努力を続けることで道が開かれます

掲載日:2015年1月1日(木)

努力と才能

今年、三人の方がノーベル物理学賞を受賞されました。一昨年はIPS細胞の山中教授がノーベル医学生理学賞を受賞され、昨今は日本人がノーベル賞を受賞するのが当たり前のような雰囲気があります。それが中国や韓国の方は非常にうらやましいそうです。

これまで中国は文学賞を受賞された方が二人、平和賞が一人、韓国は金大中元大統領が平和賞を受賞されましたが、化学、物理、医学生理学という自然科学の部門では誰も受賞していません。日本は湯川秀樹博士以来大勢いますから、それがうらやましがられているようです。

中国では今、国家的にノーベル賞を取ろうということで、科学者を養成しているようです。近い将来、中国からも自然科学部門のノーベル賞受賞者が出るのではないかと思います。

また、今回の二人の方を含めて、近年六人の方が名古屋大学の関係者の方です。地元から六人のノーベル賞受賞者が出るのはとてもうれしいことです。

   ニトログリセリンのこと

ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って一九〇一年から始まりました。

ノーベルはダイナマイトを発明し、それで得た莫大なお金をもとに財団を作り、ノーベル賞の基金にしました。

ダイナマイトのもとになるのはニトログリセリンです。ニトログリセリンを初めて合成して作ったのは、イタリア人のアスカニオ・ソブレロという人です。ノーベルはこのニトログリセリンの実用化に成功したのです。

こんな話があります。ノーベルのダイナマイト工場に勤めると、狭心症の人が楽になるという噂が広がりました。そして「どうも、ニトログリセリンが関係しているのではないか。工場の中を舞っているニトログリセリンの粉を吸うと、心臓にいいみたいだ」と誰かが気付いたのです。そして、それが詳しく研究され、血管の拡張とニトログリセリンの関係が解明されたのです。それを発表した人もノーベル賞を受賞しています。

   「偶然」はない

世紀の発見とか発明は偶然であるとよく言われますが、そうではないようです。相対性理論を発見したアインシュタインが日本に来た時、記者会見である記者が「あなたは、瓦職人が高い屋根から転げ落ちるのを見て相対性理論を思いつかれたそうですが、本当ですか」と聞いたところ、アインシュタインは非常に不満そうな顔で「そんなことはあるはずがない。確かに瓦職人が落ちたのは事実です。それを見たのも事実です。しかし、それからヒントを得てあの理論を発見したのではありません。それ以前からさんざん考え、実験を繰り返していた時に、職人の落ちるのを見たのです。世の中では、リンゴの落ちるのを見てニュートンが万有引力を発見したとよく言いますが、それも同じです。『引力というものがなければならない』と考えていたところにリンゴが落ちてきただけの話です。リンゴが落ちるのを目で見ただけで引力を発見するなんて単純なことではありません。心で見ることが重要です。心で考えていることにちょうど当てはまったものを見て、一種のインスピレーションを受けるのです」と答えています。

努力に努力を重ね、ずーっとそのことを考えていると、あることを見た時に人とは違うものが見えるのかも知れません。

フレミングが青カビからペニシリンを発見したのですが、それも同じだと思います。偶然発見するのではなく、ずーっと研究を続けてきた結果、ぱっとひらめくものがあったのです。

アインシュタインの言う通り、どんな発明も発見も不断の努力があってこそのことです。よくお話をするエジソンもそうです。

エジソンはいろいろなものを発明したのですが、それまでには何度も何度も実験をして、失敗をしているのです。その体験をふまえて「天才とは一パーセントのひらめきと、九十 九パーセントの汗である」と言っています。これは、九十九パーセント努力するから、一パーセントのひらめきがあるとも言えると思います。

アメリカ大リーグで活躍をした松井秀喜選手のお父さんは、こんなことを言っています。「秀喜は非常に努力家で、休んだことが無い。一日千回の素振りも、一日とて休んだことが無い」と。そんな姿を見てお父さんは「努力を続けられることが才能である」と言っています。その通りで、松井選手のように、また、エジソンやアインシュタインのように、努力を続けるということが難しいことです。結果がどうなるかわからないのに努力をし続けるのは、なかなかできないことです。

二宮尊徳翁が「積小為大」ということを言っています。「小を積んで、大と為す」つまり、「どんな大きな成功も、小さなことの積み重ねによる。小さなことを積み重ねていくと大きなことができるようになるのであって、いきなり大きなことをしようと思ってもだめだ」ということです。

エジソンは、一パーセントのひらめきと九 十九パーセントの汗と言いましたが、そのひらめきは、「空中からくる」そうです。努力をずっと続けていると、突然ひらめくと言うのです。天からの智慧は努力の後に授かるのです。

松下幸之助さんが、ある会社の社長さんが社員に向かって「知恵あるものは知恵を出せ。無きものは汗を出せ。それもできないものは去れ」と言ったのを聞き、秘書の江口克彦さんに「あかんなぁ。この会社はつぶれるな」と言ったそうです。結局その会社は数年後に本当につぶれてしまいました。そこで江口さんが「じゃあ、どう言えばいいのですか。何が正しいのですか」ときいたところ、松下さんは「本当は『まず汗を出せ。汗の中から知恵を出せ。それができないものは去れ』と、こう言わんといかんのだ」と言われたのだそうです。

「知恵があってもまず汗を出しなさい。本当の知恵はその汗の中から出てくる。努力に努力を重ねた後の知恵が本当の知恵だ」ということです。

京セラ・KDDIを作られた稲盛和夫さんは、松下さんの大ファンで何度も講演を聞きに行かれたそうです。

有名な話が、松下さんの「ダム式経営」の話です。「経営というのはダムのようにやらなければいけない。余裕をもってやらないといけない」という話をされた時、聞いていた聴衆が「どうやればいいのですか」と尋ねると「まず、そういうことをやりたいと思わなければいけない」と、堂々巡りのような問答になったそうです。それを聞いていた稲盛さんは、「そうだ、まず『こういう経営をしたい』と思わないといけないんだ」と得心したそうです。

松下さんはよく「梯子は、二階に上がりたいという強い願望があった人が作ったのだ。何事も強い願望が大切だ」ということも言われています。そこに気付いて稲盛さんは「余裕を持った経営をしたいと思わないといけないのだ」と強く思い、実際にそういう経営を続けておられるのです。

稲盛さんは、経営を学ぶためにいろいろな勉強会に出られました。ある時、旅館に若い経営者が集まっていろいろな講師の話を聞く会があり、講師の一人に本田宗一郎さんがおられたそうです。稲盛さんは、一度本田さんの話を聞いてみたいと、高いお金を払ってその会に参加したところ、一番最後に作業着姿で、手が油にまみれたままの本田さんが出て来られて「お前らこんなところで話を聞いても仕方ないぞ。帰って一生懸命仕事しろ。そこからだ」と言って終わってしまったということです。ある意味、松下さんの話と同じかもしれません。

   神の啓示と仏の守護

稲盛さん自身、ある雑誌の対談で「美しい心を持ち、夢を抱き、懸命に誰にも負けない努力をする人に、神さまは知恵の蔵から一筋の光明を授けてくださる」ということを言われています。実際に、そんな体験を何度もしてみえるそうです。そしてそのことを、確信として持っておられますから、社員にも「最後は仏さまに祈りなさい。もうこれ以上は祈るしかないくらいまで頑張ると知恵が授かるぞ」と言われるのだそうです。

稲盛さんは二十四歳の時、まだ京セラを作る前、松風工業という会社の社員であった頃に、研究者としてファインセラミックスの研究を寝る間も惜しんでされていました。ファインセラミックスの材料にフォルステライトというものがあるそうです。これが絶縁抵抗が高く、高周波域での特性に優れているそうです。このフォルステライトを使って、当時流行りだしたブラウン管のテレビの絶縁につかうU字ケルシマを作ると非常に良いということに、稲盛さんは気付きました。そんな時、松下電子工業からU字ケルシマを作ってほしいという依頼がありました。しかし、なかなかうまくいきません。セラミックは普通、土をこねて固めて作ります。

うどんやそばのようにつなぎがいるのですが、そのつなぎに粘土を使い、フォルステライトを固めてみたところ、不純物がたくさん入ってうまくいかなかったそうです。そこで、一体何をつなぎにしたらいいのだろうといろいろなものを使ってやってみましたが、うまくいきませんでした。「もう参った」と思って工場の中をぐるぐる歩き回り「どうしたらいいんだ。これだけやってダメならもうあきらめるしかないのか」と考えていたら、実験で使うパラフィンワックスの缶が床に置いてあり、それを蹴飛ばしてしまいました。靴はべとべとです。「誰だこんなところに缶を置いた奴は」と叫びそうになったのですが、その時ふと「パラフィンワックスをつなぎに使ったらどうか」と気付いたのです。そして、実際に使ってみたら、大成功でした。製品も非常に精度の良いものができ、松下電子工業から大量の発注を受け、傾きかけた会社を救う起死回生の商品となったそうです。「神の啓示」としか言いようのない出来事です。

稲盛さんはこういう経験を幾度もされ、ことあるごとに社員に言われるそうです。

「神さまが手を差し伸べたくなるほどに、一途に仕事に打ち込め。そうすれば、どんな困難な局面でも、きっと神の助けがあり、成功することができる」

御法の世界に置きかえるなら、「諸仏善神が手を差し伸べたくなるほどに徳を積み重ねて行きましょう」ということになるでしょうか。