今を賢明に生きる

掲載日:2019年11月1日(金)

『一夜賢者経』という大変短いお経があります。このお経は次の「一夜賢者の偈」と、お釈迦さまによる懇切な解説とでできています。

「過ぎ去れるを追うことなかれ。
 いまだ来らざるを念うことなかれ。
 過去、それはすでに捨てられたり。
 未来、それはいまだ到らざるなり。
 されば、ただ現在するところのものを、
 そのところにおいてよく観察すべし。
 揺ぐことなく、動ずることなく、
 それを見きわめ、それを実践すべし。
 ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
 たれか明日死のあることを知らんや。
 まことに、かの死の大軍と、
 遇わずというは、あることなし。
 よくかくのごとく見きわめたるものは、
 心をこめ、昼夜おこたることなく実践せよ。
 かくのごときを、一夜賢者といい、
 また、心しずまれる者とはいうなり」

詮ずる所は、〝過ぎ去ったことを、いつまでもくよくよしてはいけない。まだ来ぬことを取り越し苦労してはいけない。それよりも、冷静に現在するところのことを、よく観察して揺ぐことなく、ただ今日まさに作すべきことを実行せよ。それが人間として最も賢明な生き方である〟ということです。
「今を賢明に生きよ」というのがお釈迦さまの教えなのです。

株式会社ことほぎ代表で博多の歴女として有名な白駒妃登美さんという方がおられます。
白駒さんは「今を賢明に生きる」を見事に実践されています。
白駒さんは慶応大学を卒業後、日本航空の国際線の客室乗務員として働き、退社後、結婚し二児の母となります。しかし、程なく子宮頸癌を発症し、二年後には肺に転移。この時、主治医から次のように言われました。

「正直に申し上げますね。この状態で助かった人を、今まで私は見たことがありません」

この日から、小学校に入学したばかりの息子さんの寝顔を見ては、涙ぐむ夜が続いたといいます。

そんな時、日本の歴史や文化のすばらしさを綴っていた白駒さんのブログを本にしたいという出版社が現れました。〝本なんて書いている場合じゃない〟という気持ちと、〝もし本当にこの世から消えてしまうのなら、今まで生きてきた証に本を遺してから死にたい〟という気持ちが半々だったそうです。悩んだ末に〝子ども達への遺言のつもりで本を書こう〟と決意をしました。
日本の歴史を改めて紐解き、先人達の生涯と向き合っていく中で、特に病気を抱えた身という共通点から、正岡子規から大きな勇気をもらいました。

子規は、明治の文学者で武家に生まれたことを誇りとし、武士道への憧れを抱き続けていました。そして、〝武士道における覚悟とは何だろう?〟と自問自答し、ある日、一つの結論を得ました。それは〝武士道における覚悟とは、いついかなる時でも平然と死ねることである〟というものです。

しかしその後、子規は若くして脊椎カリエスに罹ります。この病気は脊髄を結核菌が侵し、激痛を伴います。その痛みに耐えかねた子規は、何度も本気で自殺を考えたそうです。その苦しみの中で子規は気づいたのです。
〝本当の覚悟とは、どんなに痛くてもどんなに苦しくても、生かされている今を平然と生きることだ。死を迎えるその瞬間まで、与えられた一瞬一瞬を感謝して生きることこそが覚悟である〟
覚悟を決めた子規は、死を迎える数時間前まで執筆活動を続け、日本の近代文学に多大な影響を与えました。

白駒さんは子規のこの生き方を見習おうと決意し、過去の後悔や未来への不安を手放し、今を感謝して生きることに集中しました。
すると毎晩ぐっすり眠れるようになり、さらに肺にできた腫瘍がすべて消えてなくなったのです。以来、白駒さんはこの時の気づきを先人の志とともに伝える講演活動を続け、現在、年間二百回の講演依頼があるそうです。

白駒さんは言われます。

「過去や未来を手放し、生かされている今に感謝する。この死生観を持つことによってかけがえのない今を楽しく幸せに生きることができるのです。心一つなのです」

今を賢明に生きている方をもう一人紹介したいと思います。それは、右腕のないプロゴルファー、小山田雅人さんです。小山田さんの実家は精肉屋さんでした。お母さんが仕事で忙しく、ふとした時に2歳の小山田さんをテーブルの上に置いたそうです。そのすぐ側に肉をミンチにする機械が置いてありました。小山田さんはこの機械に右手を入れてしまいました。この事故で肘から下を切断することになったのです。本人にその記憶はなく6歳くらいの時に初めて事故のあらましを聞き、「そうだったんだ。生まれつきなかったのかと思っていたよ」とお母さんに言われたそうです。

小山田さんは右前腕がないのですが、スポーツ万能で、まず小学校で始めたサッカーではすぐに頭角を現し、ジュニアサッカーの県代表に選ばれました。その後、野球をやっていたお兄さんに憧れ、サッカーをやめて野球を始めました。右前腕がないので左腕一本でバットを振ります。最初は左打席で打っていましたが、当たっても全くボールが飛びませんでした。先生に「右打席でやらせてください」と頼んで、右打席でバットを振ると外野手の頭上を軽々と越える当たりが打てたのです。中学時代はエースで四番、県大会で2位になりました。片腕でエースの四番。すごいことです。そして、甲子園を夢見て地元の有名高校に進学したのです。しかし、入部早々に野球部の監督から「片腕では選手は無理だから、マネージャーになれ」と言われました。ガッカリして、野球部をやめて、その高校も中退してしまいました。そして、別の高校に入り直したのです。その後、高校を卒業してから栃木県庁の職員になるのですが、もともとゴルフを家族でやっていたこともあり、ゴルフが好きでゴルフ場の会員となり、そのゴルフ場のクラブチャンピオンになりました。次には栃木県のアマチュア選手権で2位になり、障がい者の日本オープンで優勝し、世界障がい者選手権前腕切断の部で七度優勝しています。

小山田さんは社会人になって二十五年間勤め上げたら、本当に自分がしたいことをしようと決めていたそうです。それが二十五年経つ前、38歳の時に仕事中に突然、頭の左部分に痛みを覚えました。30秒程でスッと治ったので、普通なら見過ごすところですが、血管が詰まりやすい家系だった小山田さんはすぐに検査入院しました。血管は大丈夫でしたが、脳腫瘍が見つかり、ステージ2の癌でした。普通の人ですと、〝片腕で、今度は脳腫瘍か。自分は本当に運が悪いな〟と落ち込みそうですが、そんなことはありませんでした。しかし、〝手術をしても早晩、死ぬかもしれない〟と思ったそうです。その時に奥さんが娘さんを妊娠したことがわかり〝子どもにお父さんの記憶を残したい。父親が生きた証を残しておきたい。それには県の一職員よりプロゴルファーの方が記憶は強まるだろう〟と考えたのです。やはり普通の人ではありません。

プロゴルファーになる決意をした小山田さんですが、手術で左側頭葉の七割を取り、記憶の一部を失い、さらに体重も20キロ減ったのです。それまで片腕で270ヤードくらいボールを飛ばしていたのですが、200ヤードくらいしか飛ばなくなりました。「やっぱり駄目か…」と思わず弱音を吐くと、奥さんが「何を言っているの。また鍛えたらわからないわよ」と言って励まし、野球のマスコットバット(素振り用の重量のあるバット)を買ってきてくれました。それを左腕一本で三年間振り続けました。すると体重も体力も元に戻って、前よりも飛ぶようになったそうです。そして、見事プロテストに合格して、プロゴルファーになりました。

しかし、またアクシデントが小山田さんを襲いました。今度は心筋梗塞です。心臓の30パーセントが壊死しました。それも不屈の精神で克服し、以前より飛距離を伸ばしているといいます。現在はプロゴルファーとして、レッスンと講演で全国を飛びまわっています。

このレッスンの評判が非常に良く、「雅人マジック」と言われているそうです。教え方が上手で優しく、「小山田さんに教えて欲しい」という人が列をなしているということです。

ある時、脳梗塞で倒れたアマチュアゴルファーが来てレッスンを受けました。脳梗塞をされた方はどちらか半身が不自由になり、小山田さんと同じように片腕でしかスウィングができません。その人は、脳梗塞後に小山田さんに教えてもらってからベストスコアを更新し「奇跡だ」と喜ばれたそうです。そういう生徒さん達に小山田さんは言われるそうです。

「人は人生において絶対に目標を持つべきです。年齢や体力や病気に関係なく、目標を持ち、それにチャレンジ(挑戦)をするのです。下を向いていてはいけません」

小山田さん自身のこれからの目標は世界障がい者ゴルフ選手権で総合優勝することだそうです。前腕切断の部で七度優勝されていますが、片足切断の部など全部門合わせた中で優勝がしたいということです。さらにシニアのプロツアーに出ることも目標にしています。実際に予選会にチャレンジされました。予選通過はなりませんでしたが、この時、また新たに発症した脳梗塞を克服されてのチャレンジでした。小山田さんにはもう一つ大きな目標があります。来年、東京でパラリンピックが開催されますが、ゴルフはまだパラリンピックでは正式種目にはなっていません。パラリンピックでゴルフが正式種目になるまで頑張って、それに出場することです。

小山田さんは言っておられます。

「ないものを嘆くより、あるものに感謝しましょう。私は右前腕をなくし、左側頭葉の大部分をなくしました。しかし、残った左腕と右脳に感謝して今やっています。人間は誰でも人生でいろいろなものをなくしますが、なくしたものではなく、今あるものに感謝して目標をもって、前を向いて進みましょう。必ず道は開けます。幸せになれます」

今を賢明に一生懸命に生きる。すばらしいことです。