心を立て直す

掲載日:2025年9月1日(月)

 法音寺の二祖・村上斎先生は、始祖・杉山辰子先生と出会われる前は愛知県立医学専門学校(現在の名古屋大学医学部)に勤めるお医者さんでした。村上先生は代々医師の家系で、裕福な家庭に生まれ育ちましたが、ある時、人にだまされて財産の全てを失ってしまわれました。さらに、妻子にも去られ、絶望のどん底で自ら命を絶とうかと思われていた時、杉山先生と出会われたのです。

 杉山先生は、〝医薬と妙法の修養によって、世の苦しむ人々を助けたい〟という志を持っておられ、協力を求めて村上先生のもとを訪ねられました。

 しかし、村上先生は心優れず、「次から次へと災難が襲い来たって困りに困り、悲観のあまり自殺をしようかと考えている」と話されました。これに対して杉山先生は因果の二法、即ち悪因悪果・善因善果の話をインドの故事に倣ってされ、その後、「現在の苦しみより逃れんために自殺を遂げられても決して苦しみはなくなりません。未来世にはより一層の苦しみを受けねばならなくなります。世の中にはあなたのように精神的にも又物質的にも悩んでいる人がずいぶん多いのです。この苦しみを逃れる道は妙法の信仰よりほかにはありません。あなたが今の苦しみを逃れる方法は、仏さまの教えを信じて実行し、世の中の悩める人々を救ってあげることです。多くの人が救われた時、あなたの不幸の因果は消滅することでありましょう」と言われたのです。この話を聞かれた村上先生は迷いから覚めたような心持ちになって、〝後半生を信仰に生きよう。そして、悩める人々の心の病を治す医者になろう〟と決心されたのです。

《若者の命を守る取り組み》

 今回は自殺に関するお話です。

 厚生労働省の発表によりますと、2024年一年間で2万320人の方が自ら命を絶っています。そのうち小・中・高生が529人いるそうです。

 名古屋市の河村たかし前市長は、「子どもを一人も死なせない名古屋」という公約を掲げていました。今これが広沢一郎市長に引き継がれています。河村氏によると、子どもの自殺の主な原因は「成績」と「進学」だそうです。勉強を強いられ、自分の望む学校に行けなかったことで失望し、〝進路が絶たれた〟という思いから、自殺に至る生徒がいるといいます。

 そこで公約の中で提案されたのが、「高校入試の廃止」と「高校までの義務教育化推進」です。一見突飛に聞こえるかもしれませんが、河村氏によると名古屋市の姉妹都市であるアメリカのロサンゼルス市では、高校に入る際の試験が存在しないそうです。また、高校で勉強しながら将来の職業の選択についても広く深く学べるそうです。

 ロサンゼルス市の高校と日本の高校の大きな違いは、人員構成にあります。ロサンゼルス市では、教員と同数のスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーといった、子ども達の心のケアを専門とするスタッフがいるのです。

 河村氏は、市長在任中に数十億円の予算を投じてスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーを増員したり、進路選択のためのキャリア教育に尽力されました。

 この数十億円の原資は、市民税の減税に伴い増加した税収が充てられているとのことです。

 

《ヨーロッパに広がる安楽死の法制化》

 次に、イギリスで話題になっている「安楽死法案」についてです。この法案は下院で可決され、上院での採決に進むことになっています。内容はイングランドかウェールズに一年以上在住し、正常な判断力を持つ余命半年未満と見込まれる成人の末期患者が対象で、二人の医師による審査や弁護士等の同意を経て、医師から薬を処方され、それを自ら服用することで死を選択するというものです。

 医師が患者に薬を投与する「積極的安楽死」ではなく、厳密には「自殺幇助」という形です。

 世論調査では、イギリス国民の75パーセントがこの法案に賛成しているとされていますが、一方で反対の声もあります。反対理由として挙げられているのは、「こうした法案を進める前に、まず終末期の質の高い緩和ケアを充実させるべきだ」という主張です。私もその意見に賛成です。

 また、財政面でも心配があります。今後十年間で約3万人がこの制度を利用すると見込まれ、その費用は4億3千万ポンド(約850億円)にもなると試算されています。また人件費の面でも、十年間で7千2百万ポンド(約142億円)かかると予想され、公共医療の破綻が懸念されています。

 ヨーロッパでは、すでに多くの国で安楽死が法制化されています。ドイツは2020年、スペインは2021年、オーストリアは2022年、ポルトガルは2023年、フランスは現在法案が下院を通過し、イギリスと呼応するように法制化が進んでいます。20年以上前にオランダとベルギーは法制化しており、昨年は、オランダで約1万人、ベルギーで約4千人が安楽死を選択しました。ヨーロッパでは着実に安楽死が広まっています。

『安楽死を遂げた日本人』という本を執筆したジャーナリストの宮下洋一さんは、次のように言われます。

「西側諸国、特に個人主義のヨーロッパでは自己決定権を重視する文化があり、それが死ぬ権利の提唱にもつながっているのです」

 宮下さんによると、キリスト教でもカトリックが厳格に自殺を禁じている一方、プロテスタントは比較的寛容で、早期に法制化したオランダやスイスはプロテスタント教徒が多いようです。そして何より、ヨーロッパ全体でキリスト教徒の宗教離れが進み、安楽死に対する抵抗感が薄れていることが大きいのだそうです。

 そして、宮下さんが指摘する大きな問題が「滑り坂理論(スリッパリー・スロープ)(※)」と呼ばれるものです。

 当初、安楽死は救命不能な末期患者に限って容認されていましたが、現在は〝生きるのがつらい〟という人にまで拡大されています。肉体的な苦痛ではなく、人生を悲観した精神的苦痛を理由に、死を選ぶことが認められるようになってきたのです。

 カナダでは2016年に安楽死が合法化されましたが、申請者の6割が貧困層だったというデータがあります。こうした人達の多くが、肉体的苦痛ではなく精神的苦痛によって安楽死を選んでいることが想像されます。「これは非常に危険な傾向だ」と、宮下さんは警鐘を鳴らしています。いずれヨーロッパの空気が日本にも伝わってくるかもしれませんが、死ぬ権利ばかりが持てはやされ、生きる権利がないがしろにされるようなことがあってはいけないと思います。

 

《スイス人尼僧の体験と信仰への目覚め》

 ある浄土真宗の尼僧さんが新聞に紹介されていました。スイス人のジェシー・釋萌海さんという方です。ジェシーさんは、浄土真宗大谷派(東本願寺)で初めての外国人住職で、現在は福井県敦賀市の高雲寺の住職を務めています。

 彼女は5歳の頃に映画『ベスト・キッド』を観て、空手を習い始めました。本格的に学ぼうと、2004年に京都に移住します。2015年秋、スイスに住む健康な母親から突然「安楽死制度に申請した」と連絡がありました。スイスは、世界で最も早く自殺幇助が合法化された国です。驚いた彼女が「どういうこと?」と尋ねると、母親は「老いへの恐怖だ」と答えました。ジェシーさんは電話で泣きながら説得を重ねましたが、母親の意志は固く、翌年、70歳でこの世を去りました。彼女は怒りと悲しみで気が狂いそうになったそうです。

 深く落ち込んでいたある日、東本願寺の前を通った時、「今、命があなたを生きている」という言葉が掲げられているのを目にしました。その言葉に心を打たれ、〝私達は生かされている存在なんだ。命を粗末にしてはいけない〟と深く感じた彼女は、真宗大谷派に入信し得度しました。

 昨年、高雲寺の前住職が急逝。「後を継いでほしい」と依頼を受けました。不安を抱えながら寺を訪れると、門徒達から温かく迎えられ、住職として歩む決意を固めました。

 ジェシーさんは〝誰にでも開かれた寺にしたい〟という思いから、趣味の尺八の演奏会やチーズフォンデュを振る舞う会を開き、門徒だけでなく住民との交流を重ねているそうです。

《映画『アイ・フィール・プリティー』が語る自己肯定》

 お釈迦さまは「この世は苦である」と言われ「四苦八苦」を説かれました。人間は、老若男女を問わず、誰もが少なからず悩みや苦しみ、不安を抱えています。時にはそういうものから逃れるために〝死にたい〟と思ってしまうこともあるでしょう。ジェシーさんのお母さんのように、第三者から見れば〝そんなことで〟と思われるようなことでも、本人にとっては切実な問題です。

 アメリカのコメディ映画『アイ・フィール・プリティー』は、外見にコンプレックスを持つ主人公・レネーの物語です。彼女は太めの体型を気にするOLで、大手化粧品会社の本社近くにあるチャイナタウンの古びたビルの地下で働いています。彼女はニューヨーク・五番街の本社に行くのが苦手でした。そこにはスタイル抜群の、モデルのような美女達ばかりが出入りしているからです。

 ある日、彼女はどうしても本社へ書類を届けに行かなければならなくなりました。そこで受付の女性と話をします。受付係はハリウッド女優のような美しさを持つ女性でしたが、アルバイトだと知ります。現在受付係を募集中ということでした。

 翌日、レネーはフィットネスクラブでエアロバイクに熱中し、転落して頭を強打し気を失います。意識が戻ると、自分の手足が細くなっていることに驚きます。鏡を見ると、そこには絶世の美女が映っているのです。レネーは夢が叶ったと有頂天になりますが、実際の姿は変わっていません。そう見えるのは自分だけ、周囲の人の目にはいつもと変わらないレネーが映っていたのです。そうとは知らず、自信過剰となったレネーは、本社の受付係の仕事に応募し、面接で自信満々にこう語ります。

「私はこの受付係の仕事を、みんなのようにモデルの足がかりとは思っていません。毎日ここを訪れる人達に、私が感じているこの高揚感を伝え与えたいのです」

 面接官の一人は驚き、〝どの口が言うの?〟という顔をしますが、社長は類い稀な高い自尊心に感動し、彼女を採用します。レネーの言動はどこまでも自信に満ちており、最初は戸惑っていた周囲の人達も次第に彼女の魅力に引き込まれ、恋愛も成就します。

 物語の終盤、再び頭を強打した彼女は気を失います。意識が戻り鏡を見ると、そこには以前の太った自分が映っていました。〝魔法が解けた〟とがっかりし、落ち込みます。その後、彼女は新商品発表のプレゼンテーションに潜入し、2枚の写真を見せて語り始めます。

「こちらが魔法にかかっていた時の私、そしてこれが今の私です」

 会場の人達は「同じ写真じゃないか」と言います。レネーがもう一度よく見ると確かに同じでした。そこで彼女は気づきます。〝魔法ではなかった、ただの思い込みだった〟と。

 そしてレネーは言います。

「子どもの頃、みんな自信に満ちていました。太っていても、走り回ってパンツが見えても、何も気にせず笑っていました。どこで自信をなくしたのでしょう。いつ自分を疑うようになったのでしょう。自分を素晴らしいと思える強さをまた持ってもいいんじゃないのでしょうか。子どもの頃の自信を思い出してください。自分は自分なのだから」

 最後にレネーは「その人の心がその人を変えるのよ。美しくするのよ」と結びます。この後、会場は拍手喝采となります。みんな何かしらのコンプレックスや思い込みを持って生きているのです。

 

《思い込みからの解放と心の持ちよう》

 脳科学者のマックス・ロックウェルは著書『アルファ波 脳の仕組みを使って人生を変える』の中で、こう述べています。

「自分はこういう性格だと思っていることの多くは、ただの思い込みにすぎません。そもそも性格とは、幼少期(0歳から7歳の間)に周囲の人達、特に親の言葉や態度を、無防備に受け入れて形成された思考や行動のパターンにすぎません。つまり、性格の大半は幼い頃、脳にインプットされた思い込みです。これは意志によって変えることができるのです。なりたい自分になればいいのです。誰でもいつでもなりたい自分になれるのです」

 人間は誰でも、さまざまな「思い込み」を抱えています。ジェシーさんの母親も、〝老後は大変〟という思い込みにとらわれていました。一方で、世の中には老後を楽しみにしている人もいます。つまり、心の持ちよう一つで人生は大きく変わるのです。

 だからこそ、『アイ・フィール・プリティー』のレネーのように、自分を肯定し、人生を肯定して生きていくことが大切なのではないでしょうか。

 

 最後にNHKで見た、事故で突然目が見えなくなった若い男性の話です。その男性は突然視力を失い、絶望の中で「ライトハウス(視覚障がい者支援施設)」に入所します。

 視力を失うということは、まさに自殺を考えてしまうほどの衝撃的な出来事だと思います。彼は、ライトハウスで同じような状況の若い人達に、「目が見えなくなって、一番つらいことは何?」と尋ねました。

 ある男性は、「好きな女の子の顔が見えなくなったことが一番つらいよ」と答えました。すると、近くにいた女性がこう言いました。

「大丈夫。触っちゃえばいいのよ。前は、いきなり顔を触ったら怒られたかもしれないけど、今はもう怒られないから、大好きな人の顔をいきなり触っちゃえばいいのよ」

 その言葉を聞いた彼は、少し気が楽になったようでした。

 また彼は、「これから自分の好きなことができなくなるのがつらいよ。僕はお酒が好きで、居酒屋に行って、生ビールを飲むのが一番の楽しみだったんだ」と語りました。

 それを聞いた先輩の視覚障がい者が、こう言いました。

「ああ、それなら明日行こう」

 そして翌日、歩くのも慣れない彼を町の居酒屋に連れて行き、二人は楽しそうに生ビールのジョッキを空けていました。

 このエピソードから改めて思い知らされるのは、心の持ちようが何よりも大切だということです。どんなに絶望的な状況であっても、人は他者の支えや言葉、そして自分の心の立て直しによって、再び前を向くことができるのです。

※滑り坂理論とは…
 ある行為を一度許してしまうと、歯止めが効かなくなり、取り返しのつかない事態になるという主張