今日一日を頑張り切ること

掲載日:2019年10月1日(火)

現在身延山で修行をさせていただいている廣修が中学生の頃、ある詩を紹介してくれました。相田みつをさんの『いのちの根』という詩です。

 なみだをこらえて

 かなしみにたえるとき

 ぐちをいわずに

 くるしみにたえるとき

 いいわけをしないで

 だまって批判にたえるとき

 いかりをおさえて

 じっと屈辱にたえるとき

 あなたの眼のいろが

 ふかくなり

 いのちの根が

 ふかくなる

人生の修行というものは、この〝いのちの根〟を深くすることかもしれません。それには相田さんの詩のように何よりまず堪忍、忍耐が大事です。

杉山先生は「今日一日の堪忍」と言われました。御開山上人のご法話集に「半日の堪忍」という話があります

杉山先生から「堪忍はむずかしいことです。あなたに〝一日中堪忍しなさい〟というのは無理だと思いますが、どうですか。半日ぐらいならできますか」と尋ねられた御開山上人が、「半日ぐらいならできないことはありません。それが済んだら怒ってもいいんですか」と聞かれました。すると「それではいけません。でもお昼までできたら、また晩までと思って半日ずつやることにしたらどうですか」と答えられました。御開山上人は「そうですか、先生。良いことになるのでしたら一つやってみましょう」と言って実行されたのです。まだ二十代前半の頃の話です。やってみると本当に気分が良く、〝これなら半日ではなく、一日の方が良いだろう〟と思われたそうです。そこで「先生、〝今日一日、今日一日〟と思ってやっていきます」と杉山先生に報告すると、先生はたいそう喜ばれて「あなたはえらい。『此経難持 若暫持者 我即歓喜』と言われているように、仏さまの教えの『仏になる道』というのは、なかなか行いにくいものです。それがあなたのように、〝半日やってみるか〟と言ったら半日やって、〝今日一日でも堪忍できるようになった〟と言われる。そのことが『此経難持 若暫持者』ということです。誰もが楽しいのはそのことです。〝今日一日だけ、今日一日だけ〟とやりなさい」と言われたそうです。

最近、芸能人やスポーツ選手が薬物に手を出して逮捕されるといったニュースをよく耳にします。一度薬物に手を出すと、止めることはとても困難だそうです。

『ダルク』という薬物依存症の更生施設があります。ダルク(DARC)とは、ドラッグ(Drug=薬物)のD、アディクション(Addiction=中毒、病的依存)のA、リハビリテーション(Rehabilitation=社会復帰・回復)のR、センター(Center=施設・建物)のCを組み合わせた造語です。茨城ダルクの代表をされている岩井喜代仁さんという方がいます。岩井さんの施設は、「今日一日ハウス」という別名があります。茨城ダルクは「人間再生工場」とも言われています。岩井さんは代表になってから何千人という薬物依存者と向き合ってきました。そしてその半数近くを社会復帰に導かれたのです。

岩井さんは元ヤクザの組長で、覚醒剤の密売人でもありました。十七年もの間薬物中毒でしたが、45歳の時に改心してダルクの代表になりました。岩井さんは言われます。「薬物の恐怖などということをよく言う。だがその言葉の本当の意味がわかるのは薬物を使用する人間、あるいはそれによって苦しむ家族達である。一度体で覚えたクスリの快感は、決して忘れられないし、なかなか抑えきれるものではない。自分がダメになる、家族も仕事も金も何もかも失うと知りつつ、また手を出してしまう。その行きつく先は地獄。それが薬物だ。私はかつて十七年間も、その快感を追い求めてきた。クスリがどれだけ気持ちの良いものか。逆にそれがいかに悲惨な現実を招くか。骨の髄まで知っている男である。縁あって今は覚醒剤を売ったり使用する立場から、薬物依存になった人達の回復を助ける立場へと変わった。だが、そんな私でも相談に来た若者が目の前に覚醒剤をポロッと出したら、それだけで心臓がドキドキする。〝内緒でポケットに入れ、どこか人のいない所に持っていって使おうか…〟そんなことまで考えてしまう。薬物を使ってニコニコ笑っている若者を見て、〝この野郎〟とうらやましく思うのが偽らざる姿だ。敵は薬物だけではない。過去の自分と生涯にわたって戦い続けなくてはならない。これが私に課せられた宿命なのだ」

岩井さんは昭和22年、京都に生まれ、中学卒業後には愚連隊に入っていました。23歳の時にはヤクザの組長で、子分が百人程いました。そして子分達を食べさせるために覚醒剤を売っていたのです。その時、客の一人だった近藤恒夫という男に「お前、売るなら、いっぺん使ってみろ」と言われて、一度だけ使うと、そこから地獄が始まったのです。それから、日々依存度がエスカレートし、覚醒剤による不始末で指を落とすことになってしまいました。〝クスリを止めなくてはいけない〟と思いましたが、翌月にまた不始末をし、二本目の指を落とすことになってしまいました。〝このままでは全部の指がなくなる〟と思って、腹を括ってヤクザをやめ、クスリを止めたい一心で遠く離れた北海道に行きました。しかし、北海道でも覚醒剤の密売人になってしまいました。東京と北海道を行き来するうち、羽田空港で逮捕されました。その時に奥さんは子どもを置いて出て行ってしまいました。

岩井さんは捕まった時に、〝刑務所に入ったらクスリを止められるかもしれない〟と思ったそうです。しかし、執行猶予がついてすぐに社会に戻ることになりました。〝もう絶対にクスリを止めよう〟と心に誓いましたが、足が向いたのは新宿の密売人のところでした。〝これではいけない〟と思って、埼玉県の飯能の山奥に息子と一緒に逃げました。しかし、気がつくと、また覚醒剤を手にしていました。この頃、幻覚や幻聴が現れ出しました。虫の大群が自分めがけて襲ってくる感覚になり、狂ったように殺虫剤をまき散らしました。また風の音や鳥の声が人の声のように「死ね、死ね」と聞こえてきました。〝死ぬしかない〟と思って高い木にロープを下げ首にかけます。しかし下を見ると覚醒剤があります。〝あの覚醒剤を使ってから死のう〟と、何度も同じことを繰り返しました。

ある時、〝もう金輪際覚醒剤を使うまい〟と思い、湧き水の中に覚醒剤を投げ捨てました。その時、声が聞こえたのです。

〝後から登ってきた人が水を飲めなくなるだろう。何を考えとるんだ。馬鹿者〟
 また幻聴かと思って上を見ると、木の上にお地蔵さんが乗っていました。そしてそのお地蔵さんが、〝わしはここをずっと守っている。見つけたんだから早く降ろせ〟と言ったように感じ、息子を呼んできて、二人でお地蔵さんを木から降ろして、湧き水のところに置きました。すると不思議なことにクスリを使いたい気持ちがおさまりました。

それからほとんどクスリを使わないようになり、〝真面目に働こう〟と思うようになりました。しかし、雇ってくれるところがありません。生活に困り果て、たまたま見た週刊誌に、覚醒剤使用のきっかけになった、かつての常連客の近藤恒夫が載っていました。東京で日本初の『ダルク』を設立したということでした。藁にもすがる思いで、会いに行きました。そして今までのことを洗いざらい話すと近藤は言いました。

「じゃあ俺から提案がある。お前はクスリを選ぶか、ヤクザの道に戻るか、人生をやり直したいのか、この三つのどれだ」
「人生をやり直したい」
「そうか、俺から見たらお前はただ一つだけ救いがある。それは自分の子どもを捨てなかったことだ。人間としての情が切れていない。お前ならまだ回復できるかもしれない。どうだ、俺の言うとおりにやってみるか」
 そして、茨城ダルクに月給十七万円で住み込みの調理師兼留守番として雇われたのです。それからも紆余曲折はありましたが、岩井さんは、薬物と一切縁を切ることができました。

しばらくして、〝元ヤクザのダルク代表〟ということで話題になり、講演依頼が殺到しました。しかし、岩井さんは、〝自分のような元ヤクザがこんなことをしていて良いのか。早く後継者を見つけて出ていった方が良いのではないのか〟と悩んでいました。そこでカトリック教会の神父さんに相談しました。最初にダルクを支援してくれたのが、カトリック教会だったのです。神父さんは「やめる必要はありませんよ。あなたを神さまが求めて待っていらしたのですから、自分の仕事を精一杯やったら良いと思いますよ」と言いました。それから定期的に神父さんに相談するようになり、ついには洗礼を受けるまでになりました。

岩井さんは常時40名程の若者と暮らしています。生活はとても規則正しく、日に何回もミーティングをし、告白をして、お互いに慰め、励まし合います。入って来る若者は刺青があったり、薬物で心身ともにボロボロになっていたり、クスリ欲しさに万引きや窃盗を繰り返したり、精神病院に入れられたりといった荒んだ若者ばかりです。数千人の若者の面倒をみて、社会復帰できたのは半分ぐらいですが、一回で社会復帰できたのはごく少数です。ほとんどの若者はダルクに何度も戻ってきます。規則正しい生活を送ることができずにすぐ逃げ出す者もいます。施設の中で自殺してしまう者もいます。

多くは入ってだいたい三カ月ぐらいで正常になり、体が元に戻ってくるそうです。すると、だんだん打ち解けて岩井さんに「おう、オヤジ」と呼ぶようになり、「オヤジ、俺仕事がしたい」と言うようになるそうです。こうなるまでには一年程かかるのだそうですが、岩井さんからは「アルバイトや仕事に行くように」とは絶対に言わないそうです。本人が言ってきたら「そうかそうか」と仕事を紹介するのです。そして短時間のアルバイトができたら本格的に社会復帰をさせるのですが、大半はまた薬物に手を出して刑務所や病院を経て戻ってきてしまいます。そうして戻ってくる若者達に岩井さんは「おう、よう帰ってきたな」とひとこと言って、それ以上何も言わずに、何事もなかったかのように受け入れるそうです。

すぐに戻ってくる若者達には二つのケースがあるそうです。

一つは、友達の家に行って、友達と薬物に手を出してしまう。

 もう一つは、実家に帰るが、実家の両親が甘すぎて、親離れ子離れができていない。子どもが何か悪いことをするとすべて尻拭いをしてしまい、子どもを突き放すことができず、親子で地獄に落ちてしまう。そんな様子を見て、岩井さんは親達に「突き放さないといけない。心を鬼にして、お前は罪を犯したのだから、刑務所に行くか、自立をするか、ダルクに行くか、三つに一つを選べ。それ以外はない。そう言ってくれ」と話します。そうして、自分から「ダルクに行く」と言った若者を受け入れます。これが親離れ子離れの基本、人間を立ち直らせる原点だと岩井さんは言います。

薬物依存の子どもを持った親は子ども以上に心が苛まれています。そんな親達を助けるために、悩みを相談し合う家族会を作りました。現在全国に十六カ所あるそうです。家族会を運営していくうちにあることがわかりました。夫婦の仲が良い家庭で育った子ども程、薬物からの回復も早いのです。夫婦が仲良くしているのを子どもが脇で眺める。これが一番だということも分かりました。薬物からの回復をするためには家族関係の修復は欠かせないそうです。岩井さんは、その最初のモデルになるために、奥さんや息子さんとの関係を修復し、今では岩井さん家族の実践が、家族会のモデルケースとなっているそうです。

現在、茨城ダルクは、他のどこのダルクよりも回復率が良いということで評判になっています。

茨城ダルクの社会福祉法人化に対して、地域の反対運動が起こったことがありました。岩井さんは何度も神に祈りました。そして、〝神さまは何をしているんですか。私は命がけで一生懸命頑張っているのに…〟とふと思ったそうです。その時です。いろいろな人から「うちの建物を使ってくれ」「施設を使ってくれ」と申し出があり、関東・東北地方に九つのダルクが次々と誕生しました。〝ああ、神さまはこういうふうに考えておられたのか。ちゃんと神さまは我々のことを見ておられたのだ。何も心配することはないのだ〟と神さまの働きを実感されたそうです。

 岩井さんは言われます。

「自分の見栄も外聞もすべて捨てて、正直な心になった時、見えない力が働くのです。これを私達は、霊的(スピリチュアル)な、偉大な力(ハイヤーパワー)と呼んでいます」

 また薬物依存からの回復もこの力による〝霊的目覚め〟が大事とも言われます。

 茨城ダルクの別名は「今日一日ハウス」です。岩井さんの言葉です。

「今日一日はクスリを使わない。過去使ってきたけど、ここに来たからには、今日一日クスリを使わない。そして明日も一日使わない。今日一日をどれだけ気分良く、明るく強く過ごせるか。与えられた環境に感謝して、今日一日を生きる。そこに不思議な力が生まれてくる」

私達も「今日一日」です。先のことを考え過ぎず、今日一日を頑張り切ることが大切です。今日一日を功徳の日としましょう。