人の心に火を点す

掲載日:2019年7月1日(月)

論語に「子貢問ひて曰く、一言にして以て終身之を行ふ可き者有りやと。子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ」とあります。

『法音』3月号で紹介した脳神経解剖学の権威で元京都大学総長の故・平澤興先生はこの一節が大変お好きで、著作や講演によく引用されています。以下、平澤先生の解釈です。

「子貢は聞いた。『先生、たった一語で、一生それを守っておれば間違いのない人生が送れる、そういう言葉がありますか』。孔子は『それは恕かな』と答える。孔子が『それは恕なり』と断定せず、〝恕か〟と曖昧に答えたところに、なんとも味わい深い孔子の人柄を感じる。自分がされたくないことは人にしてはならない。それが恕だと孔子は説いた。つまりは思いやりということである。他を受け容れ、認め、許し、その気持ちを思いやる。自分のことと同じように人のことを考える。そのことこそ、人生で一番大切なことだと孔子は教えたのである」

平澤先生は教育における「恕」「思いやり」とは、ほめることであると言われています。

「教育の現場では思いやりとは何か。ほめることである。これが非常に大事である。絶対に人間はほめなければいけない。ほめられることによって人間は成長する。教育の基本の第一はあくまでほめること。第二はできるまでやらせること。第三は自分もそれを実行すること。これは人間が歩きだすときの姿である」

考えてみれば赤ちゃんが初めて歩き出した時、どの親もほめます。「あんまり上手じゃないな」と言うような親はいません。必ずほめます。どんな歩き方でもほめます。転んでも、ひっくり返ってもほめます。

そして、できるまでやらせます。赤ちゃんが歩き出して転んで、「もう歩かなくてもいい」と言う親はいません。歩けるようになるまで辛抱強く見守ります。そして、お父さんもお母さんも一緒に歩きます。歩きながら手をたたいて導いたりします。これが教育の原点であり、すべてなのかもしれません。

また平澤先生は「教育とはほめて、励まして生徒の心に火をつけることだ。火をつけて燃やすことだ」と言われています。そして「火をつけるためには、こちらが燃えるような情熱を持っていなければいけない」とも言われています。

近年、ノーベル賞というと地元の名古屋大学の関係者も多いですが、平澤先生の時代は京都大学出身の受賞者が目立っていました。その理由をよく世間では〝京大の個性を尊ぶ自由な校風によるところが大きいのではないか〟と言われていました。受賞者第一号の湯川秀樹博士や第二号の朝永振一郎博士に関して平澤先生は、「それもあるが、何と言っても三高(※)の物理の先生で森総之助というすばらしい人がおられて、二人を教えられたのが良かった」と言われます。

湯川博士を例にとると、湯川博士は頭の回転の早いタイプではなく、わかるまで徹底的に考え抜く、限りない深さを持った人だったそうです。ある時、湯川博士は三日も四日も考えて、森先生のところに「どうも先生の言われることがわかったようで、わかりません、もう少し教えてください」と尋ねて行きました。普通の先生だと「湯川、高校生はそんなところまで考えんでもいい」と言うところを、森先生は「そうか湯川、お前はそこまで考えたか。大したもんだぞ。それは今世界の物理学界で問題になっているところだ。そこまで考えるとは偉いなあ。お前はわしよりも偉いぞ」と、お世辞ではなく、心の底から感心し、さらに話を進め、学問に対する情熱を吹きこみ、心に火をつけたというのです。

朝永博士に対しても同じ態度だったそうです。

平澤先生はさらに言われます。「ほめるとき、ただ表だけを見ておるようなほめ方はだめなのです。ほめ方も、裏まで見えるような人でないと、本当のほめ方ができないのです。ほめるには、こちらがそれだけの行いをしていなければなりません。ほめるのはそう簡単なことではないのです。人の欠点が目につく間はまだだめです。それらの欠点が飾りに見えるようになれば本物だと思います」

平澤先生が結婚式に招待された時の話です。仲人である大学の名誉教授が新郎のことを「非常に良くできる方だ。しかし、少し要領が悪いような、堅すぎるようなところがある」と言いました。それに対して平澤先生は〝それは違う〟と感じ、スピーチの順番が回ってくると、それまで考えていた話を変えて、「実は今日、新郎と初めてお会いしたが、まず、自分の顔を持っておられることをうれしく思いました。要領が悪いというようなお話もあったが、いかにも、私の若い時のことを言われているような気がしました。私は四十年間、筋運動の研究をやってきたので、笑っておっても、怒っておっても、その人の本来の表情がよくわかります。その点、今日の新郎はいかにもすばらしく、私は心を打たれました。それは四十年間、運動神経を研究してきた私が見てのことだから、人相見よりもっと確かです。要領が悪いかもしらんが、これこそが本物であるということの証拠であって、そこにあなたの魅力があるのです。それはあなたのすばらしさの証拠であり、決して賢い人の真似をしたり、要領の良さなんて身につけることはない。あなたの要領の悪さこそが、あなたの生真面目な生の姿なんだから、それを成長させなさい。自分というものを欺かないで、あくまでもそれを成長させなさい。あなたの将来は私が保証します」と新郎をほめ称えたのです。

みんな、目を丸くして聞いていたそうです。なかでも、仲人さんは驚かれたことと思います。しかし、新郎の両親はとても喜ばれたようです。

スピーチの中にもあるように、このほめ様には平澤先生の若い頃の体験があるのです。

平澤先生が新潟から京都に出てきて中学校に入学した時、当てられてうまく答えられないのは自分だけで、落第するかと思って一生懸命に勉強したら、一年の一学期に五番という通知がきました。間違いではないかと、藤川直人という先生のところへ行くと、「いや間違いではない。わしはもっと良い点をつけたいと思うくらいだ」と言って、藤川先生は平澤先生を激励し、さらに「お前は要領は悪いが、実に真面目で、先生はお前が大好きだ」と言ったのです。

晩年になって平澤先生は語っておられます。

「いまだに、私はその時の感激を忘れることができません。実に先生のひと言こそは、時に人生を支配するということを今にして思います。自分は頭が悪いし鈍物だが、しかし、〝とにかくやればできるんだ〟という感動が、私の生涯の一つの契機になったと思います」

平澤先生が京都大学の総長に決まった時、その中学の校長だった中山再次郎先生のところへ「先生、えらいことになりました」と報告に行くと、中山先生が「おう、えらいことになったなあ。でも、平澤、心配するな。中学の時の通りにやれ。うまくやろうなどと思うな」と言われ、平澤先生は安心して、とにかく、くそ真面目な田舎者として頑張られたそうです。

くそ真面目、すなわち「誠実」は、生涯を貫いて平澤先生が大事にされたものです。

「私は人間が真に事を成すにはただ秀才、鈍才というような能力だけではなく、むしろそれよりも大事なものがあるのではないかと思います。それは人柄です。その人柄のうちでも、何が一番大事かというと、どうも誠実ということかと思います。『誠実ということだけではいかんよ。そう簡単ではないよ』と言われる方もいますが、大局的に長い目で見ますと、やはり、誠実な人柄が最も伸びるのです。誠実というのは情熱と努力と言い換えても良いです。偉大な仕事を成しとげるのに最も必要なものは必ずしも才ではなく、多くの場合、情熱と努力です」

 平澤先生は生涯情熱の炎を燃やし続けられましたが、その心に大いなる火をつけたのは入学時の京都帝国大学総長、荒木寅三郎先生でした。

明治24年、ベルリン滞在中の北里柴三郎博士を一人の青年が訪ねてきました。ストラスブルグ大学留学中の医学生・荒木寅三郎先生です。その時、北里博士は38歳、荒木先生は25歳でした。北里博士はこの時既にコッホのもとで研究に打ち込み、当時誰も成し得なかった破傷風菌の純粋培養に成功。さらに破傷風に対する血清療法を確立し、「世界の北里」と評価される存在になっていました。その北里博士を一学究が訪ねたのです。悩める荒木先生に北里博士は言われました。

「君、人に熱と誠があれば、何事でも達成できるよ。よく世の中が行き詰まったという人があるが、これは大いなる誤解である。世の中は決して行き詰まらぬ。もし行き詰まったものがあるなら、それは熱と誠がないからである。つまり行き詰まりは本人自身で、世の中は決して行き詰まるものではない」

これはさまざまな困難と闘いながら自ら一道を切り拓いてきた北里博士の信念の言葉であったと思います。

この言葉が若き一学究の心に火をつけ、その火は荒木先生の生涯にわたって燃え続け、平澤先生へと燃え移ったのです。

「大正9年9月10日、それは私にとって生涯忘れえない、京都大学への入学式の日である。忘れえないのは、大学の大きさでも、講堂のすばらしさでもなく、総長荒木寅三郎先生の熱と誠に満ちた新入生に対する訓辞であった。総長の口から出る一語一語は、まさに燃えていた。先生は学徒にとり最も重要なものとして誠実、情熱、努力、謙虚を挙げられ、これらについて、それぞれ自らの体験と史上の実例などをもってくわしく説明され、我々は催眠術にでもかかったように全身全霊でこれを受けとめた。この訓辞は私にとって決して遠い過去のものではなく、私はさらにこれを私のからだであたため、私自身の経験をも加え、その肉づけを続けて今日に至った。言わば、この訓辞は、生涯私とともにあって私を導いてくれたのである」

すばらしい話です。私達も〝三徳の実行に情熱の炎を燃やし、縁ある人々の心に火を点すようにしなければ〟とあらためて思います。

※三高(旧制第三高等学校)
京都市および岡山市に所在した旧制高等学校で現在の京都大学総合人間学部および岡山大学医学部の前身