貪りの心に支配されない

掲載日:2024年2月1日(木)

 今年から新NISA(少額投資非課税制度)が始まりました。日本人は昔からよく貯蓄をする民族だと言われています。その日本人の銀行預金やタンス預金を欧米のように投資に向けさせて、経済を活性化させようというのが政府の方針のようです。

投資も、堅実にコツコツと積み立てていくようなものは良いとは思いますが、どうしても人間はだんだんエスカレートして、大きく儲けようとして失敗することが多いように思います。

 以前、雑誌で次のような記事を読んだことがあります。一等の宝くじに二年続けて当たった人が〝自分は金運がある〟と思い込んで、株式相場に手を出して宝くじの当選金だけでなく、父祖伝来の財産までなくし、「子々孫々に至るまで、株式相場に手を出してはならぬ」と遺言して自死したというのです。この人の場合、元をただせば一等の宝くじが二度も当たったことが逆に不運の初めだったのかもしれません。一見、幸運のようで実は悪運を引き寄せていたのかもしれません。

 次は新聞記事にあった話です。一等の宝くじが当たった兄を同室で寝ていた弟がお金欲しさに殺したというのです。しかし、家捜しをしてもお金はほとんど残っていなかったということです。この兄も悪運、いや死に運を引き当てたのかもしれません。

 アメリカでは宝くじの当選金が高額なために、波乱の人生を送る当選者が後を絶ちません。宝くじ当選で人生が暗転した実例をいくつか紹介します。

 ウィリアム・ポスト三世は1988年にペンシルベニア州で1620万ドルを獲得し、銀行口座の残金が2ドル46セントしかなかった生活から一転、高級レストランでの食事や自家用飛行機の購入といった散財を繰り返し、さらに大家の女性に財産の3分の1をだまし取られ、挙句の果てには実の弟が雇った殺し屋に命を狙われました。結局、投資にも失敗し、当選3カ月後には自己破産しました。

 この人は1993年にワシントンポスト紙の取材で語っています。

「皆、大金が転がり込んできた時の夢ばかり語るが、その後に始まる悪夢について理解していない。私は破産してからの方がずっと幸せだ」

 1996年、イリノイ州の宝くじで2000万ドルを手にしたジェフリー・ダンピエ氏は愛人に殺害されました。愛人は共犯者とともにお金を奪うだけのつもりでしたが、激昂したジェフリー氏に「私を撃て、でなければ私がお前を撃つ」と言われ、ピストルの引き金を引いたのです。

 2021年、100万ドルを当てたウルージ・カーン氏は、当選が公式に発表される前に急死してしまいました。最初の検視では自然死と判断されたのですが、二度目の検視で毒殺の可能性が浮かび上がりました。妻の作ったカレーを食べた直後の死だったのです。しかし、証拠がなく、この事件は迷宮入りとなったそうです。

 こういった悲劇を招かないために、2016年、経済誌『フォーブス』が当選者に対してアドバイスをする記事を掲載しました。

 まず、州法で氏名公表が義務づけられていない場合は匿名を通すこと。次に税務の専門家に受け取り方法について相談すること。さらに仕事を辞めるなど生活スタイルを急に変えないこと。最後は、買い物を始める前にすべての借金を返し終えることでした。  

私はこれらに、この幸運に感謝して恵まれない人々に必ず寄付をすることを付け加えるべきかと思います。

 次に心学道話を紹介します。江戸時代、今の東京大学のある本郷に四両二人扶持という貧しい御家人が住んでいました。ある年の暮れに、この人が半年分の俸給二両を受け取って家に帰る途中、神田川のほとりで今にも川に飛び込もうとする少年に出くわしました。「どうしたんだ」と声をかけると「私は紙問屋の丁稚で回収した売掛金一両をスリに取られてしまいました。主人は非常に厳しい人ですから、どれだけ叱られるかわかりません。怖くなって身投げをしようと思っていたところです」と言いました。その事情を聞いて御家人は「そうか、気の毒だな。わしがその一両をやるから、何事もなかったことにして、主人のところに帰りなさい」と言いました。それに対して丁稚は「見ず知らずの方からこんな大金をいただいて」と言って、しきりに恐縮します。それに対して御家人は笑って「貧乏御家人のわしにとっては確かに大金であるが、とにかく人の命には代えられない。遠慮なく持って帰りなさい」と言いました。丁稚は何度も何度も頭を下げながら帰って行きました。御家人は一年の四分の一の俸給がなくなってしまいましたから〝女房に帯の一本も買ってやれないし、子どもの着物も買ってやれなくなったな〟などと思いながら歩いていました。すると近くの神田明神で富くじ(宝くじ)が売られていました。懐が寂しくなった御家人は何の気なしに一枚買いました。家に帰ると女房が内職をしています。内職をしながら「お帰りが遅かったですね。どうされたんですか」と聞きます。そこで丁稚を助けた話をします。すると女房が「それは良いことをされましたね。私達のことは少々倹約すれば大丈夫ですから」と言いました。

 それからしばらくして、瓦版屋が近くで「神田明神の富くじの当選番号の発表があったぞ」と瓦版を売っていました。御家人も一枚買っていますから、瓦版を買って確認すると、何と一等が当たっていました。驚いて大声で「当たった、当たった。おれも分限者(金持ち)だ」と叫びました。大声をあげたところに奥さんがやってきました。

「いったいどうなされましたか」

「あの一両を丁稚に与えた後に懐中が寂しくなって、ついつい富くじを買ったんだ。そしたら千両が当たったんだよ」

 それを聞いて奥さんは眉をひそめて「浅ましいお心になられましたね。子どもが大きくなって『この家の財産はどうしてできたのか』と問われたら、何と答えますか。あぁ、浅ましい」と言いました。それに対し御家人は「確かにお前の言う通りだ。まことに恥じ入ったことだ。面目ない。よし、早速心残りのないように焼いてしまおう」と言って、行灯の火にかざしてその富くじを燃やしてしまいました。その後、神田明神では一等のくじが売れているのに誰も取りに来ないため、寺社奉行に調べてもらいました。寺社奉行が瓦版屋に聞いてみると「当たった、当たったという人がいました。その人ではないでしょうか」ということで、御家人の家に寺社奉行がやって来ました。そこで御家人が事情を話すと、寺社奉行は「見上げたものだ。貧しい暮らしをしているのに大したものだ。何か役につけてやろう」ということで小普請方という役職につけてくれました。そして、まじめにお役をつとめている内に小普請奉行にまでなりました。小普請奉行は五百石取りの上級武士です。

 小普請奉行になったその御家人が所用があって築地の勝鬨で渡し舟を待っていると、いきなり袂をつかんだ男がいました。御家人は船に急ごうとしますが、男が放しません。「急いでいるから手を放しなさい」と言うと、その男が言いました。

「絶対に放しません。私は昔、神田川のほとりであなたに助けてもらった丁稚です。あの時申し上げたように、主人があまりにも厳しいので、皆辛抱できずにやめてしまい、私だけが残り、その後、主人が亡くなって私が後を継ぐことになったのです。すべてはあなた様のお陰です。いつかご恩返しをしたいと思って一生懸命あなた様を探していました。そして、ついにお会いできました。今日は絶対に放しません。私どもへぜひおいでください」

 そして紙問屋の座敷に通され、そこで接待を受けていると、にわかに外が騒がしくなってきました。何事か聞いてみるとその御家人が乗るはずだった渡し舟が転覆して、大勢死人が出たということでした。それを聞いて御家人は「あの船に乗っていたら自分も溺れ死んでいたかもしれない。昔、人を助けたお陰で今度は自分が助かった。あぁ、人生は不思議なものだな」と言ったという話です。

 歴史上、投機によるバブルは何回も起こっています。バブルは泡ですから、必ずはじけてなくなってしまいます。イギリスで1720年に起こった南海泡沫事件はバブルの語源となった事件で、万有引力を発見したアイザック・ニュートンも大損をしています。この時のニュートンの言葉が遺されています。

「私は天体の動きは計算できるが、人々の狂気までは計算できなかった」

 日本でも1980年代後半からの一時期、バブル景気がありました。当時、多くの企業がわれ先にと不動産投機に血道を上げました。土地を所有し転売するだけで、その資産価値がどんどん上がっていきました。その値上がりを見込んで銀行から巨額のお金を借り、それをまた不動産投資につぎ込むということを、さらに多くの企業がやっていたのです。しかし、バブルがはじけるとともに、多くの企業が不良債権を抱えて倒産しました。この時代を振り返って、現代の経営の神さま稲盛和夫さんが言われています。

「京セラには、それまで営々と蓄積してきた多額の現預金がありましたから、それを不動産投資に回さないかという誘いをずいぶん受けました。中には、私がそのうまみを理解していないかのように思ったのか、儲けの仕組みを懇切丁寧に教えてくださった銀行の人もいました。しかし私は、土地を右から左へ動かすだけで多大な利益が発生するなんて、そんなうまい話があるはずがない。あるとすれば、それはあぶく銭であり浮利にすぎない。簡単に手に入るお金は簡単に逃げていくものだ。そう思っていたので、投資の話はみんな断ってしまいました。〝額に汗して自分で稼いだお金だけが、ほんとうの利益なのだ〟。私にはそんな極めて単純な信念がありました。それは、人間として正しいことを貫くという原理原則に基づいたものでした。ですから巨額の投資利益のことを聞いても、〝欲張ってはならない〟と自戒することはあっても、それに心を動かされることはなかったのです」

 人間は弱い存在です。よほど意識して自分を戒めていかないと、ついつい欲望や誘惑に負けてしまうものです。慈悲・至誠・堪忍を徳目として、また戒めとして日々精進していきたいものです。