今日一日、至誠を尽くす信念が人を教化します

掲載日:2015年4月1日(水)

至誠の教化

先代の日達上人はとても本がお好きな方でした。子どもの頃、学校から帰ると毎日のように本屋さんに行かれたそうです。二、三日顔を見せないと本屋さんが「風邪でもひいたのかな」と心配するぐらいだったそうです。その影響か、私も子ども達も本が好きで、よく家族で本屋さんに行きました。

この頃では、書評を見てインターネットで買うことも多くなりました。

つい最近のことですが、ある週刊誌の書評欄に世界的な柔道家の山下泰裕さんが「わが人生最高の十冊」を紹介しておられました。十冊のうち何冊かは私も読んだことがあり、感銘を受けた本でした。山下さんと相通ずるものを感じ、うれしい思いがしました。

特に、第一位に挙げられた『下坐に生きる』(神渡良平著)は私もとても感動し、多くの人に勧めました。山下さんもまとめて十冊買われて友人、知人に配られたそうです。

「下坐」とは、人間としての土台を築くために、自分を人よりも低い位置に置いて修養に励むことを言います。

京都に本部を置く一燈園という団体では、下坐行として会員さん達がバケツと雑巾を持って一軒一軒「便所掃除をさせて下さい」と言って家を回るそうです。

こんな話があります。

トラックのクレーンのトップメーカー、タダノの相談役、九十四歳の多田野弘さんという方のお話です。多田野さんが四十歳で専務だった時、お父さんから突然経営をまかされました。しかし社員の多くが、まだ若い多田野さんの言うことを聞こうとしませんでした。困り果てていた時「関西経営者団体連合会」主催の講演会に誘われました。そこで一燈園の創立者・西田天香さんの講演を聞き、西田さんの「どんな人も下坐行によって人間を作ることが大切だ」という話に感動し、「私にもその下坐行をさせて下さい」と頼み込み、バケツと雑巾を手渡されました。

その日から家々を回り「あなたのお宅の便所を掃除させて下さい」と頼みますがことごとく断られます。百軒、二百軒回っても断られました。どうにかしてさせて頂こうと思い、農家の奥さんに土下座をして頼みました。すると真剣さに心打たれた奥さんが「わかりました」と、ようやく便所掃除をさせてもらうことができました。便所を洗いながら多田野さんは涙が止まらなかったそうです。そして「この気持ちだ。社員一人一人に対してこの気持ちを抱かなければいけない」と思いました。

そうして下坐行を重ね、四国の香川に帰った時にさまざまな改革を行ないました。まず「今まで自分は、社員というものは監視・管理をしなければ怠けるものだと思っていた。そうではなく、働いてもらえるのはありがたいと感謝しなければならなかったのだ」と思いを改め、それまでの日給制を月給制に変えました。また、四国で初めて週休2日制を導入しました。社員もそれを意気に感じ、会社は生まれ変わりました。

現在タダノは年商一千億円の大企業です。これも多田野さんが下坐行に励み、心を変えられた成果だと思います。

   至誠を尽くす

西田天香さんの高弟に三上和志さんという方がおられます。『下坐に生きる』の第一章に、その三上さんの感動的な話が出ています。三上さんが自分の体験をある病院で講演した時のことです。

その病院の院長さんが感銘を受け「実はこの病院に少年院から預かっている十八歳の結核の患者がいます。容態が悪く、あと十日持つかどうかです。この少年にぜひ先生のお話を聞かせてやりたいのです。ただこの少年は、両親も身よりも何もなく非常にすねています。もしかしたら三上さんの話にも聞く耳を持たないかもしれません。でもとにかく一度、人間としてこういう風に生きるべきだと教えてあげたい。お願いできませんか」と言いました。

三上さんが承諾すると院長が「結核は伝染性の病気ですから、うつる可能性がありますので、万が一のためマスクをし、白衣を着て行って下さい」と言いました。三上さんは「そんなことをしたら話はできません。伝染すると決まったわけではないし、私は特別なものは何も身に着けずに行かせてもらいます」と、隔離されている少年の部屋に行きました。少年は痩せこけ、顔には黄疸が出ていて、死の直前という雰囲気でした。院長が「気分はどうかね。少しは食べてるかね」と尋ねると顔を背け、何も言いません。

次に三上さんが「眠れるか」と聞いても何も言いません。院長が「こちらの方は三上先生という立派な方だ。私はすばらしいお話を伺い非常に感動した。君にも聞かせてやりたいと思って来て頂いたんだ。体もつらいだろうけど、少しだけお話を聞かないか」と言い、三上さんが「どうだ。話を聞いてくれるか」と尋ねましたが何も答えないので「せっかく来たんだから何か言えよ」と言うと「うるせえ」と怒り出してしまいました。院長は「駄目ですね。引き揚げましょうか」と言いましたが、三上さんが改めて少年を見ると、人恋しそうにじっと三上さんの方を見ていました。それを見た三上さんは「院長は帰って下さい。私はここで一晩看病させてもらいます」と言いました。院長は「それはいけません。一晩もこの部屋にいたら絶対にうつります」と言いました。

しかし「我が子ならそうするでしょう。うつるかどうかはわかりません。明日はどうなろうとも今日一日、私は至誠でありたいのです。今日一日、至誠であったなら明日死んでも悔いはありません」と言いました。「そこまで言われるのなら」と院長は出て行きました。

二人きりになって三上さんが「一晩看病させてもらうぞ」と言うと少年は「物好きな奴だな」と答えました。そこで「お前の両親はどうしているんだ?」と聞くと「そんなもん、知るか」とぶっきらぼうに言いました。

「知るかと言ったって、両親が無くてお前が生まれるかい」

「おれはなぁ、うどん屋の下女から生まれた父無し子だ。親父はお袋のところに遊びに来ていた大工だった。お袋が妊娠したって聞いた途端、来なくなったってよ。お袋はおれを産み落とすとそのまま死んじまった」

「そうか」

「うどん屋じゃ困ってしまい、人に預けて育てたんだとよ。そしておれが七つの時に呼び戻して出前をさせた。学校には行かせてくれたが、いじめられてばかりでろくなことはなかった。店の主人からはいつも殴られていた。ちょっと早めに学校に行くと朝の仕事を怠けたと言って殴られ、ちょっと遅れて帰ると遊んで来たなと言っては殴られた。食べるものも、客の食べ残ししか与えられなかった。だから十四の時に飛びだしたんだ」

「何をして暮らしたんだ」

「神社の賽銭泥棒だ。だがな、近頃はしけててあんまりお賽銭は上がっていない。そこで新興宗教のお賽銭箱を狙ったんだ。でも、すぐばれて警察に捕まって、少年院に送られたが、直に肺病にかかってここに入れられたんだ」

「そうか、いろんなことがあったんだな。せっかく来たんだ。足でもさすろう」と言って三上さんが布団をめくると、骨と皮だけで腐敗したような臭いがしました。それでも三上さんが足をさすり始めると「おっさんの手は柔らかいなあ」と言いました。

「何言っとるんじゃ。男の手が柔らかいはずがあるか」

「いや柔らかい。お袋の手のようだ」

お母さんに触れられたことなどなかったのでしょう。生まれて初めて人に触れられた喜びだったのかもしれません。

しばらくして少年に食事を食べさせますが、余命あと十日程の体ですからほとんど食べられずに残して、「おっさん、夕食はどうするんだ。おれの残りを食べないか」と言いました。結核患者の残り物など食べたらそれこそ病気がうつってしまいます。しかし、ここまできたらうつったらうつった時と覚悟を決め「よし、じゃあ、もらうぞ」と合掌して食べました。すると「おっさん、おれのやったものを食べてくれたな。おれのやったものを食べた奴はおっさんで二人目だ」と言いました。

少年の言うもう一人とは、少年が子どもの頃に出会った近所の女の子のことです。その子は親と喧嘩をして家出をしていて、おなかをすかせていました。その子に自分の持っていた大事なパンをあげたら、とても喜んで食べてくれたそうです。

そうこうするうち、少年は三上さんに「一つだけお願いがある」と言いました。なかなか素直に言えませんでしたが「一度でいいから、おとっつぁんと呼ばせてくれ」と言いました。「わかった。おとっつぁんと言ってみろ」と言うと、何度もためらいながらついに「おとっつぁん」と言いました。「おう、ここにいるぞ」と三上さんが答えると、少年は大声を上げて泣き出しました。そして、いつのまにか三上さんにさすられながら眠りました。

翌朝、少年は「おっさん、昨日ここで話をしたと言ってたな。おれにもその話をしてくれ」と言いました。三上さんは「今朝は高校へ話にいかなければいけないから長い話はできんが、少しだけ話すぞ」と言って話し始めました。

「卯一(少年)、お前は何のために生まれて来たか知っとるか」

「そんなこと。男と女がいちゃいちゃしたから、子どもができたんだ」

「そんなことじゃなくて、生まれてきた意味はわかるか」

「そんなこと、わかるか。腹がへったら飯を食うだけだ」

「飯を食うためだけじゃ、寂しくないか。それだけじゃないぞ、人生は。誰かの役に立って、ありがとうと言われたらうれしいと思うだろう。そうだ、お前が何も食べていないという女の子にパンをやった時、その子は『お兄ちゃん、ありがとう』と言っておいしそうに食べたろ。それを見て、お前もうれしかったろ。誰かの役に立てた時、人はうれしいんだ。お前は今まで誰かの役に立ったかい」

「おれは駄目だ。おれはもうじき死ぬんだよ。命がないんだ。人の役に立てって言ったって、今さら何ができるんだ」

「できる、できる。まだまだできるぞ」

「起き上がることもできないおれに何ができるというんだ」

「なあ、卯一。お前はここの院長先生やみんなに良くしてもらって死んでいける。だから、みんなに感謝して死んでいくんだ。憎まれ口をきくのではなく、ありがとうと言って、手で、心で合掌して死んでいくんだ。それがせめてもの恩返しだ」

「おっさん、わかった。これまでおれは気にいらないことがあると、『院長の馬鹿野郎、殺せ!』って怒鳴っていた。これからは言わないことにするよ」

「そうか、できるかい。努力するんだよ」

「そのかわり、おっさんもおれの頼みを聞いてくれ」

「何だ、言ってみな」

「おっさん、高校に行くと言ったな。中学校や小学校にも行くのか?」

「行くよ」

「そうしたら、子ども達に言ってくれ。親は子どもに小言を言うだろうが、反抗するなって。おれって男がしみじみそう言ってたって」

「反抗したらいけないのか」

「いやな、小言を言ってくれる人があるってのはうれしいことだよ。おれみたいに、言ってくれる人が誰もいないってのは寂しいもんだ。それに対して文句を言うってのは贅沢だよ」

「なるほど、そういうことか。わかった。私は命が続くかぎり、お前が言ったことを言ってまわろう」

そう言って三上さんが部屋を出ようとした時、少年が「おっさん、手を握らせてくれ」と言いました。三上さんの右手を握った卯一の手はとても冷たく細い手でした。「それじゃ、これで帰るぞ」と言っても「もう行くのか?もう行くのか?」と何度も何度も三上さんを呼び止めました。

三上さんが院長室に戻ってしばらくすると、若い医師が部屋に入ってきて「卯一がたった今息を引き取りました」と告げました。そしてその医師は「不思議なことがありました。あいつはみんなの嫌われ者で、気にいらないことがあると『殺せ!殺せ!』とわめきたてていたのに、まるで人間が変わったようでした」と言いました。三上さんが「どういうことですか」と聞くと「私が診察に入って行くとニコッと笑ったのです。

“おっ、今朝は珍らしく機嫌がよさそうだな”と思って、いざ診察にかかろうとすると妙に静かです。『卯一!卯一!』と呼んでみましたが、反応はありません。死んでいたのです。“お前ほどかわいそうな境遇に育った者はいないよ”と思いながら、はだけていた毛布を直そうとしたら、毛布の下で合掌していたんです!」

それを聞いて三上さんも院長も涙が止まらなくなりました。三上さんは「卯一、でかしたぞ。よくやった。合掌して死んでいくなんて、すごいなあ、すごいぞ。私も約束は忘れんぞ。命のあるかぎり、講演先でお前のことを語り、死ぬ直前まで『親を大事にしろ』と言っていたと伝えるぞ」と、少年が目の前にいるように語りかけました。

三上さんの至誠が少年の仏性の花を開かせたというお話です。