陰日向なく功徳を積み重ねましょう

掲載日:2014年1月1日(水)

勤倹と陰徳 危機からの脱出法

京都に、小さなモーターを作っている日本電産という会社があります。その会社の社長・永守重信さんは、かつて入社試験を「早食い」や「大声」で決めたという非常に面白い方で、名物社長さんです。会社は日本有数の超一流企業です。その日本電産は去年の秋くらいから株価が下がり、最近また倍くらいになりました。いったいどういうことかと思っていたところ、プレジデントという雑誌に永守さんの文章が載っていました。それを読んで事情がわかりました。

書き出しが永守さんらしくて面白いのですが、「危機ほど楽しいものはない。困難と出会うたびにそう思う。克服することで会社がますます強くなるからだ」と言われています。松下幸之助さんも「好景気よし。不景気なおよし」と言われましたが、よく似たところがおありです。

二〇〇八年のリーマンショックの時、日本電産も減収減益の大打撃を受けたのですが、その時、全社員に「これからよくなる改善策はないか」と問いかけたところほぼ全社員が改善策を出し、永守さんはそれを全部実行したと言うのです。いい案だけを取り上げたのではありません。全部の案を実行したところ、二〇一〇年には過去最高益を達成したということです。

しかしその二年後、想定外のことが起き、急にモーターが売れなくなりました。タブレット(簡単に持ち運べるパソコンのようなもの)が普及してノートパソコンが売れなくなったのです。永守さんの会社で作る超精密モーターはパソコンには使われていますが、タブレットには使われていませんので、タブレットが普及するに従ってモーターが売れなくなったのです。その状況を見て永守さんは「タブレットは普及すると思っていたが、ここまで来るとは読みが甘かった」と言われています。そこで永守さんはそれまで貯めていた資金を使い、工場のラインを大転換しました。大転換できた理由を、

「一つの事業が上向きになり、儲けを出し始めたらそれだけで慢心して立派な家を建て、高級外車を乗り回す社長がよくいる。余裕資金を贅沢の為に使ってしまうのだ。これが失敗する経営者のパターンである。だから私は贅沢をしない。家内も同じ考えで、家政婦を頼むでもなく、一人で家庭を切り盛りしている。そればかりか日本電産が大会社に成長してからも、いつか悪くなる時が来るのではないかと心配し、子どもの教育資金だけは会社の取引銀行とは別の銀行に預けてきた。

万一、個人補償を求められてもその分だけは手放さなくても済むからだ。今のような順境は絶対に長く続かない。この感覚が私たちの中にはある。伸びる時があれば縮む時がある。縮んだ時にどれくらい持ちこたえられるかが企業の命運を左右する。トヨタ自動車の基礎を築いた豊田英二さんは会長時代に『二兆円もの内部留保を何に使うのか』と問われて『どんな危機が来ても四年間は持ちこたえられるようにするためです』と答えておられる。あの大トヨタですら全く慢心していない。こうした慎重さが永続する企業の一つの条件ではないだろうか」と言われています。

永守さんはトヨタ自動車の会長さんの言葉を座右の銘として一切贅沢せずお金を貯めてこられたので、今回のような危機が来てもすぐラインの転換が出来、回復できたのです。

貯蓄は非常に大事なことです。また、目的をもって貯蓄をすることが、殊に大事です。

   倹約をして何をするか

「明治」になって日本は様々な面で大躍進をしました。その立役者の一人、渋沢栄一翁は、生涯に何百という会社を作って全部人にあげたという欲のない人です。その渋沢翁が、孔子の論語の里仁篇の「子曰く、約を以てこれを失する者は鮮し」を引用して「何事をするにも心を引き締め、慎しやかにやれば失敗は少ない」と、機会あるごとに言われたといいます。

渋沢翁は大正十一年七月一日、関東大震災の前年、時の内閣総理大臣・加藤友三郎氏に呼ばれて就任披露パーティに出席しました。大震災の前、多くの国民が贅沢にふけっているように見えたためでしょう、加藤総理が「世の中が贅沢に流れている。これはよくない。質素倹約を旨とせよ」と言われました。それを聞いて渋沢翁は「ただいまの総理のお言葉は我々にとってまさに頂門の一針である。世間には表に木綿を用いて裏に絹を用いる人もいる。あるいは、一双の屏風に数十万円も投じて喜んでいる人もいる。

単に豪華なものを持って豪奢を誇るのなら、大いに慎まなければならない。ただ、一歩進めて言えば倹約ということは、単に物を節約するという消極的な一方ではよろしくない。昔江戸の大名に倹約主義の人がいた。諸事万端節約を旨とし、その実行に心を砕いた結果、まず家来を排し、犬や鷹を逃がした。最後は自分一人になり、自分が生きているのも無用だと自殺をしてしまった。倹約は大事なことであるが、この大名のように万事消極的では何もできない。経費を節約することも大切であるが、同時に、国家として重要な意味を持つ事業には大いに積極的でなければならない」と言われました。

当時の日本はまだ世界に大きく遅れを取っていました。ですからその席で渋沢翁は「農業も工業も理化学も、すべての分野にお金を投じるべきだ。そのためには国民一同が積極的な倹約をしなければならない」と言われ、万雷の拍手がわいたと言います。

   虚栄心を捨てよ

同じ明治の頃、東京大学の教授でありながら億万長者になった本多静六という人がいます。本多さんは東京大学の林学の教授でありながら当時の淀橋区の長者番付で一位になった人ですが、東京大学を定年退官するにあたって、貯めたお金を全部公共事業に寄付されました。その後、戦争が起こって生活に必要な財産もなくなりましたが、また貯蓄をして長者番付に載ったという稀有な人です。この本多さんが非常に参考になることを言っておられます。

本多さんがされた貯蓄法は、ドイツに留学した時に師事したブレンターノ博士という人に教えられたことでした。このブレンターノ博士が、学者なのに大変なお金持ちだったのです。

ある時、「ブレンターノ先生、何故そんなにお金があるのですか」と聞いたところ「一生懸命働いて貯蓄していけば自然に貯まるものだ。学者だって貧乏生活をしていたら好きな学問もできないし、やりたくないこともやらないといけなくなる。君も日本に帰ったらちゃんと貯蓄を考えた方がいいよ」と言われました。

そこで考えたのが「四分の一天引き貯金法」です。これは、収入が入った時に四分の一天引き貯金をしてしまうという方法です。初めから四分の一はなかったものとして、四分の三で生活し、臨時収入は全額貯金していくのです。

こういうことも言っておられます。「お金をバカにするな。お金をバカにするものはお金にバカにされる。これが世の中の偽らざる実情である。財産を無視するものは財産権を認められる社会に無視される。これが世の中の実情である」

お金が嫌いという人はいませんが、「世の中金じゃない。金なんて」と言う人はいます。それに対して博士は、「そういう考え方はよくない。お金はありがたいと言え」というのです。そして、「勤労して倹約せよ。勤倹の勤とは、精神的または肉体的な生活を意味し、普通に言う勤労とか努力と同じである。

倹とは、物を慎しく使うことで、倹約と同じである。一般に『勤労して倹約せよ』と言うと、いかにも苦しいことを奨めるように考えるが、実は勤倹の生活よりほかに幸福な生活はないのである。あらゆる人生の快楽も富も名誉も、勤倹を通して初めて得られるものである。勤倹すなわち幸福であり、幸福の度は勤倹の度に正比例する」と言われています。「一生懸命働いて貯金をする。それ以上の幸せはない」と言われているのです。

さらに「虚栄心を捨てよ」ということも言われています。

「貯金生活を続けていく上で一番障りになるのは虚栄心である。いたずらに家柄を誇ったり、今までのしきたりや習慣にとらわれることなく一切の見栄をなくせば、『四分の一天引き生活』くらいは誰にでもできる。自分の値打ちが銀、もしくは銅でしかないのに『暮らしは金にしたい。金メッキでもいいから金に見せかけたい』といった虚栄心から、多くの人は倹約できないのである。

私の家では衣服について『つもり買いのつもり貯金』ということをやった。呉服屋のショーウインドーを外から眺めさせて、気に入った柄、気に入った物はいつでも望み通りに買うことに賛成した。賛成はするがそれを即座に持ち帰るのではない。ただ買ったつもりにさせるだけだ。そうして品物はそのままお店に預けておくことにし、その品物がなくてはならなくなるまで、その代金と同額を銀行に預けておくのである」

倹約してお金を貯めることは大切ですが、言うまでもなく、同時に徳を貯めることが肝要です。いざという時にお金がないのは困りますが、不思議と、徳があればどうにかなるものです。

かの新渡戸稲造博士は「徳を積んだからといって栄華を極めることはできないかもしれない。人から称えられたり、給料が増えることもないかもしれない。しかし、徳を積む人は人から嫉まれることはないし、むしろ嫉む人を教化する力を持っている。そして何よりも、人の知らない楽しみを手にすることができる。金では買えない満足と快楽を得ることができるのである」と言われています。

菩薩行の喜びは、行なったことのある人にしかわかりません。

   徳の積み方

最後に徳の積み方についてお話ししたいと思います。徳を積む時の心得が中国の古い書物にあります。それにはまず「陰徳が大事」と書いてあります。人の見ているところで良いことをするのも良いのですが、陰日向なくするのが良いのです。それには、飢えた人が食を求めるように、のどが渇いた人が水を求めるように「何か善いことがしたい」と絶えず考えてゆくことです。そして、いつも心を点検することが大事です。

「本当に清い心でやっているか。欲でやっていないか」と、自分の心を点検するのです。また、境遇によって徳を積んだり積まなかったりしてはいけません。病気だから駄目だとか、今お金がないから駄目だとか、そんなことを言っていてはいけません。いつも、どんな境遇でもできる徳積みはあるものです。

最後は、「徳を積んだ後に徳を積んだという顔をしてはいけない。まだまだ足らないという思いでいなさい」と書かれています。心の奥にしっかり置いておきたいことです。