『いつも人を喜ばせる』 そのことを心がけましょう。

掲載日:2013年9月1日(日)

布施の徳 血を吸う「ヤブ蚊」へも布施の行

毎年、杉山先生のご命日に団扇をご供養させて頂いております。いつ頃からどういった理由で団扇になったのか、詳しくは私も知りません。日達上人に聞いておけばよかったと思っていますが、奈良にある律宗の唐招提寺も毎年5月19日に「団扇まき」の行事をして、団扇を集まった人々に供養するそうです。そのいわれは鎌倉時代の覚盛上人にあります。

覚盛上人は戒律をよく守られた、慈悲の深いお方だったそうです。ある夏の法会の時、昔は冷房もありませんから窓も扉も開け放して法要をしていました。当然蚊が入ってきて、覚盛上人の所にも来ました。お弟子さん達が蚊を追い払おうとすると覚盛上人は「そんなことをしてはいかん。私は今布施をしている。血を与えることも立派な布施行だ」と、たしなめられたそうです。

杉山先生にも同じような逸話があります。ヤブ蚊が腕に止まって血を吸い始めた時、そのまま少し待って、飛び去ろうとする蚊に「もういいかね」と言われたそうです。

  敷居に住む虫をも救う

5月19日に覚盛上人が遷化された時、近くの尼寺である法華寺の尼僧さん達が手作りの団扇を奉納されました。その理由は「極楽浄土に行かれて蚊が寄ってきたら、団扇で扇いで追い払って下さい」ということだったようです。覚盛上人ならきっと、あの世でも団扇は使わずに、蚊が来れば血を吸わせられるのではないかと思いますが、そのようにして始まった団扇の供養が毎年続いているのです。

「殺生戒」を守ることは大事なことです。南方仏教のお坊さん達は、小さな虫を踏み殺さないようにと、下を向いて歩いています。だから日本からの旅行者が蚊取り線香を持っていくと、すごく嫌がるそうです。

杉山先生も、虫ケラと人々から嫌われる生き物の命にまで心を配られました。例えば障子の開け閉め一つでも「障子の敷居にはいろいろな虫が眠り、あるいは憩っている。荒々しく開け閉めしてそれらの虫を驚かしてはならない。誤って殺してしまってはなおさら可哀想である。炊事をする時でも、熱湯などは滅多に流すものではない。流しの下にも虫がいる。虫も人間と同じように命が惜しいのだよ」と常に言っておられたということです。

  命を大切にする

うちの子どもが小学生の時のことです。近くの興正寺に蝉取りに行きました。するとある家族が、蝉を取るのですが、子どもに何かを言ってすぐに逃がしていました。何を言っているのかなと思い、近づいて聞いてみると「蝉の命は短いからな、もう離してやっていいだろ」とお父さんが言っていました。そして、取っては逃がし、取っては逃がしていましたが、これは良いことだと思い、私も真似をさせて頂きました。

生き物の命を大切にすることは素晴らしいことだと思います。

  すべての命を生かす

杉山先生は「幸せになりたければ、そして、人生で成功したければ、諸仏善神に守護されなければならない。悪神に憑りつかれたらどうにもならない。悪神に憑りつかれると悪いことが楽しくなり、どんどん深みにはまってしまう。とにかく徳を積み、罪障消滅をして、諸仏善神に好かれるような行ないをしなければならない」と言われました。

徳を積み、罪障消滅をすることが諸仏善神に好かれるもとですが、生き物の命を尊び、生き物も食べ物も、とにかくすべての物を生かすことはとても大切です。

ある時、御開山上人が腐ったたくわんを臥竜山の畑に捨てて本部に帰って来られたら「あれは腐っても食べられるから取っていらっしゃい」と言われ、もう夜になったのに臥竜山まで取りに行かれたそうです。そのたくわんを御開山上人が持って帰られるとそれを料理し直し、食膳に出されました。それは「ご飯がもう一杯食べられるほどおいしかった」と御開山上人は言っておられます。

そのように、本当に物を大事にし、物を生かされました。御開山上人は杉山先生に倣い、大荒行の修行中こんなことを言われています。

「自分は今まで、ご飯をこぼしたり捨てたりしたら『もったいないことだ』と考えていた。しかしそういう考え方ではなく、米に命を与え、米の命を全うしてやる、と考えた方がいい。米を頂いている我々は、米のおかげで働くことができ、徳が積める。だから、一生懸命徳を積んで働き、米の命を自分の中で全うさせてやろう」

このように考えると、すべての命が生きてくると思います。

  人を喜ばせる布施行

杉山先生は「周りの人を喜ばせるように」ということをいつもおっしゃっておられました。その実践として、次から次に物を施されました。

ある日、杉山先生が出かけられた先で信者さんから「いい羽織ですね」と言われました。杉山先生は「あぁそうかね」と言って、その羽織をその場であげられたそうです。ですから、羽織が一枚もなくなってしまったことがありました。しかし出かけなければならないので困っていると、祖父江先生が杉山先生に自分の羽織を貸されました。祖父江先生も一枚しか羽織を持っていなかったので、後日自分が羽織を着て法座に出かけようと思った時「申しわけありませんが羽織を返して頂けませんか」と言うと「あれはもう無い。○○さんが『いいですね』と言われたからあげてきた」とおっしゃられました。祖父江先生は「他人の物さえ施してしまわれたのか」と驚いたというお話です。

私もこの話の真似事をしたことがあります。豊川支院にお邪魔した時、大高先生が「正修上人、いい数珠をお持ちですね」と言って下さったので、すぐに差し上げました。信行道場を修了した時に頂いた記念の数珠で大切な物でしたが、差し上げました。大高先生もとても喜んで下さいました。

その後、大高先生がご遷化された時、納棺の際に小森先生が「大高先生がとても大切にされていたお数珠です。棺の中に入れてあげましょう」と言って納められた数珠が、あの時差し上げた数珠でした。とても嬉しかったことを覚えています。

何でも施すというのは難しいことですが「何か人を喜ばせよう」と思って普段から行動することが大切だと思います。

  ささやかな心遣い

三徳開教百年史の別巻に掲載されている信者さんの体験談のお話をさせて頂きます。

「私は三徳の修養をするようになって、まず今日までの自分の生活を反省してみました。そして、いろいろな無駄や寒心すべき行ないに気づき、慄然としました。それからは妻と共に語らい合い、悪い行ないは治すようにしました。八百屋に行ったらなるだけ品物の悪い物や小さい物をよって、それをねぎらず買ってくるようにしました。そうすれば後から買いに行った人達は良い品物を買うことができ、その人達を間接的に喜ばせてあげられるし、ひいては八百屋さんも喜ぶでしょう。すべて買い物はこんな風にしてやることに改めました」

またこんな話もあります。

「私の友達に市電の車掌をしている人があります。その友達が『職務上一番困るのはラッシュアワーなどの時、電車賃の釣銭を出す時だ。甚だしい時は6銭の電車賃を払うのに、10円札で出す人がいる。こんなのは番外だけれど、それでも50銭札なんかで出す人はいくらでもある』と申しました。私はこれを友達に聞いてから、必ず電車に乗る前に釣銭のいらないように6銭の用意をしておくことにしております。こんなささいなことですけれど、これで少しでも車掌さんに迷惑をかけずに済ませられたらと思って実行しております。私は電車に『乗ってやるぞ』という気持ちより『電車に乗せて頂く』という気持ちが大切だと思っております」

素晴らしい心がけだと思います。

  人を幸せにする

「まわりの人を幸せにする55の物語」という本に、信者さんの体験談に通じるようなお話が載っていました。まず巻頭の言葉です。

「誰でも簡単に幸せになれるたった一つの法則を御存知ですか。ある人はこの法則を知って、嫌なことがあってもすぐに腹を立てなくなりました。またある人は、普通で単調な毎日がワクワクしたものに感じられるようになりました。その法則とは社会に貢献すること。もっと簡単に言うと、人を幸せにすることです。『人を幸せにしてなんで自分が幸せになるの?』と思うかもしれません。でもちょっと思い出してみてください。

初めて電車で席を譲った日、床に落ちているゴミを片付けた日、なんだかすがすがしい気持ちになりませんでしたか。たぶんその時、すがすがしかったのはあなただけではありません。席を譲られた人、きれいな床の部屋で過ごせた人、周りでそれを見ていた人、みんなが幸せな気分になれたはずです。日々小さな幸せを感じられれば、あなたの毎日は今よりもっと幸せになるのではないでしょうか。

みんながささいな変化を起こし始めたら、世界はもっと幸せな所に変わるのではないでしょうか。大きな声ではいえませんが、実はもう世界を変える為に動き始めた人達がいるのです。彼らは秘密結社、その名を『国際救助隊』と言い、人や社会に貢献することを喜びとして、今できることから行動しています」

『国際救助隊』は、この本の著者がインターネット上のサイトで「いいことをしたら書き込んで下さい」と呼びかけ、それに応じて書き込みをした人達のことです。

先程の法音寺の信者さんの体験談も、杉山先生が「皆さんいいことを思いついたり、いいことをしたらどんどん救済会に教えてください」と呼びかけられたことにより、集まってできたものです。

それでは、サイトに投稿されたものをいくつか紹介しましょう。

「高速の料金所で、いつも黙々と精算して下さる係りの人にかける言葉を『どうも』から『ありがとう』に変えた。笑顔になる人が多く、気持ちがよかった。これからは毎回『ありがとう』と言います」

「おしゃれな花屋さんのレジに列が出来ていました。時計を見ながらちょっとソワソワ気味の若い男性がいらしたので『お先にどうぞ』と列の順番を譲りました。そして『プレゼントですか』と聞いたら『はい、そうです』と嬉しそうでした。こちらもウキウキした気分になりました」

「先日、閉店間際の回転寿司屋に行きました。私はいつも回っている寿司を見ながら『新鮮な寿司がほしい』と席にあるモニターでオーダーしていました。けれど妻は毎回、回っている寿司しか手に取りません。あまり気にしていなかったのですが、少しくたびれたようなハマチに手を出したので『こっちでオーダーすると活きのいいのが来るよ』と言うと『これ、このままにしておいたら捨てられちゃうじゃん』と言います。私は思いました『まさかお前も国際救助隊の隊員か』と」

「なにかおいしい物を食べた時は、作ってくれた人への感謝の気持ちが伝わればいいなと、必ず『おいしい』と言うようにしています。特に母が作ってくれた時、実際すべてがおいしいから自然に言えます。それに『おいしい』と言えば、もっとおいしく感じられます」

小さなことですが、このような心遣いが自分と周りとみんなを幸せにするに違いありません。