現在、大阪万博が開催されています。とても盛況のようで、市長さんも知事さんも胸をなで下ろしておられることと思います。
前回の大阪万博の時、私は小学生でした。日達上人に連れて行っていただきましたが、会場は人であふれかえり、パビリオンにはほとんど入れなかった記憶が残っています。
《岡本太郎さんの言葉》
そんな中で、一番印象に残っているのは万博のシンボル・太陽の塔です。〝奇妙な塔だな〟と思ったのを今でも覚えています。
時代は高度経済成長の真っ只中。万博のテーマは「人類の進歩と調和」でした。設計依頼を受けた岡本太郎さんは「人類は進歩などしてない!」と、このテーマに真っ向から反旗を翻し、縄文文化をモチーフにした太陽の塔を造ったそうです。
岡本さんは「芸術は爆発だ」と言ったことで有名ですが、興味深いことを語っています。
「中学生や高校生の美術部の展覧会に行くと上手い絵がたくさん並んでいる。でも〝上手い〟ということは〝つまらん〟ということだ。小さな子どもが描いた意味不明のはちゃめちゃな絵を見ると、大人は『なんだ、この絵は』と言う。しかし『大間違いでした。この絵はピカソの絵でした』と言うと、なるほどと唸る。大人はそんなものだ。しかし両方には共通したものがある。それは生命のエネルギーの爆発だ。小さな子どもは人の目を気にせず全身全霊で表現するのに対し、成長するに従って周囲の評価を気にするようになる。その結果、〝絵は上手い人が描くもの〟〝スポーツは得意な人がするもの〟になってしまう。実につまらない」と言っています。
岡本さんの主張は、小さな子どものように何事にも全身全霊を込めて一心不乱にやることが大事で、上手か、下手か、そんなことは二の次、三の次でよいということだと思います。
《キング牧師の仕事観》
アメリカでは近年、人種差別は徐々に減ってきたようですが、昔はひどい状況でした。その差別と闘ったのが、マーティン・ルーサー・キング牧師でした。
キング牧師が1963年8月28日、ワシントンのリンカーン記念堂で20万人を超える聴衆を前に行った演説は「I have a dream」で始まりました。
「私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子達とかつての奴隷所有者の息子達が、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。私には夢がある。それは…」
人種差別撤廃と人種の協和を訴えたキング牧師は残念ながら、1968年4月4日に暗殺されました。その後キング牧師の功績を称えるため、彼の誕生日(1月15日)にちなんで1月第3月曜日が『マーティン・ルーサー・キングデイ』という国民の祝日になりました。
少々前置きが長くなりましたが、キング牧師は仕事に関して岡本太郎さんと同じようなことを語っています。
「もし道路掃除の仕事を与えられたら、『またこんな仕事を与えられた』とか、『俺達にはこんな仕事しかないのか』と、そんなことは言ってはいけない。もし道路掃除の仕事を与えられたら、ミケランジェロが絵を描くように、ベートーベンが曲を作るように、シェイクスピアが詩を書くようにするべきだ。天国の神さまと地上の雇い主を感心・感動させるくらいにしっかりやるべきだ」
これは当時、差別的待遇を受けていた黒人へのメッセージですが、キング牧師が言われるように私達は、芸術家が一心不乱に作品に没頭するように仕事に向かうべきだと思います。
《芸術の域に達する仕事》
私の大学時代にジャーナリスト志望の同級生がいました。人物研究会というサークルに入っていて、いろんな人に会いに行っていました。田中角栄元首相や、アサヒスーパードライのCMで有名になった国際ジャーナリストの落合信彦さんらに会っていました。色々な面で行動的でジャーナリストに向いていると私は思っていました。
彼が好きだった作家・野坂昭如さんの講演に、彼と一緒に出かけた時のことです。講演が終わるやいなや、彼は「野坂さんの楽屋にちょっと行ってくる」と言って、本を片手にサインをもらいに向かいました。
すると野坂さんから、「ちょうど今、講演料をもらったから、飲みに連れて行ってやるぞ」と声をかけられたそうで、彼は大喜びでついて行きました。大作家ですから、きっと銀座か赤坂だろうと期待したところ、向かった先は意外にも新宿の安酒場でした。その店で、野坂さんはいろんな話をしてくださったそうです。彼はその話を熱心に聞き入り、うれしくてたまらなかったといいます。
その時、野坂さんが「ピース」というフィルターのない両切り煙草を吸っていました。吸うたびに葉が口に入るので、ぺっと吐き出していたそうです。彼にはその姿が妙に格好よく見えたそうで、翌日から野坂さんの真似をして両切りピースを吸い始めました。
彼は『早稲田大学雄弁会』というサークルにも所属していました。早稲田大学雄弁会は、政治家やジャーナリストを志す人々が多く集まる、全国的にも有名な弁論クラブです。1902年、早稲田大学の創立者である大隈重信公が総裁に就任して設立された、由緒あるサークルです。石橋湛山以降、この会からは5人の内閣総理大臣が輩出されています。
ある時彼は、雄弁会OBの大先輩に「ジャーナリストを志しているのですが、これからどのような心構えでやっていけばよいでしょうか?」と尋ねました。するとその先輩は、キング牧師の考えと通じるようなことを語ってくれたそうです。
「どんな仕事に就くにしても、どんな分野でも、芸術の域に達するまで極めることだ。そこに至れば、どんな仕事でも価値あるすばらしいものになる。そういう心構えで取り組むといい」
この言葉は、彼にとって生涯の座右の銘となり、以後、ことあるごとに「何事も芸術の域に達するまでやらなければいけない」と口にするようになったのです。
そして、彼は念願通りに新聞記者となり、その後、週刊誌の編集長になりました。編集長退任後は早稲田大学の政治経済学部に学士入学し、大学院へも進学しました。
《〝布施〟の心で仕事に向き合う》
御開山上人の著書の中に「法界の布施」という言葉があります。これは、〝この世界への施し〟を意味するものです。どのような仕事であっても、どのような行いであっても、それが人を真に喜ばせるものであれば、すべてがこの世界への施しとなるということです。私達の日々の仕事やあらゆる行いは心掛け次第で菩薩行となるのです。
《鉄道会社社長の心構え》
アメリカのある鉄道会社の社長にまつわるエピソードです。
ある日、その社長が線路の修理現場を視察していた時、一人の作業員が親しげに声をかけてきました。
「久しぶりだね。君もずいぶん出世したものだね。君が社長になったと聞いた時には本当に驚いたよ」
よく見ると、その作業員は社長と同期入社の社員だったのです。ともに作業員として働き始めた二人でしたが、一方は社長に、もう一方は現場にとどまったままでした。その違いは、次の会話に表れています。
作業員は言いました。
「昔は一緒に50ドルの日給をもらうために働いていたのに、君は立派になったものだね」
それに対して、社長はこう答えました。
「そうだったのか。君は50ドルをもらうために働いていたのか。私は入社した時から今に至るまで、会社のために、そして人々に快適な旅をしてもらうために働いてきたんだよ」
社長のその言葉には、明確な信念が込められていました。この心構えの違いこそが、やがて社長と作業員のままという分かれ目となったのです。この社長の心は日本風に言えば〝おもてなしの精神〟だと思います。
《林文子さんのおもてなしの心》
前・横浜市長の林文子さんは、「仕事はすべておもてなし」と言われています。林さんは、ホンダの営業でトップセールスとなり、BMWでもトップセールス、そして女性初の支店長となり、その後はファーレン東京の社長、BMW東京の社長、さらにはダイエーの会長を経て、横浜市長を務められました。
林さんが「おもてなしの心」の大切さを実感したきっかけの一つに、オードリー・ヘップバーン主演の映画『ティファニーで朝食を』があります。
この映画で、ヘップバーンが演じるホリーは恋人と一緒にニューヨークのティファニー本店を訪れ、「10ドル以内の、値の張らないものが欲しい」と言います。そこで年配の店員が、「なぐさみものですが」と電話のダイヤルを回すピンのような道具を鷹揚に差出し、「こちらは6ドル75セントです」と応じます。
それに対してホリーが「ロマンティックじゃないわね」と言います。すると恋人が、どうしてもプレゼントを贈りたくて、「お菓子の景品でもらった指輪に記念の文字を刻んでほしい」と頼みました。普通なら断られそうなお願いです。
しかしその店員はこう答えました。
「当店は物分かりのよい店です。わかりました。明日の朝までに仕上げましょう」
ホリーは思わず店員の頬にキスをします。
この対応に、林さんは深く感動し、〝本物のサービスとは、お客さまの立場に寄り添い、心を裏切らないことなのだ〟と思ったそうです。そしてその精神を、営業の現場で実践していきます。
たとえば、林さんがBMW世田谷支店の課長だった時、よく店に来る小学生の姉弟がいました。男の子の方がカタログを欲しがりましたが、男性の営業スタッフ達は相手にしませんでした。
外回りからもどって来て、二人に初めて会った林さんは快くカタログを渡し、ジュースやお菓子を振る舞い、「乗ってみたい」と言うので車に乗せ、エンジンまでかけてあげました。そして「大きくなったら、車を買ってね」と言ったそうです。それから二カ月ほどたった頃、その子達の両親が来店し、こう言いました。
「子ども達がよくしていただいてありがとうございました。実は今ベンツに乗っていますが、今回はBMWに買い替えようと思い、ぜひ林さんから買いたいと思ってやって来ました」
そして、当時約1千200万円だったBMWの最高車種7シリーズを購入していったそうです。
またある日、寒い時期に短パンにサンダルという格好の男性が来店し、「車を見せてほしい」と言いました。ほかの営業スタッフは嫌な顔をしましたが、林さんは丁寧に対応し、その日のうちにお礼を伝えるために「答礼訪問」をしました。この男性を訪問したところ、なんと地元の大地主の息子だったのです。その人は「私をまともに扱ってくれたのは、あなたが初めてだよ。とてもうれしかったよ。ありがとう」と言って、また7シリーズを購入してくれました。
こんな話もあります。ある日、百科事典のセールスマンがショールームに来て、丁寧に説明をしてくれました。林さんは「とてもわかりやすい説明ですね。でも残念ながら、うちにはもうあるんですよ。ごめんなさいね。頑張ってください」と、温かな対応をしました。
すると一週間後、そのセールスマンが電話をしてきてこう言いました。
「同僚がトップセールスで表彰されて、報奨金をもらったんです。BMWを買いたいと言っているので、ぜひ林さんにお願いしたいのです」
林さんは言われます。
「誰にでも親切にしなければいけません。絶対ぞんざいな対応をしてはいけません。これは、なにも車を買っていただく・いただかないという損得勘定ではありません。本来人間同士、年齢や性別、格好や態度で人を品定めすることは、あってはならないことだと思っています」
分けへだてのないおもてなしによって、林さんは女性初の支店長となった新宿支店で、12店舗中最下位だった成績を、半年で1位に引き上げ、その状態を五年間維持。そして異動先の中央支店では何と、わずか三カ月で売り上げをトップに導きました。その後、ファーレン東京の社長となって四年半で会社の売り上げを倍増させました。
もう一つ、これはぜひ付け加えておきたいのですが、林さんは〝ほめ殺しの林〟と言われていたそうです。でも林さんのほめ殺しは調子よく口先だけで言っているのではなく、本当にその人の〝良いところ〟が目に飛び込んできて、口に出さずにはいられなかったそうです。こんな感じです。
ショールームを訪れた女性に、
「まぁ、奥さま、本当に素敵でいらっしゃいます。また、その赤のお召し物が、この革張りのシートにぴったりです」。
部下とすれ違った時に、
「今日のネクタイ、すごくセンスがいいわね。奥さまのお見立て?さすがね」。
「髪型変えたでしょ。清潔感があっていい感じ。お似合いよ」。
成績不振の部下には、同行営業の時、
「トランスミッションの説明の仕方、とても上手でした。私も勉強になりました」。
支店に帰ってからも、
「今日は半日一緒に仕事をして、とても楽しかったわ。一つわかったことがあるの。やっぱりあなたは〝ダイヤモンドの原石〟ね。これからがとっても楽しみ」。
正にほめ殺しですね。
また、御主人との何気ない夕食の時の会話でも、
「私、なんて幸せなのかしら。あなたと結婚できてよかった。ありがとう!」。
照れ屋の御主人は「また始まったよ。文子の三文オペラ」と言いながら、いつもうれしそうだそうです。
みんなが林さんのようにもてなし合い、ほめ合うことを日常の中でいつもできたら、本当にすばらしい、幸福な世の中になると思います。
最後に余談ですが、東京支院でこの話をした際、前方で熱心に聞いておられた男性が、ご法話の後に言われました。
「林文子さんのことは、よく存じています。林さんが世田谷支店の課長をされていた時、私もベンツの世田谷支店にいました。林さんはよくショールームに来られて、『お互い頑張りましょう』と差し入れを持って来てくださいました。林さんに憧れた同僚は、なんとベンツを辞めてBMWに転職してしまいました」と、懐かしそうに語ってくださいました。
その方ご自身も、ベンツのトップセールス、さらにトップマネージャーを務められたすばらしい方で、現在は信教師として活躍されています。奥さまとお義母さまが熱心な信者さんで、そのご縁から法音寺に導かれ、信教師になられたのだそうです。