で生活できるように訓練しました。そして、いろいろなことが左腕だけでできるようになりました。字も書けるようになりました。体のだるさもどうにか我慢できました。ところが、外出のとき運動靴を履くにも片手では紐を結べません。左腕一本ではむずかしいことが日常生活の中にいっぱいありました。それでだんだん落ち込み、ついには引きこもりのような状態になってしまいました。外に出るのが嫌になってしまったのです。しかし彼女は、本を読むのが好きで、家にこもってずっと本を読んでいました。たまたま出会った本に「この本を読んでいるあなたの体のどこかが痛かったり、悪かったりしたら、それを恨むのではなく、そうではない場所に感謝をしてみてはどうでしょう」と書かれていました。そこで気が付きました。〝自分は車が大爆発するような大事故に遭ったのに、右腕が使えなくなるだけですんだ。ありがたいな〟と思えたそうです。その次に〝この本が読めているのは左手があるからだ。眼が大丈夫だったからだ。運動靴が履けないと嘆くのは、履ける足が残っているからだ〟と、だんだん物事を前向きに感謝の目で見ることができるようになったのです。それから毎晩、自分の体に手を当てながら御礼の言葉を言い続けたそうです。「左腕さん、残ってくれてありがとう。南無妙法蓮華経。心臓さん、止まらないでくれてありがとう。南無妙法蓮華経」、右腕に向かっても「右腕さん、長い間私の人生を支えてくれてありがとう。ゆっくり休んでね。南無妙法蓮華経」と、動かない右腕をさすりながら言ったのです。そのうちに、動かないはずの右手の先が動き出したのです。それから4年間リハビリに励みました。多少不自由があっても普通に動くようになりました。お医者さんがCTを見て言われました。

「ああ、腱が枝分れしましたね。太い腱が切れてしまったけれど、切れた所が枝分かれしてつながり、動くようになったんですよ」

実はその〝若い女性〟とは私のことです。事故を起こして心が折れそうになりましたが、そのことで「感謝」を思い出して光を見つけました。感謝によって動かないはずの右腕が動くようになりました。

こういうことがあるんですね。〝人と人は助け合う〟とよく言いますが、体の中も助け合うのです。脳は、脳の一部分がダメになっても他の部分が助けて正常な働きができるようになるということを本で読んだことがあります。まさにそれです。
感謝によって細胞が調和して、自然に腱がついたのです。感謝は奇跡を起こします。

最近、NHKのあるドキュメンタリー番組を観ました。その番組に桜井昌司さんという方が出ていました。

1967年、布川事件という強盗殺人事件がありました。この時に冤罪で逮捕されたのが桜井昌司さんです。

桜井さんは高校を半年で中退し、職を転々とする無気力な青年でした。桜井さんがブラブラと、いい加減な生活をしていた20歳の時に、強盗殺人事件の犯人にされてしまい、無期懲役囚になってしまったのです。仮釈放されたのが49歳の時です。29年間、冤罪で刑務所にいました。後に裁判が再開され、無罪が確定したのが、64歳の時です。それから日本全国を講演で巡っておられます。

当時のことを振り返り、「取り調べでは何を言っても信じてもらえなかった。面会に来た父親が新聞を持ってきてくれた。それを見てビックリした。新聞が嘘を書いている。しかしこれからの裁判で絶対に無実が証明されるはずだ、と信じていたが、判決は無期懲役だった」と言っておられます。

しかし、この裁判に疑問を持った人達が立ち上がり、冤罪を晴らすべく支援活動を始めました。最初、桜井さんは「〝私のような人間を救うために、なぜ他人がこんなに頑張ってくれるのだろう〟と信じられませんでした。でも本当に幸せでした」と言われています。真暗闇に光を見つけたような気持ちだったと思います。

その時のことを獄中で詩にしています。

〝人間の真心を 真心からの愛を こんなにも味わえる刑務所は 苦しさが喜びだ 生きる喜びだ〟

桜井さんは自分を支援してくれる人を通して、生きる喜びを、人の愛を知ったのです。

現在、古希を越えた桜井さんは講演会で「今、私自身、冤罪被害に遭ったことを幸せに感じている珍しいタイプの人間です。たぶんあのまま生きていたら、感謝を知らないつまらない人生で終わっていたと思います。冤罪被害に遭ったお陰で、多くの人の支援を受け、感謝を知る人間になれたのです。本当にありがたいことです。誤認逮捕をした警察には、いつか感謝状を贈りたいと思います」と、明るくユーモアを交えて言われています。

感謝を知るということは人生において本当に大事なことです。

※毒箭(矢)の譬え
「毒を塗った矢が飛んできて身体に刺さったとする。その時〝この矢はどこから飛んできたのか。この毒の種類は何か。誰によって射られたのか〟を考える前にまずやることがある。それはすぐに矢を抜くことである」
 お釈迦さまは、弟子にこの世界が有限か無限かを考えるよりも、今をしっかり生きることが大切であることを、この譬えを通して説かれました。