争いは不幸を招きます 堪忍を実行しましょう

掲載日:2017年11月1日(水)

私達法音寺の信仰をする者は昔から、堪忍の話を耳にタコができるくらい聞いてきましたが、堪忍は日本人にとっては昔から重んじられてきた修養徳目です。
江戸時代、テレビの『暴れん坊将軍』として有名な徳川吉宗公の頃に石田梅岩によって創始された『石門心学』という学問が庶民の間に広まりました。仏教・神道、そして儒教の教えを融合させ、わかりやすく道話にした教えです。
経営の神さまと言われた、松下幸之助さんはこの『石門心学』を大変尊び、これに倣って戦後「繁栄によって平和と幸福を」という理念のもと「PHP研究所」を創設されました。道話はほとんどが日常の修養の話です。そして、堪忍の話も多いのです。その中から今回は二つ紹介します。

ある村に心学の偉い先生がいました。その先生は村の人達を集めて「堪忍の二字を守りなさい」と熱心に教えました。すると、一人の老人が「先生は〝かんにんの二字を守れ〟とおっしゃるけれども、〝かんにん〟は四字ではないですか」と言いました。先生は「堪忍は二字だ」と一生懸命説明するのですが、老人にはさっぱり通じません。そのうちに先生が「堪忍は二字だ!四字なわけがないだろう!馬鹿者!」と言って怒りだしてしまいました。すると老人はニコニコしながら「わたしは〝かんにん〟の四字を守っていますから腹が立ちません。やっぱり〝かんにん〟は四字ですな」と言ったということです。これは先生が一本取られたおもしろい話ですね。

もう一つの話です。

江戸時代から京都は織物、染め物の街です。上京あたりに呉服商を営む老夫婦がいました。子宝に恵まれず、家業をつぐ者がいませんでした。かなりの身代であったので、その親類縁者が夫婦の寄る年波を案じて養子をもらうことをすすめました。そして二十人ばかり養子の世話を受けたのですが、皆、偏屈な老夫婦に辛抱ができず数十日で逃げ出してしまいました。

最後に来た養子は余程の覚悟を決めていたのですが二カ月経ってみると、〝なるほどこれまでに辛抱する者がいなかったことがよくわかった。老夫婦の気むずかしさには堪忍できないものがある。もう辛抱の限界だ〟と思いつめていた時、老夫婦が大工を呼んで、新しい障子を作り、それを敷居・鴨居に建て合わせるのにあれこれと指図をしていました。家は大分古くなってゆがみが出ていたのですが、大工は障子をはめてみては、障子の上を削り、下を削るなどしてピタリと建て付けました。

当の養子はそれを見ていて、ハタと気がつきました。〝敷居、鴨居は家を建てた初めよりあるものであり、新たに建て付けた障子は後からのものだ。古いものと新しいものとの関係は、老夫婦と自分のようなものだ。老夫婦の家に入ったからには、気に入らないことがあっても、後から入った自分が気に入るように努めるべきだ〟と養子は悟ったのです。

〝障子の建て付けが悪いからといって敷居や鴨居を削る大工はいない〟養子は大工の仕事を見て自分の愚かさを知ったのです。
それからというもの、老夫婦を懇ろに世話をし、とても感謝され、その末期を見届け、家名を相続したということです。

心学道話はこのようにわかりやすい話が多いのです。

法音寺では「堪忍」と言えば村上先生、村上先生と言えば「堪忍」です。その村上先生が一番堪忍されたのが杉山先生御遷化後の仏教感化救済会の財産問題です。

会を思う人達の中には裁判をすすめる人もあったそうですが、村上先生は「冷たき法律に依って事態を処置したならば、私の三十年来にわたって修養して来た堪忍の徳もたちまち水泡に帰するのである。必ずやこれは、諸仏善神が私を試験されているのだ」と言われ、裁判をされず、堪忍強く交渉され、円満に解決されました。この後、支部も増え、会員数も激増しました。正に村上先生の堪忍修行の賜であろうと思います。〝裁判は争いであり、堪忍破りであるからしない方が良い〟というのが村上先生のお考えですが、最近同じことを言われる弁護士に出会いました。

ベテラン弁護士の〝争わない生き方〟が道を拓く』という本の著者・西中務さんです。

西中さんは言われます。「話し合いで解決しないから裁判をするわけですが、裁判をしなくてすむならそれ以上のことはありません。争えば争う程心がすさんできます。また、身体にもよくありません。本来は、争いと無縁の日々を送る方が幸せなのですから。争わずに和解で解決すると、相談者が幸せになるケースが実に多いのです。いかに和解するかを考えることも弁護士の大事な仕事だと思っています」

そんな西中さんですが、若い頃は〝争って勝つことがすべてだ〟と思っていた時期もあったのです。しかし、ある出来事をきっかけに考え方が変わったそうです。

ある大きなスーパーの中で精肉店を営んでいる人がいました。スーパーのオーナーから「別の精肉店が入ることになったから、出て行ってほしい」と急に言われ、西中さんの所に相談に来ました。「これは損害賠償金を請求できますよ」と言うと、その人は「七年間もお世話になってきたオーナーに、そういう後ろ足で砂をかけるようなことはしたくない。ただこの先どうしたらよいかを相談に来たのです」と言うのです。そう言われて若い西中さんには大したアドバイスができなかったようです。

その後、その人がどうしたかというと、きれいに掃除をして、入る前と同じ状態にしてオーナーに丁寧にお礼を言って出たそうです。するとオーナーが、もっと条件の良い新しい出店場所を人脈を使って紹介してくれました。新しい場所で商売は大変繁盛し、もう一店舗出そうということになりました。その時、前のオーナーから「戻ってきてほしい」という話があり、元の場所に二店舗目を出したところ、どちらも繁盛しているそうです。

こんな話もあります。

交通事故にあった男性の話です。その男性はむちうち症で苦しんでいて、加害者に損害賠償を請求する裁判を起こしたいということでした。男性は身体よりも精神がかなりまいっていて、会社も休みがちになり、笑顔もほとんどありませんでした。西中さんは男性の精神状態を心配して、和解をすすめました。加害者に請求できる金額としては少なくなったとしても、とにかく早く解決した方が良いと判断したからです。

男性は和解による早期解決を選びました。

裁判をすれば、一年以上かかるところが数カ月で解決し、ある程度の賠償金をもらうこともできました。するとむちうち症の症状がなくなってしまったのです。彼がウソをついていたのではありません。むちうち症は実際に精神的・心理的理由で悪化することがあるのです。またむちうち症からうつ病になるケースも多いそうです。
この男性は和解することで、本当に心が楽になり、身体も楽になったのです。
西中さんによると、交通事故にあった時、1円でも多くとってやろうという考え方をする人は、大金が入ったとしても、何年か後にその金額以上の大金を失ったり、トラブルを起こして大きな損失を出したり、身体を壊したりすることが多いそうです。

最後に西中さんの言葉です。

裁判をしなくてすむならそれ以上のことはありません。そんなことを言うと、〝弁護士の仕事がなくなる〟と同業の弁護士から苦情が出るかもしれませんが、争うことを焚きつけて勝利を勝ち取り、喜ぶ弁護士よりも、真の幸せを求めて争わない道を探る弁護士でありたいと私は常に思っているのです」
どんな時にも、やはり堪忍が一番ですね。皆さん、堪忍を身の守りといたしましょう。