与える生き方

掲載日:2021年8月1日(日)

株式会社アビリティトレーニングの代表で現在セミナー講師として全国的に有名な木下晴弘さんは、関西の学習塾のカリスマ講師でした。
 どんな生徒でも木下先生にかかると必ずやる気が出て、成績が上がったといいます。木下先生は生徒のやる気を出させるためにいろいろな話を考えて授業をされたそうです。

木下先生は言われます。
「授業に集中してほしいと思うのなら、いきなり授業をしてはいけません。ウォーミングアップが大事です。わずか数分でも良いので、授業の前に生徒の心に火をつけるような話をしてやるのです。生徒はそれだけで大きな変化を見せます。子ども達の心は素直で柔らかい。だからストレートに感激し、結果的に物事への意欲が高まるのです」
 木下先生は絶えず、生徒を感動させる話をされました。中でも「東京通信工業の話」は一番よくされたそうです。
「みんな、東京通信工業という会社を知っているか。東京通信工業は戦後すぐに東京の白木屋というデパートの一室を借りて発足した会社だ。まだ東京が焼け野原だった時代だ。数名の人間が19万円の資本金で始めた。この会社は経営が全くうまくいかず、何度も潰れかかった。何を作っていたと思う。(生徒は「トランシーバー」とか「電話」とか言います)実はこの会社は電気炊飯器を作っていたんだ。(生徒は驚きます)それが不良品の山で、どんどん負債がたまっていったんだ。どうにもならなくて、お金を稼ぐために作ったのが粗末な電気座布団だった。どうにかそれで経営をつないでいる時に、会社の経営陣は何を思ったか、“何故会社を創ったのか、また先々こういう会社になるんだ”という理念を作ろうとしたんだ。
 それから十年して経営陣は、『今度は社名を変える』と言い出したんだ。『ようやく経営が軌道に乗りかけたばかりなのに、せっかく社名も認知されてきたのに、なぜ社名を変えるのか』と銀行も文句を言ってきたんだ。それに社名を変えたら、名刺も封筒も全部刷り直して経費がかかるしな。銀行が文句を言うのもあたりまえだ。その時に経営陣が言ったんだ。『この名前では世界に通用しないんです』と。それを聞いた銀行の人は、『潰れかかっていた会社の人間が何を言ってるんだ』と笑ったそうだ。それでも経営陣は頑なに主張したんだ。結局銀行の人達も折れて、社名は変更された。新しい名前は『ソニー』だ」(生徒は騒然となります)

木下先生は続けて「ソニーも昔は東京通信工業というおんぼろ会社だったんだ。君達、今日配ったテストの成績、悪かったな。でもな、全然落ち込むことはないぞ。これから頑張ってソニーのようになればいいんだ」と言って生徒を励ましたそうです。生徒達は本当にやる気になって、一生懸命勉強を始めたそうです。

 その後、あるお母さんから先生に電話がありました。
「先生、一体何をおっしゃったんですか。『俺はソニーになる』と言って息子が突然、勉強をし始めたんです。大丈夫でしょうか」と。木下先生は「心配ありませんよ。ソニーですか。いいじゃないですか」と笑いながら言ったそうです。
 生徒達はソニーの話に心を揺さぶられ、〝自分も一つやってやろう〟と思ったのです。私はこの話が大好きです。

以前の『法音』に書きましたが、本田宗一郎さんにもよく似た話があります。この話も私が大好きな話です。
 ホンダも戦前は、トヨタの下請けでした。ある部品で50個中、47個もの不良品が出たことがあったそうです。その時は毎日明け方まで、機械にしがみついて良い製品を作ることに専念されたそうですが、当時のことを本田さんは、「私が一生のうちで最も精根を尽くしたのはあの頃である。〝ここで私が挫折したら、みんなが飢え死にする〟と頑張った。しかし、仕事はさっぱり進展しなかった。月末の給料も払えないことがあった、絶体絶命のピンチだった」と話しておられます。しかし、そんな時でも朝礼の時にはミカン箱の上に立ち、社員に向けて「日本一になると思うな。世界一になるんだ」と言い続けていたそうです。そして逆境を乗り越え、ソニーと同じように「世界のホンダ」となったのです。
「トヨタ自動車・中興の祖」と言われている石田退三さんが、勝海舟の有名な言葉「わしは恐ろしい男を二人見た。一人は横井小楠、一人は西郷隆盛だ」を真似て「わしはこの歳までに恐ろしい男を二人見た。無茶苦茶と言おうか、我々の頭では計りようのない大発明家だ。その二人とは、一人が豊田佐吉、もう一人が本田宗一郎である」と言われています。
 本田さんとともに働いた名副社長の藤沢武夫さんが「本田はあきらめない男だった。遠い夢をいつも追い続けていた。『今期の売上はいくらだった』などというようなことは言ったことがなかった」と言われています。
 ホンダと言えば世界的には自動車よりオートバイの方が有名です。オートバイといえば、誰もが知るのがアメリカのハーレーダビッドソンです。そのハーレーが倒産しそうになったことがありました。その時に匿名のものすごい寄付があったそうです。後にわかったのですが、その匿名の寄付は本田さんでした。“オートバイの神さまのような会社がつぶれてはいけない”と寄付をされたそうです。

現代の経営の神さま、稲盛和夫さんが松風工業という会社を辞め、京セラを創業された時、技術者だった稲盛さんはいきなり社長になって、経営の仕方が全くわかりませんでした。それで、勉強のため経営セミナー等に参加したそうです。
 ある時、旅館での一泊二日の経営セミナーに行きました。夜の時間に本田さんの講演が予定されていましたが、なかなか本田さんが来ません。皆、ジリジリして待っていたところに本田さんが油でべたべたのツナギを着て、手も油まみれで帽子をかぶって来たそうです。そして「こんなところで経営なんて勉強できないぞ。皆、自分の職場に帰って一生懸命働け」と、参加者を叱咤したということです。稲盛さんは「この時の本田さんの雷のような言葉で目が覚めた」と言っています。

木下先生の話に戻ります。先生は言われます。
「人間は長所を伸ばすよりも、短所を改善する方が大事だと思っている人が多いです。これが良くないのです。お母さんから『先生、うちの子は数学はできるんですが、英語の点数が良くないんです。どうしたらいいですか』と聞かれた時、私は『数学を突き抜けさせてください。苦手な英語ではなくて、徹底的に得意な数学にのめり込ませてください。そうすると自然と英語もできるようになりますよ』と言います」
 数学が良くなると、英語の苦手意識も段々となくなっていくそうです。不思議です。
 木下先生は逆に「『数学は得意だから、やらなくてもいい。苦手な英語を頑張りなさい』と言うと、得意だった数学の成績も下がり、英語もそれほど良くならない」と言われます。これは人生全般にもいえるようです。誰でも悪いと思うところを直そうとしますが、効果が少ないようです。時には全く逆効果になってしまうこともあります。

芥川龍之介が、『酒虫』というおもしろい短編小説を書いています。主人公は劉大成といいます。
 劉さんはたいそうなお金持ちで大酒飲みでした。朝から盃を離したことがなく、毎日一斗飲んだといいます。一斗は十升です。それでも二日酔いになることもなく、よく働いていたといいます。「飲のために家産がわずらわされるような惧は、万々ない」と記されています。傍目には欠点と思われるようなことであっても、実害がなければ別に問題ではないのですが、ある日、異国の僧侶が現れ、劉さんを一目見るや、こう言ったのです。「あなたは大変な病気にかかっている。酒を飲んでも、酔うことがないであろう。それが病の証拠だ。腹中に酒虫がいる。それを除かないと、あなたの病気は一生治らない」
 劉さんは、その僧侶に言われるまま、酒虫なるものを除くために、紐で体をグルグル巻きにされて、日向干しにされました。真夏の炎天下で待つこと半日、一匹の山椒魚のような虫が口から出てきました。その虫は劉さんの胃袋の中で酒につかって、酒を飲み続けていたのです。酒虫が劉さんの飲む酒を飲んでいたのです。酒虫がいなくなってからというもの、酒を見るのもいやになり、全く酒が飲めなくなりました。ところがそれと同時に、劉さんは以前の元気さを失い、病気がちになり、家産も傾き、土地も人手にわたってしまいました。

 芥川龍之介は言います。
「酒虫は劉さんにとって福の神であって、病ではない。たまたま愚かな蛮僧に遭ったがために、この天与の福を失うことになったのである」
 お酒を飲むことは劉さんの元気の素であり、短所ではなく不可欠のものだったようです。この寓話は〝人の短所よりも長所に目を向けよ〟と教えています。

 ドイツの文豪ゲーテが言っています。
「悪い物を悪いと言ったところで一体何が得られるだろう。けなすことより、ほめることである。けなされて反省する人はほとんどいない。人の欠点を直そうとしたら、逆に良いところをほめることである。本当に他人の心を動かそうと思うなら、決して非難してはいけない。誤りなど気にしてはいけない。良いことだけを見るようにすればいい。大切なのは壊すことではなく、人間を作り上げることだ」

木下先生は保護者面談の時に、お母さんによく次のように聞いていたそうです。
「お母さん、お子さんにどうなってほしいですか?」
 お母さん達は「もっと勉強ができるようになってほしい」と答えます。
 木下先生がさらに「じゃあ、なぜ成績を上げたいんですか?」と聞くと、お母さん達は「○○高校に入ってもらうためですよ」と答えます。
「なぜ○○高校に入ってほしいんですか?」
「一流大学に入ってほしいからです」
「なぜ一流大学に入ってほしいんですか?」
「それは一流会社に就職するためです」
「なぜ一流会社に就職してほしいんですか?」
「安定した生活を送ってほしいからです」
「なぜ安定した生活を送ってほしいんですか?」
 どんどん質問していくと、答えが出てこなくなる時があるそうです。お母さん達は長時間考えこんだ末に皆、同じ答えを言うそうです。それは「子どもに幸せになってほしいからです」という本質的な答えでした。
 それを聞いて木下先生は、教え子達が幸せかどうか気になって、かつての教え子達に片っ端から電話して、「今、幸せか?どうだ?」と聞いたそうです。すると「幸せですよ」と言う人もいれば、「全く幸せではない」と言う人もいました。「幸せだ」と言う人達にも「幸せではない」と言う人達にも、それぞれ共通の特徴がありました。
「幸せだ」と言うグループは〝周りの人を喜ばせることに喜びを感じて生きている人達〟でした。会社では〝お客さまに喜んでもらおう〟と日々熱心に仕事をしている人達です。「幸せではない」と言うグループは自分中心で、「給料が少ない」とか「正当に評価されていない」とか自分のことばかり言う人達でした。
 読者の皆さんはよくおわかりだと思いますが、自分が幸せになりたければ、まず周りの人を喜ばせるようにしなければいけません。「与える生き方」が大事です。「与え合う生き方」と言ってもよいと思います。
 木下先生は現在、生きるメッセージを伝えるために全国をまわっておられます。
 終わりに木下先生のベストセラー『涙の数だけ大きくなれる!』から「たった一つの社訓」を紹介します。それはこんな話です。

ノードストロームというアメリカのデパートチェーンがあります。顧客満足度が非常に高い会社で、元は靴屋さんから始まりました。その経営理念が独特です。〝お客さまの喜ぶことをしよう〟が、たった一つの社訓なのです。彼らが最も大切にする価値は、この一言に凝縮されています。
 ある日のこと、ノードストローム社の靴売り場に一人の婦人がカタログを持参してやってきました。そして、頁を開いて一枚の写真を指差し、「この靴をください」と言いました。しかし、あいにくその靴は在庫が切れていました。こういう場合、普通の店はそのままお客さんを帰さず、似たような靴を紹介し、「こちらはいかがですか?」とか、「こちらもよくお似合いになると思います」と勧めるものです。しかし、その店員はそうしませんでした。婦人に在庫が切れていることを告げた後、「この靴がある場所はわかっております。どうぞご案内いたします。こちらです」と言ったのです。どこへ行くのかと思ったら、店を出て、表通りの向かい側にあるライバル店の前まで誘導し、そして恭しく婦人に言ったのです。
「靴はここにございます。お客さま、こちらでお求めください」
 婦人はすっかり感激し、店員に言いました。
「私はこれほどすばらしいサービスを受けたことがありません。私のためにここまでしてくれるあなたの店をこれからはお抱えにするわ」
 婦人は実際、お店をお抱えにできるほどの大富豪だったのです。むろん店員は、そんなことなど知っていたわけではありません。あくまで婦人を落胆させないため、喜んで帰ってもらうためだけにしたことなのです。ところが結果としてライバル店にお客を案内するという行為が、回りまわって会社に大きな利益をもたらしたのです。
 店員もさぞほめられたことでしょう。
 興味を持たれた方は『涙の数だけ大きくなれる!』をぜひお読みください。

『涙の数だけ大きくなれる!』
      木下晴弘 著
  出版社 フォレスト出版