感動と堪忍が運命の扉を開く

掲載日:2019年3月1日(金)

AI(人工知能)がもうすぐ人間の知能を完全に追い越すと言われています。
医療の画像診断の分野では人間よりAIの優位性が声高に言われています。将棋や囲碁、チェスではもうまったく人間は太刀打ちできません。将棋の名人が「AIは私達の予想だにしない手をうつ」と言っていました。以前は将棋のAI、ポナンザに膨大なデータを入力していましたが、今はポナンザどうしで将棋をし、どんどん進化しているといいます。

以前、NHKで『AIに聞いてみた どうするのよ 日本』という番組がありました。この中で「健康寿命を延ばすには?」という質問をAIにしたのです。

日本人の平均寿命は、男性81歳、女性87歳です。これに対して、健康寿命は男性72歳、女性75歳です。健康寿命とは、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間です。この差が十年前後あるのです。この最後の十年程にかかる医療費は一人の人生の全医療費の半分に当たるそうです。この間の年間の医療費、介護費はなんと5兆円にのぼるといいます。

今や健康寿命を延ばすことが国を挙げての大命題なのです。

この質問に対してAIが41万人の高齢者のアンケート調査結果を分析し、出した答えが、私達が予想だにしない「運動よりも食事よりも読書が大事」という答えでした。番組スタッフは早速、健康寿命日本一の山梨県に取材に行きました。
実は、なぜ山梨県民の健康寿命が長いのかは県の担当者もわかっていなかったのです。

そこでわかったのは、山梨県は人口に対する図書館の数が断トツで全国1位、学校司書配置率も全国平均が59%なのに対して山梨県は98%と高く、老若男女を問わず読書好きが多いということです。これに対して、運動実施率は、山梨県は全国最下位だと言います。このAIの分析を聞いて、山梨県の健康福祉課の職員の方々もびっくりしたそうです。

〝国民教育の父〟と仰がれた森信三先生が「読書は心の食物だ。肉体を養うために毎日の食事が欠かせないように、心を豊かに養う滋養分として読書は欠かせない」「真の読書は、人がこれまで体験してきた人生の内容と意味を照らしだし、統一する光です。私達は平生、読書を怠らぬことによって、常に自分に対する問題を深め、それによって正しい実践のできる人間になることがなにより肝要です。言い換えれば、読書、内観、実践という段階の繰り返しは、人間が進歩し、深められていくプロセスとも言えます」とおっしゃっています。

碩学の思想家・安岡正篤氏も「人物」を磨くための条件として「魂のこもったすぐれた書物を読むこと」を挙げています。

中国の宋の時代、程伊川という大儒学者がいました。程伊川は、仲間の讒言にあって島流しになりました。十年の後、冤罪とわかり都に戻ることができました。普通、島流しになると、人間は心身ともに弱り切ってしまいます。しかし、程伊川は威風堂々としていたのです。弟子達が「先生、十年も島流しになると普通は憔悴しきって見る影もなく、廃人同様になる人間もあると聞きます。それなのに先生はどうしてそんなに堂々として活力にあふれておられるのですか」と聞くと「自分はこの十年、真剣に骨身を削って勉強してきた。『易経』やその他、聖賢の教えに通暁した。その学びの力だ」と答えました。

昨年の大河ドラマ『西郷どん』の主人公、西郷隆盛は二回島流しにあっています。藩主の島津久光の逆鱗にふれ、36歳の時に徳之島に流され、その後、さらに沖永良部島に遠島となりました。沖永良部島は鹿児島から536キロ離れています。当時としては気の遠くなるような距離です。沖永良部島に流されるような人は死刑に次ぐ重罪でした。西郷はその島に着くなり、戸も壁もない獣の檻のような吹きさらしの獄舎に入れられました。そして一族郎党を含め、西郷家のすべての財産が没収されました。常人なら絶望に打ちひしがれても不思議のない状態で、西郷は獄舎に三つの行李を持ち込みました。その中には800冊の本が入っており、中には佐藤一斎の『言志四録』や王陽明の『伝習録』などがありました。西郷が友人の桂右衛門に送った手紙があります。

「徳之島より当島(沖永良部島)へ引き移り候処、直様牢中に召し入れられ却って身の為には有難く、余念なく一筋に志操を研き候事にて、益々志は堅固に突き立て申す事にて、御一笑成し下さるべく候」

 これは、〝牢屋に入れられたことはかえってありがたい。これによって一筋に志を磨く学問ができる。私の志は益々強くなっていきます。何も心配ありません〟ということです。西郷は、この島流し中の学問によって心魂が練られ、人間がより大きくなったのです。真剣な読書・学問というものは、人間の心身を鍛え上げるのです。

児童文学作家の椋鳩十さんという方がおられました。木曽の伊那谷という小さな村の出身です。三十年ぶりに同窓会に行かれた時のことです。久しぶりに会うと、初めは誰が誰だかわかりません。話していく内にだんだんわかってきましたが、一人だけどうしても思い出せない同級生がいました。背が低く色が黒く、しかし威厳があるのです。隣席の人に聞くと「あんな有名だったやつを忘れたのか。ほら、しらくもだよ」。椋さんは、〝えっ〟となりました。しらくもとは頭に白い斑点がでる皮膚病のことです。この生徒はその病気のことでいじめられ、勉強もできず、放課後も一人校庭の隅でポツンとしていたといいます。それが今はものすごい風格をにじませています。聞けば伊那谷一の農業指導者として皆から信頼されているといいます。本人に「何かあったのか」と聞きました。すると「皆に聞かれるが、実はあったんだよ。本当に少年時代は毎日がみじめでつらかった。結婚して子どもができて、〝子どもには絶対あんなつらい思いはさせたくない〟と思って、田畑を売ってでも上の良い学校にやろうとしたんだ。でも俺と一緒でぜんぜん成績がパッとしないんだ。まったく勉強するふうもないんだ。ところが高校二年生の夏休みに図書館で分厚い本を三冊借りてきたんだよ。〝やる気になったのかなぁ〟と思ったら、その本を枕にして寝るだけなんだ。まったく読むふうがないんだ。でもそこで思ったんだよ。子どもに本を読めと言うなら、まず自分が読まないといかんなと。今まで農作業に追われて本など開いたこともない。自分も読まなきゃいかんと思って、息子が借りてきた三冊の分厚い本を読み始めたんだ。最初はつらかったが、だんだん引き込まれて、感動が込み上げてきた。結局三回も繰り返して読んだんだ」と言いました。その本はロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』です。

『ジャン・クリストフ』はロランのノーベル文学賞受賞作で、音楽家クリストフが人生の苦悩と歓喜を経験しながら、魂の成長をとげる過程を描いた一大叙事詩です。ロランの熱愛したベートーベンがモデルと言われています。

主人公ジャンの苦悩と運命が、しらくもにはわがことのように思われたのです。しかしジャンは自分とは違っていました。ジャンはどんな苦しみに落ち込もうが、必ず這い上がってきます。絶望の底に沈んでも、また這い上がってくるのです。〝ジャンはまるで炎のように生きている。あんなふうに生きてみたい〟としらくもは思いました。〝自分も何か燃えるものを持たなければいけない。自分は農民だ。だから自分は農業に燃えなくてはいけない〟と思い、農業の専門書を読みあさりました。そして農業専門委員の家を訪ねては、わからないことを聞き続けました。猛烈な勉強の結果、しらくもは伊那谷一の農業指導者になり、誰からも信頼される人物になったのです。

読書の感動というものは人間を変えます。

筑波大学の村上和雄先生が「遺伝子には好ましい遺伝子と好ましくない遺伝子がある。感動することで好ましい遺伝子がスイッチオンになり、好ましくない遺伝子がスイッチオフになる」と言っておられます。ガンに例えると、感動すると、ガンを増幅させる遺伝子がスイッチオフになり、ガンを抑える免疫力の遺伝子がスイッチオンになるそうです。

村上先生が、恩師である京都大学総長だった平澤興先生の話を紹介されています。

平澤先生は京都大学の医学部に入り、意気揚々として、一日4時間の睡眠で勉強を頑張りました。ところが、頑張りすぎてノイローゼになり、幻聴が聞こえ、幻覚が見えるようになってしまいました。静養するように言われ、故郷の新潟に帰りました。冬の雪原を一人悩みながら歩いていました。すると突然ベートーベンの言葉がドイツ語で聞こえてきたのです。平澤先生はベートーベンの伝記をドイツ語の原書で読んでいたのです。その原書に書かれていた言葉が、幻聴のように聞こえてきたのです。

「たとえ肉体にいかなる欠点があろうとも、我が魂はこれに打ち勝たねばならぬ。28歳…そうだ、もう28歳になったんだ。今年こそいよいよ本物になる覚悟を決定せねばならぬ」

平澤先生は雷にでも打たれたように目が覚めて「これしきのことがなんだ。そうだ、ベートーベンは音楽家にとっては致命的な耳が聞こえないというハンデを乗り越えたんだ。無能でも五体満足な私が、こんなことでどうする。絶対に打ち勝ってみせる」という決心をされて、ノイローゼがいっぺんに治ってしまったのです。ベートーベンの言葉によって伝記を読んだ時の深い感動がよみがえったのです。

最後に二人を感動させたベートーベンについて少しお話をします。

ベートーベンは20代後半から耳が悪くなり、30歳を過ぎたころにはほとんど聞こえませんでした。耳が聞こえないというのは音楽家にとってこれ以上ない苦しみだったと思います。またベートーベンは貧乏でした。恋人との別れもありました。

ベートーベンは自殺をしようとしたこともあります。30歳の時に『ハイリゲンシュタットの遺書』というものを書いています。

「堪忍。それはいまや私が案内者として選ばねばならぬものだった。私は自分が生まれたことを呪いさえした。けれどもプルターク英雄伝が私を堪忍に導いてくれた。なにはともあれ力の及ぶかぎり、我が運命に戦いを挑もう。堪忍の徳のみが幸福を与える。金銭はだめだ。我が艱難の日々に、この不幸な自分を支持してくれるのは堪忍の力である」

ベートーベンは堪忍を誓って自殺を思いとどまったのです。

『ジャン・クリストフ』を書いたロマン・ロランは『ベートーベンの生涯』という本も書いています。その中でロランは、ベートーベンが耳が聞こえなくなってから作曲した交響曲を〝傑作の森〟と呼んでいます。その代表作が『運命』です。

『運命』の始まりは、皆さんご存知のダダダダーンです。弟子が「冒頭の4つの音は何を示すのですか」と尋ねると「これは運命が扉をたたく音だ」とベートーベンは答えました。これが題名の由来だそうです。曲を聴くと暗い始まりからだんだんと明るくなっていきます。これはベートーベン自身の運命を表しているのでしょうか。ベートーベンは「我が人生は苦悩をつきぬけて、歓喜にいたるのである」と言っています。殊に最後の交響曲、第九の第四楽章は『歓喜の歌』です。ベートーベンは堪忍の誓いによって、苦悩をつきぬけて歓喜にいたったのではないでしょうか。

またベートーベンは作品を作るときに「多くの人々に幸せや喜びを与える。それ以上に崇高で素晴らしいことはない」と言っていたそうです。

ベートーベンは堪忍の人であり、慈悲の人でした。〝楽聖〟といわれたのも宜なるかなです。