努力をした人 徳を積んだ人には必ず天佑神助があります

掲載日:2015年3月1日(日)

天佑神助のこと 日本の繁栄の基

今年の干支は乙未です。干支は六十年で一回りします。それを還暦と言います。また、六十年ごとに歴史は繰り返すと言われています。

そこで六十年前を調べてみると、とても景気が良かったようです。昭和三十年、ちょうど自民党と社会党の二大政党ができた年です。

景気が良かった一因に、朝鮮戦争が挙げられます。日本が戦争をした訳ではありませんが、戦争にはいろいろな物資が必要です。その物資を、アメリカが日本で調達したのです。そのことによって日本の景気が良くなったのです。当時「朝鮮特需」と言われ、別名「神武景気」とも言われました。

神武とは神武天皇の神武です。日本最初の天皇です。その神武天皇が建国を宣言されて以来、つまり、日本国始まって以来の最高の景気であるところからそう名付けられたのです。経済白書には“もはや戦後ではない”と書かれました。

神武景気は数年続きましたが、景気というものは膨らんだりしぼんだりするもので、やがてしぼんでいきました。しかし、次には「岩戸景気」と言われる、神武景気以上の好景気が到来しました。天照大御神が天岩戸にお隠れになって以来の好景気ということです。その後またしぼんでゆきましたが、次にはオリンピックが東京で開催され、景気がどんどん良くなってゆきました。そして日本は高度経済成長の波に乗り、世界第二位の経済大国になりました。今と少し似ています。アベノミクスに加え、二〇二

〇年には東京オリンピックが開かれます。当時の再現になるといいなと思います。

ただ一つ、大切なことがあります。朝鮮特需という幸運があったことは間違いありませんが、同時に、当時の方が勤勉に働かれたことを忘れてはなりません。

働かなければ景気は良くなりません。一生懸命働かれたその結果、景気が良くなったのです。ですから、その再現を望むのなら現代の私達も一生懸命働いて、一生懸命徳を積まなければいけません。

明治天皇の玄孫の竹田恒泰さんが『日本人が一生使える勉強法』という本の中で「日本が経済大国になれたのは、決して頭の良さや手先の器用さなどが理由ではありません。私達が持っている労働に対する価値観こそ、その原動力だったのです。労働そのものに幸せを感じながら、会社のため、組織のために何ができるかを皆で問い続け、実行してきた協力体制の結果なのです」と言われています。私もそうだと思います。

日本人は昔から、働くことを美徳としてきました。お金を稼ぐことではなく、働くこと自体を美徳としてきたのです。この心が日本の繁栄を根本から支えたのです。

   イギリスの繁栄と衰退の因

現在、世界最大の経済大国はアメリカですが、十九世紀から二十世紀初頭にかけてはイギリスが断トツでした。その発展のきっかけになったのが、サミュエル・スマイルズというイギリスのお医者さんが書いた『セルフ・ヘルプ』という本だと言われています。これを翻訳したのが中村敬宇という人で、今でも『自助論』として出ています。明治時代に最初に出されたときには『西国立志編』という名で出版され、非常に売れたということです。

この本が日本で出版された経緯は、幕末の最後の将軍・徳川慶喜が、イギリスに留学生を送ったことに始まります。

今の世界の基軸通貨はアメリカのドルですが、その頃はイギリスのポンドでした。そのポンドには形容詞がついていて「スターリング・ポンド」と言われていました。スターリングとは「鋼鉄」という意味です。揺るぎのない世界最高の貨幣という意味です。イギリスはそういう強い国でした。その国に慶喜公は、非常に優秀な若者十二人を留学生として送ったのです。そのお目付け役として、中村敬宇をつけました。敬宇は幕府の学校「昌平黌」創立以来の秀才と言われた人でした。

出発に先立って一行は慶喜公に「五年くらいは好きにやってこい。とにかくイギリスのすべてを吸収して、イギリスの繁栄の秘密を突き止めよ。イギリスという国は小さい国である。日本と変わらない。気候も似ている。それなのに、この国力の差はどこから来るのか、それを突き止めよ」と言われて行きました。ところが留学して一年くらいで幕府が潰れて明治になり、急遽帰らなければいけなくなりました。

敬宇はとても真面目な人で、一生懸命いろいろな人に話を聞き、勉強して“せっかく将軍様にイギリスまで送って頂いたのに申し訳ない”と思いながら、泣く泣く帰ることになりました。そこに、イギリスで知り合ったフリーランドという人がやって来て「今、イギリスで一番人気がある本なんだ」と『セルフ・ヘルプ』をくれたのです。その本を帰りの船の中で読んで、イギリスの繁栄の秘密を知ったのです。

当時イギリスは、世界の工業生産の六割を占めていたというくらい繁栄していました。七つの海を征服して世界中に植民地がありましたから、「日の沈まない国」とも言われていました。その秘密がわかったのです。

その秘密を一口に言うと、イギリス人の努力です。要するにその本には「こういう人がこういう努力をしたから、天の助けがあり、こういう良い結果を得た」という、因果応報・善因善果の話がたくさん書いてあったのです。

「イギリス人は個人個人がとても頑張るんだな。頑張るからそこに天が力を与えるのだ」と敬宇は理解をして、船で日本に帰る何か月もの間、何度も何度も読んでほとんど暗記してしまったと言います。

義理堅い敬宇は帰ってすぐ、静岡に蟄居している慶喜公のところに行きました。そして「イギリスの繁栄の秘密がわかりました。これです」とその本を翻訳して『西国立志編』と名付け、慶喜公に捧げました。それが静岡で出版されたのが明治四年です。その本が、福沢諭吉の書いた『西洋事情』と並んで、売れに売れました。本国イギリスでは、「聖書に次いで売れた本」と言われています。

当時イギリスは、医者が多くて、スマイルズも医者としてはうまくいかなかったようです。そこで、もともと文章を書くのが好きだったスマイルズは“文章を書いて生計を立てよう”と思いつき、人々の「伝記」を書き始めたのです。

まず蒸気機関車を発明したスティーブンソンのことを書きました。それが評判を呼び、出版社から新たな依頼が来ました。気を良くしたスマイルズはその後もいろいろな人を取り上げ、その人達の成功談を書いていきました。それが次々に人々に喜ばれ、講演も頼まれるようになりました。

その頃のイギリスも実は日本の江戸時代と同じように階級社会でした。最上位が貴族、その次がアッパーミドルという大地主や高位聖職者、次がローアミドルという大商人、ここまでがジェントルマンと言われていました。その下がワーキングクラスという労働者階級でした。日本の「士・農・工・商」のように先祖代々決まっていたのですが、スマイルズの本を読み、話を聞くうちにみんなが「努力したらどうにかなるかもしれない。天の助けがあるかもしれない」と思い、頑張るようになりました。そうすると、やがてワーキングクラスの人が上に行けるようになったのです。そして、イギリス社会全体が、どんどん変わっていきました。

ただ、スマイルズの時代からだいぶ経ってからのことですが、イギリスはどんどん悪くなっていきます。「英国病」と言われた時代です。

杉山先生がご法話の中で「時代が下って便利になると人間が怠け者になる。働かずに収入を得よう。楽をしようとなってくる。そうなってはいけない。私達法華経信徒はそのようなことがないように、勉強・努力をしなければいけない」と言われていますが、イギリスがそうなってしまったのです。権利ばかりを主張するようになり、労働組合があちこちにでき、ストライキばかり起こるようになりました。

お医者さんや看護婦さんがストライキをして病院が機能しなくなり、給食のおばさんがストライキをして学校が休校になり、ゴミを収集する人がストライキを起こしてゴミが回収されず、街にゴミが溢れ返ってしまいました。また、墓を掘る人がストライキを起こして死者が埋葬されなくなり、トラックの運転手がストライキを起こして暖房用の灯油が配達されず、凍え死ぬ人がたくさん出るという、そんな時代になっていきました。

これが解消され始めたのは、サッチャーさんが登場した頃からです。現在は「英国病」は克服されたと言われています。

人間は便利になるとだんだん怠け心が芽生えてきますが、そこを律していかなければいけません。天の助けというものは、努力をした人、徳を積んだ人にしかきません。是非、徳を重ねて天佑神助がありますよう、頑張って頂きたいと思います。