褒め合って明るい人生を送りましょう

掲載日:2013年3月1日(金)

山首上人さまの御遷化に際しまして大勢の方に御弔問頂きました事、まずお礼を申し上げます。ありがとうございました。これから全山上げて山首上人さまのご遺志を継ぎ、三徳の実行、広宣流布に励んでいきたいと思います。変わらぬご支援をお願い致します。

  山首上人さま最後のご教化

山首上人さまは、一昨年十一月から八事日赤病院に入院してみえました。どこが悪いという事はなかったのですが、子どもの頃に肺の病気を患われて、その影響でだんだん衰弱されてきたようです。ですから入院中も痛いとか苦しいという事は特にありませんでした。最期は母の手を握られて、安らかに眠るように息を引き取られました。

山首上人さまは本当に本がお好きで、入院中もずっと読んでおられました。中でも特に冒険小説がお好きで、一晩に二冊くらい読まれる事があったくらいです。とにかく読むのが早く、また、本のソムリエと言ってもいいくらい、山首上人さまが面白いと言われた本は本当に面白くて、私もよく読ませてもらいました。年末になりますと、その年の冒険小説の面白かったランキングがいろいろな雑誌に出るのですが、そのランキングよりも山首上人さまが選ばれるランキングの方が面白いのです。映画もお好きで、面白いと言われた映画は本当に面白い映画でした。

小学生の頃から映画に連れて行ってもらいましたが、ディズニーとかではなく、大人の映画でした。その影響で私は、冒険小説と映画が今でも大好きです。

痛いとか苦しいという事のない入院生活でしたが、唯一悔いが残られたとすれば、皆さんの前でご法話ができなかった事でしょう。

「明日、講日ですよ」とお伝えすると、「法話に行きたいけど行けそうにないな」と落胆してみえました。

昨年十一月三日の御法推進全国大会の直前には、家内がお昼に伺って「御法推進全国大会で何か皆さんにお言葉をいただけませんか?」とお聞きしたところ、

「生きているうちしか罪障消滅ができないから、一生懸命に生きているうちに徳を積むように、と伝えて下さい」

と言われたという事です。これが最後のご教化となりました。

通夜・葬儀の時にそのお心を戴いて「命ある限り、徳を重ねていきましょう」と皆さんにお話しさせて頂きました。

  山首上人さまの孝行

山首上人さまは、昭和三十七年十月に法音寺の山首になられ、五十年以上も山首として過ごされました。御開山上人が六月七日に亡くなられて三
十二歳の時、突然、全部の長になられました。法音寺も大学も昭徳会も、また昭徳会各施設の長も全部されたのです。私だったらまいってしまうのではないかと思います。

その時、法音寺には銀行に莫大な借金がありました。一説によると当時のお金で一億円くらいあったという事です。その大半は、日本福祉大学をつくる為に御開山上人が借りられたものです。それでも足りず、お寺のお金をどんどん使われたそうです。どうしてそのような事になったかというと、大学をつくる時に国から出るはずだった援助が、警察予備隊(自衛隊の前身)をつくるという事で関係予算が削られたのです。

そのため、全額自己資金でやらなければいけない事になりました。先生方は一流の人を呼びたいという事で、国立大学の教授並みの高額な給料を払い、研究費も充分出し、住む所も提供する事にしました。一方学生の方は、とにかく志のある人にはみんな来てもらいたいという事で、国立大学の学生並みの安い月謝にして、住む所も提供されました。

出るのが多く、入るのは少なく、国からの補助金もないのですから毎年、ものすごい借金がかさんでいったのです。それを山首上人さまは全部引き受けられ、お寺も大学も昭徳会も、御開山上人の当時より何十倍も大きなものにされました。大学は福祉の総合大学になり、昭徳会は日本でも有数の社会福祉法人となりました。法音寺も、大本堂を建立され、支院の数も増え、各支院のほとんどすべてを建て替えられました。ですから、本当に大親孝行をされたのではないかと私は思っています。

  偉業の理由

このようになった理由を考えてみました。一つ目は、御開山上人から受け継がれた事業に強い使命感をもって真剣に取り組まれた事です。

二つ目は、いつも人を喜ばせようと思い、そのように行動されていた事です。信者の皆さんはもちろんの事、施設の職員も、子どもたちも、ご老人たちも、皆さんに喜んで頂こうと、それだけを考えて日々やってみえました。

そのお徳も大きいのではないかと私は思うのです。ご教化を受けられた方はご存知だと思うのですが、お話を聞いてもらうだけで、山首上人さまのお顔を見るだけで何だか元気になりました。それだけで罪が取れたような感じになられた方も多いと思います。

三つ目は、山首上人さまが明るい方だった、という事です。いつもユーモアたっぷりでした。

  山首上人さまのユーモア

山首上人さまはよく面白い事を言われました。普通の人には気もつかないような事を、面白く言われました。私が小学生の頃、家族で田舎の蕎麦屋さんに入った事がありました。山首上人さまは天ぷら蕎麦を注文されました。大きな天ぷらがのっていましたが、それを見て山首上人さまは「これは坊主天ぷらだな」と言われました。

「なぜですか」とお聞きすると「衣ばかりで中身がない」と言って笑われました。大学の食堂のとんかつも衣ばかりなので「あれは坊主とんかつだな」とか、そういう自虐ネタも含め、面白い事をよく言ってみえました。とにかく人を笑わせるのがお好きでした。

山首上人さまはそういうジョークも含めて、とにかく明るい方でした。普通の人ではつぶされてしまいそうな厄介な事も、深刻には受け止めない方でした。「まぁ何とかなるぞ」というところがあったのです。これは御開山上人から引き継がれた性格だと思います。御開山上人が生の松原のハンセン病の施設で何もなくなった時に「何もない。着る物も食べる物もお金もないですよ。しようがないから歌でも歌いましょうか」と言われたそうです。そういう発想はなかなか浮かばないものです。

先ほど申し上げた大学の話もそうです。大学の経営はどんどん借金がかさみ、火の車となりました。そんな中でも毎年、年末にはお寺で忘年会が行なわれたそうです。普通、忘年会というと楽しいものですが、大学の先生も職員も皆さん、暗い顔をしてみえたそうです。「来年は大学ないかな…給料もらえるかな…」と。そこで御開山上人は皆さんの顔を見ながら言われたそうです。

「皆さんの想像されるとおり大学の経営は火の車です。しかし、火の車は回るのが妙ですな」

皆さん煙に巻かれ、しばらくは、大笑いされたそうです。

そういうところが山首上人さまにもおありになりました。普通の人だったらつぶされそうな深刻な事でも、山首上人さまには深刻ではなかったのです。私はこういう事がリーダーには本当に大事だと思います。

  ビクトール・フランクルの心理療法

私の尊敬する人にビクトール・フランクルという、ユダヤ人の精神科医であり、心理学者でもあった方がいます。この方はナチスドイツ、ヒットラーの造ったアウシュビッツという強制収容所に入れられて生き残った方です。そのフランクルが「あの過酷な状況から生き残るために必要だったものは『ここを出たらこういう事をする』という強い願望と、ユーモアのセンスだった」と言っています。「ユーモアは魂の武器だ」とも言っています。

この強い願望とか目的意識というのは、フランクルの提唱したロゴセラピーという心理療法に集約されています。

絶望的な状況になると誰しも人生に期待できません。そこでフランクルは「人生に期待するのではなく、人生から自分は何を期待されているかを思え」と言うのです。要するに“自分の使命を思え”という事です。

アウシュビッツに於て、娘さんがどこかで待っているという人には「その娘さんの為に生きなければいけないじゃないか」と言い、やりかけの仕事があるという人には「その仕事をやり遂げるのがあなたの使命だ。その仕事があなたを待っている」と言って励ましたそうです。そのように励まされた人たちは皆、生き延びたというのです。

またフランクルは、アウシュビッツに収容されているという絶望的な状況の中で毎日、面白い話を考えてみんなにしたと言います。そして仲間もまた、面白い話を考えて話しました。それも生きる糧になったのです。

  高柳和江さんの笑い療法

山首上人さまのようにユーモアたっぷりにお話をするのはなかなか難しい事ですが、人に笑顔になってもらう良い方法が実はあります。 “褒める”事です。褒められると誰でも笑顔になります。よくお話ししますが、笑顔になるだけで人間の体調というのは良くなるのです。笑顔でいるだけで過酷な状況を耐え抜く事が出来ます。

最近は、笑いを治療に取り入れているお医者さんがたくさんいらっしゃいます。その代表が高柳和江さんという女医さんです。ある時、高柳さんが青森県の知事さんに「自殺率を下げて欲しい」と頼まれました。青森県は自殺率が全国二位で、知事さんは「どうにか自殺率を下げたい」と考えていました。そこで、高柳さんは元々やっている笑い療法を取り入れる事にしました。高柳さんの笑い療法とは“褒め合う”事です。

まず、県の職員を集めて一日数時間、それを三日間、笑いのワークショップとしてされたそうです。内容は非常に単純です。最初に隣同士向き合います。人間は向き合うと自然に笑顔になるようです。それから、ジーっと見つめ合い、相手の方の全体を見ます。そして、褒めるところを探します。次に片方が褒めたら、もう片方が褒めます。そういう事を交互に繰り返します。しかし、突然言われてもなかなか人を褒める事はできないものです。でも不思議なもので、一つ二つ褒めだすと次から次に見つかるそうです。

その時に注意事項があります。例えば服装を褒める時「その服なかなかいいですね」というふうに褒めるのではなく、「その服を選ばれたセンスが素晴らしいですね」というふうに褒めるのです。要するに、とってつけたように褒めてはいけないという事です。他にもいろいろな事をやりますが、それが中心です。

三日間やった人について、高柳さんはこんな事を言ってみえます。「初日にリュウマチで杖をつきながらやっとの思いで来たご婦人が、三日経ったら『もう杖なんかいらない』と言って帰って行かれました」と。リュウマチが劇的に改善されたのです。また、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で三十年近く人前でマスクを外せなかった男性が、三日後の記念撮影ではマスクを外して、にっこりピースをしたと言います。

他にもアンケートを取ると「活力が湧いてきた」「頭の回転が良くなった感じがする」「職場にいやだと思う人がいなくなった」「自分の事を好きになった」「自殺しようと思っていたがやめました」などという回答がありました。

褒め合うという事、笑うという事、明るいという事が大事なのです。

皆さんこれから山首上人さまをいろいろなところで思い出されると思いますが、あの笑顔を思い出されると思い出した瞬間に、きっと元気になれるに違いありません。