言葉は人間の命をつなぎます

掲載日:2022年7月1日(金)

言葉の力は私達の想像以上に大きいものです。何気ないひと言が、時に人を傷つけ、時には人を救うことがあります。
〝炎の講演家〟として有名な鴨頭嘉人さんのお話です。鴨頭さんがマクドナルドに勤めていた時、アルバイトの人がどんどん辞めてしまうことがありました。そこで、それを止めるためのプロジェクトリーダーに抜擢された鴨頭さんは退職者の多い店舗の店長を集め、「これから半年間、一人も辞めさせないようにしよう。どんな手を使ってもいい。責任は俺がとる」と言いました。
 それから毎月一回、店長達が集まり、それぞれの実践を報告しました。ある店長は給与明細にひと言メッセージを添えることで実績を出しました。〝君のスマイルはナンバーワンだね〟とか、〝新しく〇〇ができるようになったね〟などと書き添えるようにしたのです。それを聞いた他の店長達も実践しました。お互いに励まし合いながら、そのプロジェクトは順調に進んでいきました。ところが、ある店舗の店長だけが途中から会合に来なくなりました。しかし、その店舗では半年間一人も辞めていません。気になった鴨頭さんが直接その店を訪ねてみると、店長がいきなり謝ってきました。
「本当にすみません。忙しくて時間がなかったんです」
「それはいいけれど、半年間、君のところは一人も辞めていないな。何か特別なことをしたの?」
「いえ、特に何もしていません。忙しすぎて考える暇がありませんでした」
「でも去年までは20人以上が辞めているんだよ。何かしているだろう」
「確かに一つだけあります。アルバイトの子が帰る時に『辞めないでね』と必ず声を掛けるんです」
 鴨頭さんは〝それだ〟と思い、他店でも実践するようにすぐに指示しました。「辞めないでね」という言葉は、〝あなたは私にとって大切な存在なんだよ〟とアルバイトの人達に伝わったのです。
 私はこの話を知った時、息子の廣修の高校時代の話を思い出しました。廣修は中学、高校と六年間ラグビー部に所属していましたが、高校生になって「これからは勉強に力を入れるからラグビー部を辞める」と言う友人がいました。そこで廣修が「君が辞めると、とっても寂しいよ」と言うと、その子が「そうか、ありがとう」と言って、高校の間もずっと続けてくれたそうです。たったひと言が友人を変えたようです。

 昔、ヨーロッパに神聖ローマ帝国という大きな国があり、そこにフリードリッヒ2世という王さまがいました。この王さまは、〝人間はすべて自分本来の言葉を持って生まれてくるはずだ〟と固く信じていて、それを証明するために、国中から生まれたばかりの乳飲み児を宮殿に集め、言葉を発するまでの成長を見守ろうとしました。ところが、いくら待っても子ども達は言葉を発しません。フリードリッヒ2世は養育係に「自らの言葉を発するはずだから、絶対に声をかけてはいけない」と厳命していました。ついには、子ども達は衰弱して言葉を発することなく、みんな死んでしまったといいます。子ども達はきちんと栄養は与えられていましたが、言葉を掛けられなかったことで死んでしまったのです。言葉を掛けるか掛けないかということが、実に生死に関わるほどの重大なことだったのです。

皆さんは子ども達に声を掛けられることと思います。私も去年の暮れに二人目の孫が生まれまして、とにかく声を掛けたくなります。そういう言葉が愛にあふれた言葉であればあるほど、子どもの健やかな成長につながるのです。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんが優しい言葉を掛けると、それが食べ物と同じように子どもの栄養となっていきます。
 言葉にはとても大きな力があるということです。

目も耳も口も不自由な「三重苦の聖女」として有名なヘレン・ケラーも言葉によって救われた人です。ヘレンは1歳7カ月の時、病気で三重苦になりました。家庭教師のサリバン先生に出会ったのは6歳の時です。それまではまるで野生児のような状態でした。サリバン先生に出会ってヘレンは変わりました。ハーバード大学の女子学部を出て、世界的に有名な社会事業家になりました。ヘレンの生涯が『奇跡の人』として有名な舞台や映画になりました。ヘレンは確かに三重苦から世界的な社会事業家となる奇跡を成しとげましたが、この『奇跡の人』という題名は、〝ヘレンに奇跡を起こした人〟を意味しています。つまりこの物語の主人公は家庭教師であるアン・サリバン先生です。
 アンも目が不自由でした。彼女が小さい頃にお母さんが亡くなり、お父さんがアルコール依存症となり、重ねて弟が重い病気になりました。そして二人とも救貧院に入れられ、弟はまもなく死んでしまいました。そんな中、彼女の目の病気が悪化していきました。絶望の中にいる彼女に救貧院の看護師が一生懸命に聖書の言葉を語り続けました。そのうちにアンはその女性の聖書の言葉を受け入れ、心を開くようになり、〝勉強がしたい〟という思いを持つようになりました。その後、盲学校に入って一生懸命に勉強をしました。そこで手術をしてもらい、目が少し見えるようになりましたが、終生、光に弱く、濃いサングラスをかけていました。その盲学校でヘレン・ケラーのように三重苦にもかかわらず、言葉を操る女性に出会いました。
 それはローラ・ブリッジマンという女性です。その人からアンは点字と指文字を教えてもらいました。20歳の頃、アンは首席で盲学校を卒業し、電話の発明者グラハム・ベルの紹介で家政婦兼家庭教師としてケラー家に行くことになりました。アンは人を教えたこともなければ教師の資格もありませんでした。しかし、ヘレンと出会い、情熱的にヘレンを教育しました。そして、あの感動的なシーンです。アンはヘレンの手に水をかけては、「W・A・T・E・R(ウォーター=水)」と繰り返し指文字で教えたのです。指文字によってヘレンは自分の手に触れているものが水であるということを理解しました。そして、すべての物に名前があることを学びました。言葉によってヘレンは新たな命を得たのです。それがアンとヘレンが出会ってわずか一カ月後のことでした。アン・サリバンとヘレン・ケラーの奇跡の物語は、たったひと言、「ウォーター」によって始まったのです。言葉がヘレンの命を育んだのです。

 以前、特別支援学校の元教諭・山元加津子先生に法音寺で講演していただきました。山元先生は特別支援学校でサリバン先生のように数々のすばらしい奇跡を起こされました。
 最初の奇跡は赴任した当初に起こりました。山元先生が大学を卒業し、特別支援学校に赴任する一年前に、法律が変わりました。特別支援学校が義務教育となったのです。それまでは重い障がいを持つ子どもは就学免除だったのです。
 山元先生が赴任した特別支援学校の近くに、知的障がいや身体障がいのある子ども達の施設がありました。特別支援学校に通える子はその施設から通ってきていましたが、通えない子は施設の中にいました。山元先生はそういう子ども達の担任になりました。その中の一人にちいちゃんという子がいました。

初めてその施設に行った時、ちいちゃんはラジオもテレビもないとても静かな真白い部屋にいました。それぞれの子どもは柵のついた白いベッドに寝ていて、まったく動きませんでした。その施設の園長はお医者さんでもありました。その方が山元先生に「ちいちゃんには脳がないんだよ。だから目も見えないし、耳も聞こえない。何もわからないんだよ。あなたが何をしても無駄だから、そばで時間つぶしに本でも読んでいてくれたらいいよ」と言いました。ちいちゃんには命を司る脳幹はあっても、高度な精神作用を司る大脳がありませんでした。それでも山元先生は、ちいちゃんを〝可愛いな〟と感じて、毎日抱きしめて「ちいちゃん、可愛いね。大好きだよ」と声を掛け続けました。ちいちゃんはこの時、15歳ぐらいでした。それまで動いたこともないし、触られたこともありませんでした。普通の15歳の子と比べると、とても小さな体でした。華奢な山元先生が簡単に抱っこできるほどでした。ずっと寝たままだったので、手足が固くなっていました。骨も脆くなっていました。山元先生は、そのちいちゃんを毎日抱いては「可愛いね。大好きだよ」と声を掛け続けたのです。
 ある日、看護師さんが「山元先生、大変なことがわかりました」と言いに来ました。山元先生は、〝私が抱っこしすぎてちいちゃんを骨折させてしまったのか〟と思いましたが、違いました。看護師さんは言いました。
「ご存知のようにあの部屋の子ども達は、身体をまったく動かしません。音も立てません。だから本当に静かです。ところが朝8時のおむつ替えをしている時に、ちいちゃんだけが手足をバタバタ動かすんですよ。〝どうしてなんだろう〟と思っていたのですが、わかりました。山元先生、あなたがやってくるからです。他の人の足音とあなたの足音を聞き分けて、ちいちゃんはあなたが来るのが楽しみで、待ち遠しくて手足を動かすんです」
 それを聞いて、山元先生はうれしくて号泣しました。それからより一層ちいちゃんに寄り添うようになりました。「可愛いね。大好きだよ。愛してるよ」と毎日声を掛けました。そうしたら、「大好きだよ」と声を掛けると、ちいちゃんが微笑むようになりました。「今日は先生これで帰るよ」と声を掛けると、悲しそうな顔をするようになり、そのうちに泣くようになりました。言葉を掛けられたことがないちいちゃんが、言葉がわかるのです。
 こんなこともあったそうです。くすぐり遊びで山元先生がこちょこちょと真似をするだけでちーちゃんは笑うようになりました。園長にその話をすると「それは単なる反射にすぎません。脳がありませんから」と言いました。でも山元先生は思いました。
〝触ったことによる反射じゃない。私がくすぐる真似をしただけでちいちゃんはくすぐられることを察知して、笑っている。喜んでいる。これは普通の人間の反応だ。期待する気持ちがちいちゃんには間違いなくある〟
 それから山元先生はちいちゃんに絵本を読むようにしました。きつねの親子の物語です。悲しい場面になると必ずちいちゃんは涙をポロポロと流しました。
 山元先生はこの経験から「どんなに重い障がいがあっても、どんな状態にあっても、誰もが深い思いを持っているという確信を私はちいちゃんから得ました」と言っておられます。また、この経験が、それ以後の特別支援学校での子ども達に対する指針になったそうです。
 どんな人に対しても愛のある言葉をその魂に語りかければ、その人間の奥深くに語りかければ、その人に命を吹き込むことができるのです。言葉は食べ物以上に人間の命をつなぐものです。言葉は大切です。愛語を使いましょう。