何事(なにごと)も一生懸命やりましょう

掲載日:2016年7月1日(金)

余分なことを考えずに一生懸命

「わび茶」の大成者であり、豊臣秀吉に仕えた茶道三千家の始祖・千利休が、ある茶会に行った時のお話です。利休を招待した人が亭主となってお茶をたてましたが、亭主は緊張のあまり茶杓でお茶を取る際に震えて、こぼしこぼしやっていたそうです。出席者はみな、口を押さえて笑ったといいます。ところが、亭主が何とかお茶をたてて出すと利休はそれを飲み、「あっぱれな点前であった」と言ったそうです。

昔からお茶の世界では「慣れなければならないが、慣れてはならない」と言われています。慣れなければならないとは、熟練しなさいということです。慣れてはならないとは、惰性に陥ってはいけない、震えながらの、初心の心を忘れないようにせよ、ということです。

お茶の世界ではまた「生まれて初めて点前に立ち向かった時の初心を忘れないように。初めてたてた一服も生涯でたった一度。二服目もたった一度。過ぎ去った時の流れが再び戻ってこない以上、どの瞬間もどの所作も生涯たった一度であることを忘れず、慎んで立ち向かいなさい」と言われます。つまり「一期一会」の精神です。

青山俊董という禅宗の尼僧さんが、あるお寺に出向かれた時のことです。ご法話の前に全員がご住職の唱導で「仏法聴聞の心得」を読まれたそうです。

「一つ、このたびのご縁は今生初めてのご縁と思うべし。一つ、このたびのご縁は私一人のためのご縁と思うべし。一つ、このたびのご縁は今生最後のご縁と思うべし」

法尼はこれを聞き“すばらしい”とすぐにメモをされたそうです。

「今生初めてのご縁」とは、何回も聞いている話であっても、いつも初めて聞く話だと思って聞かなければならないということです。

沢木興道という禅宗の高僧も「大事なことは耳鳴りがするほど聞きなさい」と言っています。どんなお話も初めて聞くつもりで聞くと、そこにはその時々の悟りがあるものです。

また「私一人のご縁」とは、私のために話してくださっていると思わなければいけないということです。

そして「今生最後のご縁」とは、また聞けると思ってはいけない。次はないという気で聞きなさいということです。

ご法話をするにあたっても、慣れてくるとよくありません。また、上手くやろう、ほめてもらおうと思うと雑念が入ってよくありません。「今生一回」と思って一生懸命にすることが大切です。

ある信教師さんが報恩講習会で話をされた時、「非常に緊張した」と言われました。

「家族や知り合いも聞きに来ていたので、時計も見られないくらい緊張したけれども、一生懸命話をしていたらちょうどその時間に終えられてホッとした」と言われました。私はその方に「何より一生懸命やるということが大事です。すばらしかったですね」と申し上げました。

鎌倉の円覚寺の管長・横田南嶺上人は生涯独身を貫き、現在六十歳くらいになられます。若くして管長になられ、本を何冊も書いておられますし、すばらしいお話をされる方です。その横田上人が「母はありがたいです。どこに行っても話を聞いてくださった方から『管長猊下、ありがたいご法話でした』とほめてもらえますが、母には必ず『またいい加減なことを言ってからに』と言われてしまいます。でもこれがいいのです。みながみなほめてくださると慢心してしまいます。しかし母は、茶化すように言うのです。それが実はありがたいのです」とおっしゃいました。お母さまが横田上人を初心にもどしてくださるのかもしれません。

岐阜支院の前主管・丹羽上人から聞いたお話です。昔、鈴木慈学上人はお元気な頃、講日のたびに岐阜に赴かれていました。現在は月に一度夜の講日がありますが、以前はお昼だけでした。ある時、一人の信者さんが“たまには夜の法座もやっていただけませんか”と言われるので、丹羽上人が慈学上人に相談をしたところ「昼に来て、そのまま夜までいてやればいいから」と夜の法座もされるようになりました。しかし、夜はあまり人が集まらなくてだんだん減っていき、とうとう、一人になってしまいました。

そこで丹羽上人が慈学上人に「今日は信者さんはお一人だけですが、どうされますか」と聞くと「やるよ」と言われ、お勤めの後一対一でご法話をされたそうです。講日の後、丹羽上人が「次回もし一人も来られなかったらどうしましょうか」と聞かれると、「柱に向かってご法話をすればいい」と言われたそうです。慈学上人には、うまく話そうとか、人から良く思われたいというような気持ちが一切無く、ただ法華経を正しく、一生懸命に説くという心のみだったのです。

慈学上人の言われたことを実際にやられた方がいます。中国の竺道生というお坊さんです。法華経・法師品には「若し說法の人、獨空閑の處に在って、寂寞として人の聲なからんに、此の經典を讀誦せば、我爾の時に爲に、淸淨光明の身を現ぜん」とあります。“説法をする人が、誰も何もないところで法を説いていたら、私が清浄光明の身をそこに現す”とお釈迦さまはおっしゃるのです。また「若し人空閑にあらば、我天・龍王、夜叉・鬼神等を遣わして、為に聽法の衆となさん」ともあります。“誰もいないところで話をしていても、必ず聴いている人がいる。またそのようにする”とお釈迦さまはおっしゃるのです。竺道生はこれを証明したのです。

道生は、四世紀の半ばから五世紀の初めに活躍した人です。この人は幼少時に出家して、十五歳の時すでに法座に昇っていたといいます。四十歳くらいの時、妙法蓮華経を翻訳した鳩摩羅什三蔵が首都・長安に入りました。それを聞いてすぐに駆けつけ、弟子入りしました。するとたちまち羅什門下四傑の一人と言われるようになったのです。

鳩摩羅什は法華経を翻訳しましたが、道生はその注釈書を書きました。最古の注釈書で「法華経義疏」と呼ばれています。また五時八教につながる「教相判釈」によって、お釈迦さま一代の教えを「善浄法輪」「方便法輪」「真実法輪」「無余法輪」とに分けて説明しています。

「善浄法輪」は在家信者のために説かれた教え。「方便法輪」は声聞・縁覚・菩薩のために説かれた教え。「真実法輪」は法華経。「無余法輪」は涅槃経です。

涅槃経に関しては前半部分の「大般泥洹経」だけが道生の時代に伝わっていたのですが、実はその中に“正法を誹謗するような悪い人(闡提)は絶対に成仏できない”とありました。ですから当時の人は“正法の悪口を言うような人は絶対に成仏できない”と信じていました。それに対して道生は「それは仏さまの真意ではない。仏さまは一闡提までもすべてを成仏させるという考えの方だからそれは違う。この涅槃経には続きがあるはずだ」と反論しました。そのため追放され、蘇州の山奥にある虎丘寺に隠棲を余儀なくされました。

しかしひるむことなく「我が所説は、もし経義に反すれば現身において癘疾を表さん。もし実相と違背せずば、願わくば壽終の時、獅子の座に昇らん」と誓言し、以来毎日、山川草木に向かって法華経と涅槃経を説き、また闡提成仏の義を説くと、ある時、たくさんの石が首肯したと言います。喜んで飛び跳ねる石もあったそうです。仏さまが「道生の言うとおり、間違いない」と石を化身として教えを示されたのです。法師品に書かれていることが起こったのです。

そして何年かのち、涅槃経の後半部分が中国に伝わってきました。道生の言う通り「すべての人が成仏できる。一闡提も成仏できる」と書いてありました。すると、それまで道生の説に反していた人たちがその先見の明に感服したと言われています。

道生は晩年故郷の廬山に帰り、生涯を送りました。最後は誓った通り、廬山で法座に昇って、説法が終わると同時に眠るように入滅したということです。

今、虎丘寺があった場所には虎丘公園があります。そこには、道生が法を説いた時に動いたという石「点頭石」が祀られています。点頭とは“うなずく”という意味です。道生の法を聞き、うなずいた石ということです。

いついかなる時も、真実を抱いて、一生懸命にやることが尊いということです。