修養して人間を磨きましょう

掲載日:2022年3月1日(火)

本年は36年に一度の「五黄の寅」という年です。九星気学と十二支の組み合わせの中でも最も運気が強い年とされています。また十干十二支では「壬寅」という年です。これは〝陽気を孕み、春の胎動を助ける〟という意味で、冬が厳しい程春の芽吹きは生命力にあふれ、華々しく生まれ出る年になるということです。
 世界の人々が長く苦しんだコロナが終息し、新たな時代が力強く始まることを象徴しているように感じます。
 今年は例年にも増して、誓いを新たにして、徳を重ねていかねばと思います。
 マザーテレサの言葉です。
「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから」

昔、芥川龍之介が「人の運命はその人の性格の中にある」と言いましたが、延いては思考、思いの中にあるということです。
 年の初めにどういう思いを持つか、どういう思いでその年を始めるかが、その年の運命を左右する大事な要素だと思います。
 また、お誓いや思いを持って一年を始めるのですが、その思いを継続させることが殊に大事です。これを精進とか修養といいます。日達上人が「トイレを使って出る時に履物を揃える。これを続けるだけでも大きな徳になる」とよくおっしゃっていました。

女優の三林京子さんのお話です。
 三林さんは大阪芸術大学の短期大学部で演劇の身体表現を教えていました。その時に、まず姿勢と挨拶を徹底的に教えたといいます。特に挨拶です。「先生、どうしてそんなに挨拶が大事なんですか」と尋ねる生徒に、三林さんは「何を言っているの。人間としての基本中の基本ですよ。これがきちんとできたら、あとは自然にできるものよ」と言われたそうです。
 その学校では毎年、新入生が入ってくると上級生が「学長」、「学部長」、「学食のおばちゃん」、「掃除のおじさん」というような名札をつけて校庭に立っています。あらかじめ新入生には「門をくぐってから名札をつけている人を見つけたら、全員に挨拶をしてから校舎に入りなさい」と伝えておきます。新入生達は名札を見て、学長だと「おはようございます」と丁寧に挨拶し、掃除のおじさんだと「おはよう」と通り過ぎていくそうです。それを見て、三林さんは叱りました。
「どうしてあなたは役職によって挨拶を変えるんですか?」 叱られた女子学生はワンワン泣いたそうです。そこから学生達の態度が変わり始めるのだそうです。
 三林さんは言われます。
「卒業して多くの学生がオーディションを受けます。その時に挨拶をしただけで、『合格』と言われた学生が何人もいました」
 一つのことを、しっかり続けていくだけでこのように人間が変わっていくということです。

法音寺は御開山上人の時代に日蓮宗のお寺になりましたが、それまでは在家教団でした。最初は「仏教感化救済会」という名前でした。昭和の初期からは「仏教修養団」、以降「仏教樹徳修養団」、「大乗修養団」と、一貫して「修養団」と名乗ってきました。これは先師が〝いつの時代にも修養が大事である〟ということに主眼を置いてこられた証拠だと思います。
 昨今はあまり修養という言葉を使わなくなりました。〝修養なんて堅苦しい〟という思いが現代人にはあるのかもしれません。先師の時代、日本は修養の時代でした。

かつて講談社に『修養全集』(全十二巻)というものがありました。第一巻の最初に東郷平八郎元帥の「誠」という揮毫があり、次にお釈迦さまとキリストと孔子が鼎談をしている絵があります。この全集はとても高価でしたが、売れに売れました。今の講談社の礎がこれによって築かれたというくらいに売れたそうです。それくらい昔の人は修養を重んじていたということです。
 同じ頃、新渡戸稲造博士の『修養』という本も明治44年9月3日に初版が出て、二カ月後に十一版が出ています。修養の本が二カ月間で十一回も版を重ねたのです。まさに修養の時代です。
 私がこの本を知ったきっかけは上智大学の名誉教授だった渡部昇一先生が講演で、自分の恩書として紹介されたことです。読んでみて非常に感銘を受けました。
 新渡戸稲造博士は母子家庭でした。お母さんがとても教育熱心な人でした。小学校の高学年ぐらいから国内留学をさせました。子どもですからお母さんのもとを離れたくありません。だから留学先で「帰りたい」という手紙を書きました。その都度、お母さんが「もう少し頑張りなさい。ちゃんと学問を修めてから帰ってきなさい」という手紙のやり取りが何度もありました。
 その後、札幌農学校(現・北海道大学)に入って、一年生の時に最優秀の成績を取りました。直ぐに「最優秀の成績を修めることができました。母上にその成績を見せに帰りたいと思います」と手紙を書いて盛岡の家に帰ると、お母さんは三日前に亡くなっていました。もう悲しくて悲しくて、ノイローゼになってしまいました。頑張って頑張ってついにお母さんに会えると喜び勇んで帰ったら、お母さんが亡くなっていたのです。ノイローゼにもなります。
 たまたまその時、札幌農学校の図書室にあったアメリカの雑誌にトーマス・カーライルという人のことが書いてありました。その記事を読んで、〝この人は自分の悩みをわかっている。この人の本をぜひ読みたい〟と思いました。ところが札幌農学校にはカーライルの本がありませんでした。上京までして探しましたが、どこにもありません。あきらめかけた時に、洗礼を授けてくれたハリス牧師がアメリカに帰ることになり「自分の蔵書を置いていくので、欲しいものがあったら自由に持って行きなさい」と言われました。その中にカーライルの『衣装哲学』(原題 サーター・リサータス)という本がありました。博士はこの本をもらって読みました。生涯に三十回以上繰り返し読んだといいます。非常に難しい本ですが、〝人の外見を全部はぎ取って考えたらどうなるか。それは結局魂である。魂しか残らない。この魂を磨くことが大事だ〟と思われ、『武士道』や『修養』を書かれたと思うのです。
『代表的日本人』を書いた友人の宣教師・内村鑑三も同じハリス牧師に洗礼を受けています。内村鑑三もカーライルが大好きでした。内村鑑三は自らの著書である『後世への最大遺物』の中で「カーライルの伝記を読むと、カーライルの一生に比べれば、カーライルの書いた40冊程の著作は価値が小さいように思える」と言っています。
 続けて内村鑑三は「カーライルの一番有名な本は『フランス革命史』である。歴史家も、イギリス人が書いた歴史書では、この本が最もすぐれているものの一つだろうと言っている。読めば誰もがそう思うだろう。フランス革命をまるで目の前で起こっていることのように、映像が流れるように、いきいきと活写している。どんなにすぐれた画家でも、そんな風には描けないと思う。こんな本が読めて幸せだと思うくらい価値のある本である。けれども、カーライルがこの本を完成させるまでの苦労を書いた伝記を読むと、カーライルの一生はこの本よりも、さらにすばらしいと思えるのである」と言っています。
カーライルはこの本を書くのに一生を掛けたといいます。本自体はそんなに長いものではないのですが、この本を書くためにあらゆる資料を集めて研究し、情熱と労力を傾けて、何十年もかけて構想を練り、書き上げた本でした。カーライルが清書し終わった時に友人が遊びに来ました。その友人が「読ませてほしい」と言うので、「ちょうど良かった。意見を聞かせてくれないか」と渡すと、友人は一晩かけて読んで非常に感銘を受け、別の友人に又貸しをしました。別の友人は読んで机の上に置いて寝てしまいました。そのあとに家政婦さんが来て、ストーブに火をつけるのに丁度良い紙があると思い、その原稿を燃やしてしまいました。何十年もかけた労作が数分で灰になってしまいました。その後、又貸しをされた友人はびっくりして、借りた友人に「家政婦が燃やしてしまった。どうしよう」と言うのですが、「お金だったら同じ金額を返せばいい。家だったら建て直してあげればいい。原稿はどうしようもない。死んでわびてもダメだ。とにかく正直に言うしかない」ということで、二人はカーライルのところに行って起こったことを正直に話して謝罪しました。それを聞いたカーライルは少しの間放心状態になりますが、すぐに気を取り直して、自分に〝お前は愚かな人間だ。お前の書いたフランス革命史はそんなに立派な本ではない。一番大事なのはお前がこの不幸に耐えて、もう一度同じ本を書き直すことだ。それができればお前は本当に偉くなれる。原稿が燃えたくらいで絶望するような人間の書いたフランス革命史は、出版しても世の中の役に立たない。だからもう一度書き直せ〟と発破をかけ、自分を奮い立たせてもう一度同じものを書き始めました。そうして世界史に燦然と輝く本ができたのです。ちなみにこの友人とは『自由論』を書いたジョン・スチュアート・ミルで、又貸しの相手はその恋人だったそうです。
 私はこの話を内村鑑三の本で知って、これこそ修養だと感じました。
 インド哲学、仏教学の第一人者であった中村元先生に似たエピソードがあります。
 中村先生が二十年かけて一人で執筆していた『仏教語大辞典』の原稿約二万枚分を出版社がすべて紛失してしまったのです。中村先生は謝りに来た出版社の人に対して一言も文句を言わず、「怒っても出てきませんから」と言われ、再び最初から書き直して八年がかりで完成させ、「やり直したお陰で、ずっと良いものができました。逆縁が転じて順縁となりました」と言われたそうです。
 カーライルも中村先生もまさに修養の人です。大堪忍の人です。このような人物に一歩でも近づくために私達は修養をしなければいけません。
 最後に新渡戸博士の『修養』から引用させていただきます。
「日々の平凡な務めを満足に行い、続けさえすれば、一生に一度あるかなしかの大難題が起こるとも、これを解決するは容易である。ただ日々の平凡の務めを怠る者は、かかる大難題に出会うと、はなはだしく狼狽し、策の出ずる所を失う。ゆえに難題の解決も、要するに日々の平凡の務めをなし遂げることによって初めてできることと思う」
「日々刻々の修養は、これをなしておる間はさほどにも思わぬが、それがだんだん集まり積もると、立派な人物を築き上げる。始めは苦しがりながら修養に勤めても、慣れてくると修養が身の肉となり骨となり、凡人と異なるところの人となる」
 日々の修養、それは唱題、三徳の実行以外の何ものでもありません。
 よろしくお願いいたします。