今「幸せ!」と感じられるよう明るい生き方をいたしましょう

掲載日:2015年8月1日(土)

明るい人生

先日、小原学園・小原寮の開設十周年記念感謝祭が行なわれました。小原学園と小原寮は、知的障がいのある人たちの施設です。元は三好学園・三好寮ですが、そのさらに前は八事少年寮でした。

八事少年寮は、名古屋大学の教授・杉田直樹医学博士が私財を投じ、自宅を開放して幼児から十八歳まで約三十名の障がい児とともに生活をした施設です。杉田博士は名古屋大学を定年退官して東京に帰ることになり、後をしっかりした団体にまかせたいと思われていました。しかし「性格異常」と言われるくらい乱暴な子も施設にはいました。ですから、なかなか引き受けてくれる所がありません。愛知県に頼みに行かれましたが「予算もないし、国や県がそういう施設を運営した前例もないから」と断られました。困り果てた杉田博士でしたが、鈴木末造という県の職員の方に御開山上人のことを紹介され、第一回目の話し合いが行なわれました。その時、杉田博士が「あなたは宗教家です。しかも立派な息子さんがあって幸せです。仮にそのお子さんの中に私が抱えているような子どもがいたら、あなたはその子を生涯面倒見なければならない。それと思い合わせて、自分にそんな不幸な子どもができなかったことはありがたいことだと悟れば、宗教的にも別な喜びが湧いてくるのではありませんか」と言われたそうです。その時、横にいた昭徳会の事務局長は「釈迦に説法とはこのことか」と思ったということです。

当時(戦後まもない頃)、県にお金がないのに、法音寺にお金があるはずがありません。しかし御開山上人は、快く引き受けられました。そのための必要な資金は、大乗報恩会時代からあった不動産を売却して充てられたのです。

運営を継承後、隣接地を約千坪買い足し、宿舎も増築し、定員も倍にしました。当初は三十人でしたが、六十人、百二十人と増やし、設備も整えましたから、たちまち資金不足に陥りました。そんな時、鈴木末造さんの所に行かれたそうです。すると「さすがの修学先生もお金に困って補助金でも頼みに来られたかな」と思われたそうですが、御開山上人は「経営が苦しいのは私の努力が足りないからです。私がやれることは托鉢です。大阪で托鉢をするので見て下さい」と言われ、鈴木さんは一緒に行かれました。その姿を見て鈴木さんは感激して「私たちも努力しなければいけません」と県の上層部に伝え、それから少しずつ補助金が出るようになったということです。

   ほめる教育

御開山上人は、障がいを持った子どもにも、ほめて育てる教育をされました。

ほめることによってその子の持っている本来の良い性質を引き出すようにされたのです。

ある時の御法話です。

「子どもを教育しようと思ったら、いいことをまずほめることです。私は親にいじめられた子もずいぶん扱いました。サーカスに売られていた子どもも二、三十人育てました。そういう子どもは非常に虐げられておりますので、ほめると涙をこぼすぐらい喜びます。それに、ほめてくれた人を絶対に信頼しますから、子どもの教育にはこれからも良いことをほめるようにして下さい。『悪い子には体罰を加えなければならないのではないか』という人がいます。

体罰というと今でも、寒いところに立たせたり、ご飯を食べさせないようにするということがあるようですが、そういうことは絶対にいけません。たとえどのような子どもでも決して体罰を加えてはいけないのです。今までやってきた経験の中で、そういうことで良くなった子は一人もいません。子どもはどんな子でもほめてやるといい子になるものなのです」

当時“知的障がい児には教育は意味がない”と考えられていて、社会に居場所がありませんでした。しかし、御開山上人は“どんな子どもでも教えることによって必ず良くなる”と考え、管内の川名中学校や八事小学校と協力して施設内学級を作られました。その結果、本当に子どもたちは良くなっていきました。それ以後、世の中に「特殊学級」や「養護学校」がどんどん普及したのです。

また“働くこと、社会に役立つことによって人間は幸せを感じることができる”とも考えられていました。ですから八事少年寮の子どもたちにも、今の授産所のように仕事をする機会を作り、やり方を教えられました。

   真・善・美・聖

昭和三十四年、東京で社会事業関係者の世界大会がありました。その場で御開山上人は「知能の劣った少年の職業補導は困難な問題だと皆さん思われていますが、そうではありません。八事少年寮では、日本福祉大学や立花高等学校で使用する机・腰掛を立派に制作しています。子どもたちはそれを喜んでやっています。子どもたちに『真・善・美・聖』の精神で働くよう教えていることが、大きな力となりました」と、八事少年寮で行なっていることを発表されました。

「真」とは、“真心を込めて仕事をすれば必ず立派な仕事ができて、世の中の人から喜ばれる”ということです。

「善」とは、“真心を込めた働きが善であり、良い人、徳のある人になるもと”ということです。

「美」とは、“真心の込もった働きからは必ず美しい仕事ができて人からほめられるようになり、喜びの生活ができるようになる”ということです。

「聖」とは、“真心を込めて仕事をすれば知徳が優れ、模範とされる人となり、世の中の人から仰がれるようになる”ということです。

このような話を八事少年寮の子どもたちにされたのです。

子どもたちの感想文があります。

「デパートで僕たちの作った物が並べられた時、そして机の売れた時はとてもうれしかったです」

「僕たちの作った机や腰掛が立花高等学校の教室に並べられて、校長先生であるお父さま(御開山上人)からほめていただいた時、本当にうれしかったです」

「お父さまが僕たちの作った机や腰掛を見て下さって、『とても立派にできましたね。一本の釘、一枚の板にもまことの精神がこもっています。立派であることは、皆さんの真心が立派に表わされているからです』と、にこにこ笑いながら僕たちの顔を見て下さった時は、本当にうれしい心持ちでした」

「僕たちはいつも馬鹿だと言われていましたが、こんなにほめてもらうと、本当にうれしく思います。もっともっとまことの心で、美しい良い物を作ってゆこうと思いました」

「先生にほめられてこんなにうれしそうに働いていることを、一度お母さんに見てもらいたいと思います。一度お母さんやお父さんにほめてもらいたいな」

こんな手紙もあります。ある少年がお母さんに書いたものです。

「僕はこんな立派な机を作るようになりました。僕は真心で働く良い人になりました。僕は、善いこと・美しい働きをする人になりました。お母さん、僕を一度見に来て下さい。一度僕を、良い子になったとほめて下さい、お母さん」

御開山上人の言われるとおり、人間はほめることにより、必ず良くなります。また、どんな子どもでも、教育により必ず成長します。そして、働くことによって生きがいを得るようになるものです。

   周りを幸せにする明るさ

多くの子どもたちを教え、育てられた御開山上人ですが、殊に子どもたちが明るく朗らかに生活する姿を見て喜ばれました。

この「明るさ」というのはとても大切なことだと思います。

今日に至るまで、健常者と障がい者の区別を無くす“ノーマライゼーション”についていろいろと語られますが、それを成就させるには「明るさ」が大きなカギになると思います。

以前、NHKテレビで、目が不自由な人々にスポットを当てた特集をやっていました。目が見えなくなることはとても辛いことだと思います。その中の一人、交通事故で目が見えなくなった若者は、他人と話もしたくないくらいに落ち込んだといいます。その人に、同じように目の見えなくなった女性の先輩が「目が見えなくなって何が一番辛い?」と尋ねました。そして「私が一番辛いのは、大好きな男の人の顔が見えなくなったことかな」と言うと、それにつられて「そうだ、確かに大好きな女の子の顔が見られないのはつらいな」と言うと先輩は「でも、見えなくてもさわれるんだよ」と言いました。

そうしてだんだん話が盛り上がり、「目が見えなくなったから居酒屋も行けない」と言うと別の先輩が「目が見えなくても行けるよ。おれはしょっちゅう行ってるよ。つれて行ってあげよう」と言って居酒屋に誘い、話は大いに盛り上がっていました。初めは暗かった若者でしたが、周りの人たちが明るくしていったのです。こういうことが大事だと思います。

   幸せを感じて生きる

『五体不満足』という本があります。あの乙武洋匡さんが書かれた本で、日本の歴代ベストセラー第三位だそうです。因みに第一位は『窓ぎわのトットちゃん』です。

乙武さんは、明るく楽しんでいる障がい者もいるということを世間の人に知ってもらい、障がい者への偏見を少しでも無くしたいという思いで『五体不満足』を書かれたそうです。乙武さんは若者たちから人生相談を受けることも多く、そのツイッターでのやり取りが本になっています。

これは実際にあったツイッターでのやり取りです。

フォロワー「乙武さんに手足が生えてきますように」

乙武さん 「そ、その願いが叶っては、オレが困る」

フォロワー「何で困るんですか?」

乙武さん 「誰にも歩むことができない、稀有な人生を満喫中だから」

乙武さんは手足が無いという人生を楽しんでいると言うのです。

若い頃、三重苦の聖女ヘレン・ケラーや乙武さんのように手足が無くても強く生き抜いた中村久子さんの生涯を読んで大変感銘を受けたことを思い出します。しかし、乙武さんの本を読み、これまでの行動を見て感じることは、感銘や感動ではなく、驚きです。とてつもなく前向きな心、そしてとてつもない明るさです。

これからのノーマライゼーションの根底に必要なものは真の「明るさ」ではないかと私は思います。どんな境遇でも人生を楽しんでゆこうという「明るさ」ではないでしょうか。

最後に乙武さんとフォロワーとのやり取りをもう一つご紹介します。

フォロワー「幸せって何だと思いますか?」

乙武さん 「幸せとは何だと聞かれると考え込んでしまうけど、あなたは幸せかと聞かれたら、すぐにうん!と答えるよ」