愛情をもって人に接しましょう

掲載日:2020年10月1日(木)

お盆の頃になると、あるタクシーの運転手さんの話を思い出します。
「毎年8月12日に泊りがけで東京に遊びに行く同僚がいるんですよ。特別な記念日なんだそうです。名古屋に来る以前、彼は東京で働いていました。昭和60年8月12日、東京の郊外でお客さんを乗せて羽田空港へ向かっていたのですが、その途中でタイヤがパンクしてしまったのだそうです。普通なら通りがかったタクシーに乗り換えてもらうのですが、その時はタクシーが全く来ず、パンクが直ってから羽田空港に向かいました。ちょうど羽田空港に着いた時に、そのお客さんが乗る予定だった日本航空123便という飛行機が飛んで行ってしまいました。お客さんは『しょうがないな。まぁ、パンクは君のせいじゃないし、今日は大阪へ行くのはやめて、東京で一杯飲んで家に帰るわ』と言って、一杯ではなく、いっぱい飲んで自宅に帰ったそうです。酔っぱらって家に入り、奥さんに『ただいまー』と言うと、奥さんが腰を抜かす程驚いたそうです。日本航空123便は群馬県の御巣鷹山で墜落していたので、奥さんは御主人が死んでしまったものと思い込んでいたのです。だから、〝こんなに早く幽霊が出るのか〟と驚いたということです。その方は事情を聴いて、〝そうか、あのパンクのお陰で命拾いをしたのか〟と、翌朝一番にタクシー会社に電話をして、『羽田空港まで乗せてくれた運転手さんを探してほしい』と頼みました。すぐに見つかって再会を果たし、『君の車に乗ったお陰で私は命拾いをしたよ。8月12日は私の命の記念日だ。毎年、君がどこにいても私がご馳走をするから東京に遊びに来てくれ』と言われ、それからずっと続いているということです」

日本航空123便が墜落したのは、ちょうどお盆の頃でしたので飛行機は満員でした。520人の方が亡くなり、奇跡的に4人の女性が助かりました。
その時、乗る予定だったのに幸運にも123便に乗らないで済んだ人達がいます。有名なのは明石家さんまさんです。さんまさんは毎週、日本航空のこの時間の便に乗って大阪に帰っていましたが、たまたまその日『オレたちひょうきん族』という番組の収録がとても早く終わったので、マネージャーが気を利かせて、123便をキャンセルし、その一便前の全日空便に振り替えて難を逃れたのです。
 
さんまさんは、この経験を機に東京―大阪間の移動などは新幹線を利用するようになったそうです。また「生きてるだけで丸儲け」という座右の銘も、こうした経験から来ているようです。

ほかにも、女優の麻実れいさんや、タレントの稲川淳二さん、アナウンサーの逸見政孝さん一家、ジャニー喜多川さん等が搭乗する予定でしたが、幸運にも乗らずに難を逃れられています。

逆に乗る予定ではなかったのにキャンセル待ちをしていて、123便に乗ってしまった人達がいました。キャンセル待ちの人は空港で待っていて順番に呼ばれるのですが、ある人の直前で「123便のキャンセルはこれ以上ありません」とアナウンスがありました。その人は、その時は〝運が悪かったな〟と思ったのですが、後でとてつもない幸運だったとわかるのです。その人は〝生かされた〟と思ったそうです。〝自分は、神さまか仏さまかはわからないが何か偉大なものに生かされた。すぐ前の人までが飛行機に乗って亡くなり、自分は生かされた。心して、この命を世の中のためにもっともっと大切に使わなければいけない〟と強く思ったそうです。その人はお医者さんでした。それから「国境なき医師団」のような活動に参加し、生涯、貧困地域や紛争地域の医療に貢献をされたということです。

私達も同じだと思います。今この時この瞬間に、私達は生かされているのです。心臓を自分で意識して動かしている人はいません。心臓は偉大な力によって動かされているのです。つまり、生かされているということです。生かしていただいていることに対して、前述のお医者さんのように〝世の中のために何かをしなければいけない〟と思うべきだと思います。ただ、そのお医者さんのような活動をすることは万人にできるものではありません。私達一人ひとりが日々心掛けるべきことはもっと身近なことで良い、と私は思います。
それが雑宝蔵経に説かれる「無財の七施」(※)です。日常の中で、お金がなくても身体が弱くてもできる施しです。布施は仏道修行の第一です。それを身近でする方法がこの「無財の七施」です。
この中に「言辞施」(言葉の施し)があります。人をほめたり、励ましたり、また慰めたり、いろいろな形で言葉の施しはできます。

新型コロナウイルス感染症で亡くなった志村けんさんがエッセイに書いておられました。

ある番組収録後に“今日のコントはものすごくうまくできた”と思っていたそうです。うまくできたということは、とてもおもしろかったということです。打ち上げの時に「今日のコントどうだった?俺はめちゃくちゃおもしろかったと思うけどみんなはどうだった?」とスタッフに聞くと「いや、本当におもしろかったですよ」と言いました。「じゃあ、そう言ってくれよ。おもしろかった時は『おもしろかった』と言ってくれよ」と志村さん。要するに〝ほめてくれよ〟ということです。スタッフの一人が「志村さん程の人にいちいち『おもしろい』なんて言ったら失礼かと思っていました」と言ったそうです。

志村さんの言葉です。
「表現は悪いけど〝豚もおだてりゃ木に登る〟。これが大事。本来、木に登れない豚が木に登ってしまうことからわかるように、ほめられることによるその効力はすごい。それくらいほめ言葉には人の潜在的なパワーを引き出す力があるんだよ」

先代日達上人のご法話の後に、当然ですが「今日のご法話は良かったです」といちいちほめに来る人はいませんでした。京都に木下さんという、とても信仰熱心なおばあさんがおられました。この方が御法大会で本山に来られ、日達上人のご法話を聞かれました。そのご法話の直後にメモをした紙を持って日達上人のところに来られました。そして、「今日のお話は本当にすばらしかったです。こことここに本当に感激いたしました。この部分をもう少し詳しく教えていただけないでしょうか」と言われたのです。
日達上人は大変喜ばれて、「木下さんは本当によく聞いてくださっているなあ」と言っておられました。そのお姿を見て、やはりご法話を聞いて〝「あそこが良かったです。ここが良かったです」と具体的に申し上げた方がいいんだ〟と思いました。自分に置き換えて考えてみますと、ご法話の後に「あそこが良かったです」とか「ここがためになりました」等と言われると本当にうれしいものです。老若男女問わずどんな人でもほめられたいものです。けなされたいとか叱られたいというような人は世の中にいません。

昔、動物の調教師さんの話を読んだことがあります。動物に何かを教える時に叱ったり、叩いたりして教えると、なかなか覚えないそうです。逆にほめて教えると、その何分の一かの時間で覚えてしまうそうです。人間だったら尚のことです。

明治の文豪、夏目漱石にはたくさんの門下生(安倍能成・小宮豊隆・内田百閒・森田草平・寺田寅彦・久米正雄・芥川龍之介など)がいました。漱石は人を育てるのがとても上手かったのです。その秘訣の一つは、漱石が「ほめ上手」だったという点にあるようです。芥川龍之介に『鼻』という短編小説があります。今昔物語から題材をとった作品で、鼻が大きくて悩んでいるお坊さんが登場する、滑稽な描写と機知に富んだ結びが特徴のお話です。
この作品が発表された時、漱石はすぐに読み、新人作家だった芥川に手紙を書き送りました。
「あなたのものは大変おもしろいと思います。落ち着きがあって、ふざけていなくて、自然そのままのおかしみがおっとり出ているところに上品な趣があります。それから材料が非常に新しいのが目につきます。文章が要領を得て、よく整っています。敬服しました」

手放しのほめようです。ほめ言葉のオンパレードです。

漱石ほどの大先生であれば、少しは改善点を指摘するアドバイスがあるものです。しかし、漱石にはそういうものが一切ないのです。ほめちぎっているのです。これが芥川だけでなく、ほかの弟子に対しても同じでした。みな漱石から手紙をもらうのを楽しみにしていました。手紙を読むたびに門下生達は幸せな気分になったといいます。
芥川への手紙の結びは次のようなものでした。
「ああいうもの(『鼻』のような作品)をこれから二、三十並べてご覧なさい。文壇で比類のない作家になれますよ」

そして、その通りになりました。
当然、本人の素養があったわけですが、漱石のほめ言葉によって、大作家が数多く誕生したことは間違いありません。

古来、日本人は、言葉には「言霊」というように、不思議な力が宿ると信じてきました。特に愛情のこもった言葉にはとても大きな力があります。

『法音』誌上で何度か紹介をした元特別支援学校教諭で作家の山元加津子先生は、とても愛情深い方です。山元先生が特別支援学校に新任で勤められる前年に、特別支援学校での教育が法律で義務化されました。山元先生が赴任した特別支援学校の近くには知的障がいや身体障がいのある子ども達の施設がありました。そこから、通える子は車椅子で通ったり、あるいは先生に手を引かれて通って来ました。施設の中には学校に通えない、まったく動けない子の部屋がありました。ラジオもテレビもない静かな部屋で誰からも声をかけられず、柵のついた白いベッドに子ども達は寝ていました。その中のちいちゃんという子を山元先生は担当することになりました。医師でもあるその施設の園長先生が言うには、「ちいちゃんには脳がないため、目も見えず、耳も聞こえず、何もわからないので、そばで好きな本でも読んで過ごすように」とのことでした。ちいちゃんには命をつかさどる場所である脳幹はあっても、高度な精神作用をつかさどる大脳がありませんでした。それでも山本先生はそんなちいちゃんを可愛いと思い、毎日のように抱きしめたのです。当時、ちいちゃんは15歳でしたがとても体が小さく、寝たきりだったので手足が拘縮して硬くなって、骨ももろくなっていたそうです。山元先生がちいちゃんに「可愛いね。大好きだよ」と抱いたり揺らしたりして声をかけ続けたある日、看護師さんから「大変なことがわかりました」と山元先生に連絡がありました。最初は、〝自分が抱きしめたことでちいちゃんが骨折したのでは〟と山元先生は心配したのですが、そうではありませんでした。

看護師さんが言いました。

「あの部屋の子ども達は、手も足も全く動かしませんし、音も立てません。だからとても静かな部屋なのです。ところが8時のオムツ換えをしている時に、ちいちゃんだけが、手足をバタバタ動かすんですよ。〝どうしてなのだろう?〟と思っていたのですが、わかりました。山元先生、あなたがやって来るからです。ほかの人の足音とあなたの足音を聞き分けて、ちいちゃんはあなたが来るのが待ち遠しくて手足を動かすんです。あなたが来るのを喜んでいるんです」

その報告を聞いて、山元先生はうれしくてうれしくて声を上げて泣いたそうです。

その後、山元先生はより一層ちいちゃんに寄り添うようになりました。「可愛いね。大好きだよ」と言う時、ちいちゃんは微笑むようになりました。「今日はこれで帰るね」と声をかけるとちいちゃんは泣くようになりました。ちいちゃんは誰からも話しかけられたことがないのに、不思議なことに言葉の意味がわかったのです。また、くすぐり遊びをすると、ちいちゃんは笑ったのです。そのことを、園長先生に報告すると、「単なる反射にすぎません。脳がありませんから」と言われましたが、山元先生は〝少し違う〟と思いました。くすぐることを繰り返していると、山元先生がくすぐる前にちいちゃんは笑うようになったのです。つまり、ちいちゃんはくすぐられるのを察知したのです。園長先生の言う「単なる反射」ではなく、「期待する気持ち」があったのです。その後、山元先生が絵本を読むと、何の知識もないはずのちいちゃんが、いつも悲しい場面で涙を流したのだそうです。

山元先生は言われます。
「どんなに重い障がいがあっても、またどんな状態にあっても、誰もが深い思いを持っているという確信を持ちました」
真の愛情をもって言葉をかけ、接すると、大脳がなくても、必ず心の深奥に伝わるのです。すばらしいことです。
この体験から山元先生の特別支援学校での教員生活が始まり、その後、数々の愛にあふれた奇跡を起こすことになるのです。興味のある方はぜひ、山元加津子先生の本をお読みいただきたいと思います。

※無財の七施
1 眼施 やさしい眼差しで人に接する
2 和顔悦色施 にこやかな顔で人に接する
3 言辞施 やさしい言葉で人に接する
4 身施 自分の身体でできることで奉仕をする
5 心施 人のために心をくばる
6 床座施 人に席や場所を譲る
7 房舎施 自分の家等を人に提供する