行住坐臥 お題目を唱え徳の貯金をしましょう

掲載日:2014年8月1日(金)

お題目の功徳 心の持ちよう

昔から「心配する心で信心せよ」と言われてきました。“心配している時間があれば、その分お題目を唱えたり、写経や奉仕をして功徳を積みなさい”と教えられているのです。

心配をし続けても何もいいことはありません。かえって心配事を大きくしてしまうだけです。

   コップ一杯のビール

野球でブルペンエースと言われる人がいます。練習場(ブルペン)では調子がいいけれど、本番ではその調子の出せない人です。そんな人はよく「度胸がない」などと言われますが、よけいな心配をしてしまうのだと思います。

昔、阪急ブレーブス(今のオリックス・ブルーウェーブ)に今井雄太郎という投手がいました。今井投手は“ブルペンでは調子がいいのに本番では駄目”という典型的なブルペンエースでした。そこで当時の上田監督が「お前は酒を飲むと気が大きくなるから、一杯飲んで投げてみろ」と言って、実際にビールをコップ一杯飲ませました。すると絶好調になり、なんとある試合では、完全試合まで達成してしまいました。

普段お酒の強い人が、コップ一杯のビールでそんなに変わるだろうかと思いますが、それが変わるのです。酔うというのではなく、気持ちが変わるのです。よけいなことを考えなくなるのです。

結婚式やいろいろな会合で、始まる時は緊張していても「乾杯」と一杯飲み始めると急に場が和みます。これと同じだと思います。

   莫妄想

中国・唐の時代、禅僧の無業禅師は何を尋ねられても「莫妄想」とだけ答えたと言われています。「莫」というのは「なかれ」という意味です。「妄想」とは「余計な考え」です。つまり「余計なことを考えるな」ということです。

日本でこの「莫妄想」が有名になったのは鎌倉時代の「元寇」の時です。蒙古の襲来に際し、時の執権・北条時宗が、師であった無学祖元に「私は子どもの頃から臆病者だと言われてきました。この国難に対してその臆病が出たら大変です。立派に武士として戦いたいと思います。臆病が出ないようにするにはどうしたらいいでしょうか」と尋ねると師は一言、「莫妄想」と言いました。“立派に、などというようなことは考えず、とにかく日本を救うために戦えばよい”ということでした。そして、北条時宗は二度に及んだ蒙古の襲来に打ち勝ったのです。もちろんその背景に、日蓮聖人の祈りがあったことは言うまでもありません。

   守護を得る

日蓮聖人は常々国家の行末を案じておられましたが、杉山先生も御法話を見ると、よく国家について語っておられます。

儒教の経典の一つ『大学』に「修身・斉家・治国・平天下」という言葉があります。“世界平和の基はまず個々の国を治めること。国を治めるにはその中の家庭を整えなければならない。家庭を整えるためには、それを構成する個人がその身を修めなければならない”ということですが、杉山先生は三徳を実行し、身を修め、家を整え、国を治めることを教えて下さいました。また、“お題目を唱え、三徳を実行することによって諸天善神の守護を得ることが出来る”と言われています。

諸天善神の守護がなければ何事も上手くはいきません。例えば病気になった時“病院に行って薬を飲んだら治った。お医者さんに診てもらったら良くなった”と単純に思いがちですが、そうではありません。これもやはり功徳の働きであり、諸天善神の守護です。

諸天の守護を得るために杉山先生はまずその根本として、「精を出して働きましょう。段々世の中が複雑になってくるにしたがって、真面目さがなくなり、怠け者が増えてきます。今の人間は、働くことに対して苦痛であるが如く考える者さえあります。お互いの仕事に趣味をもって、身を惜しまず働きましょう」と言われています。

仕事を趣味のように出来ればとても良いことだと思います。

また「健康を害しないようにしましょう。暴飲暴食を慎み、飲酒に当たりても節酒して、乱に及ばざるよう心掛けましょう。次に早寝早起きをしましょう」と言われています。健康をたもつということはいろいろな意味で大事なことです。

三番目は「祖先の恩を忘れぬようにしましょう。我々は祖先の分身であります。我々が斯くして暮らすについては、すべてこれ、祖先の苦心の賜物なることを忘れてはなりません。常に祖先のため、一心に妙法蓮華経を唱えましょう」と言われています。

そして「よく世間では死去した人々が草場の陰から守ってくださると言いますが、草場の陰には何がいましょう。虫や、蛇や、蛙でしょう。この境涯にあって、どうして守護が出来ましょう」と言われています。これは「成仏していない祖先の供養をしましょう」ということです。

杉山先生の逸話の一つにこんなお話があります。

東京にお住まいの陸軍少将に交通事故で亡くなった奥さまの追善供養を頼まれた時、少将の家の仏壇の前で手を合わせてお題目を唱えておられると、なぜか杉山先生の目から涙が溢れてきました。少将が「先生、どうなされましたか」と尋ねると「閣下、あなたの奥さまの霊魂は救われておりません。餓鬼道へ堕ちていらっしゃいます。御位牌だけはこんな立派な仏壇に納められながら、魂は餓鬼道で苦しんでいらっしゃるのかと思いますと、お気の毒でつい悲しくなりました」と言われたのです。

そう言われて少将は「家内の霊魂が浮かばれていないとおっしゃるのですか。そんなはずはありません。毎年、命日には丁重に追善法要を営んでおりますから」と言いましたが、杉山先生が「なるほど法要はなさったおつもりでしょうが、正しい方法で供養をしませんと功徳が故人の元に届かないのです。あなたが回向されたおつもりの供養は奥さまの霊に少しも届いておりません。そのためあなたの奥さまの魂は今、一匹の蛙となってこの屋敷の中に住んでおります」と言われると、本当に一匹の蛙が縁の下から飛び出して来ました。季節は冬です。蛙が出てくる時期でもないのでよけいに皆びっくりしてしまいました。

少将も驚いて「家内の魂があの蛙になっていると言われるのですか」と聞くと「そうですよ」と答えられました。そこで「どうしたら妻を救うことが出来ますか」と杉山先生に尋ねました。すると「閣下、法華経の書を揮毫なさることです。それが今あなたの出来る最も手近な功徳を積む手段です。書を揮毫して法華経の信者さんに施して下さい。それは大変大きな功徳ですから、その功徳で必ず奥さまの霊を救うことが出来ます」と言われました。

少将はこの後、救済会の賛助員となり、書を揮毫して奥さまの霊魂を救われたということです。

   お題目の功徳

杉山先生はこんなことも言われています。「守護をして頂くのは諸天善神ですが、我々はぼーっとしていると魔神に囲まれてしまって、健康を害することも喜んでしてしまいます。そうならないために諸天善神に守護して頂ける行ないをしなければなりません。慈悲深く、何事も至誠を持って臨み、『自分は大人である。無理を言う者は子どもである。気の毒なことだ』と思って、決して腹を立てないようにします。すなわち堪忍をして、行住坐臥、道を歩む時も仕事をする時も南無妙法蓮華経と唱えるのです。その功徳によって漸次、魔神を遠ざけることを得て、諸天善神の守護を受けることが出来ます」

   施しと倹約

杉山先生は驚くほど施しをされましたが、倹約も徹底して行なわれました。

当時、杉山先生はプロの料理人を連れて講演に出かけられ、講演が終わると来て下さった人々に料理を振る舞われましたが、ご自分はその場では一切食べられなかったそうです。皆さんが残した物を食べられたのです。残飯を洗面器に入れて風呂敷に包み、帰りの電車の中で食べられたそうです。それぐらい徹底して倹約をされていました。しかし、施しをされる時は全く物を惜しまずされました。

日本航空の経営を建て直された、現代の経営の神様と言われる稲盛和夫さんは、いろいろな方面に何千億円も寄付をされていますが、生活はとても質素です。稲盛さんのランチは好きなビッグマックとコーラが多く、吉野家の牛丼や、崎陽軒の焼売弁当も大好物だそうです。御本人によると、五百三十円の豚玉のお好み焼きを食べて「おいしいなぁ。幸せやなぁ」と手を合わせておられるそうです。

“偉い人は共通しているな”と感ずるところです。

   功徳の貯金

杉山先生は「お題目の貯金」ということをよく言われています。

救済会の本部に若者が大勢泊まった時、夜中の三時頃にお題目を唱える大きな声が聞こえてきました。どこから聞こえてくるのかと声を辿って行くと、杉山先生がいらっしゃいました。「先生、ご修行は大変ですね」と言うと「これはお題目の貯金をしているのです。信者さんの罪障を消滅させる時には、何万というお題目が必要になることがあります。ですから昼でも夜でも根気よくお題目を唱えて功徳を蓄積しておかないと、肝心な時に間に合わないのです」と言われたのです。時には村上先生とご一緒に、二日も三日もずっとお題目を唱え続けられたということです。そして「お題目の蓄積を怠ると天から催促され叱られるのです。怠けているとカチンカチンと諸天に頭を叩かれ、かなり痛いですよ」というようなことも言われています。

『如説修行 功徳甚多』と経文にありますが、「三徳を実行し、お題目を唱えて功徳を積んでゆくと、諸天善神の守護を受けることが出来、悟りが良くなり、咄嗟の災難も逃れることが出来ます。大難が小難、小難は無難となるのです。自然と早起きも出来、体も丈夫になり、だんだんよく働けるようにもなるのです。物を買うにも安く買え、売るにも買い手の要り用な所に持っていけるようになるので、高くも売れるし、またよく売れます。その他、外出した時、雨にあっても帰宅するまで雨を降りやませることも出来ます」と杉山先生は断言しておられます。

すべては徳次第ということです。