感謝の心が起こす奇跡

掲載日:2017年7月1日(土)

週刊文春』に町山智浩さんの『言霊USA』というエッセーがあります。その中で、アメリカの現政権のペンス副大統領の話が紹介されていました。

アメリカはキリスト教を信仰している人が非常に多く、中でもキリスト教福音派(プロテスタント)の信者さんが全人口の四分の一ほどもいるそうです。ペンスさんも非常に熱心な福音派の信仰者だそうです。トランプ大統領は、この福音派の人たちの票を自分の陣営に取り込むためにペンスさんを副大統領にしたということです。

以前、ワシントンポストのインタビューでペンスさんが、結婚生活を長く維持する秘訣を聞かれ、「妻以外の女性とは食事をしたり、お酒を飲んだりしないことです」と答えたそうです。浮気や、それにつながること、疑わしいことはしない、ということでしょう。至極まっとうな答えのような気がしますが、これに対してフェミニストの女性たちは「女性差別だ」と批判しました。「普通、会社などではランチやディナーをともにして親睦を深める。そこで良い意見が出ることが多々ある。その場に女性を一切入れないというのか」「重要な役職に女性を就けないつもりか」「女性は妻か母であるべきで、社会に出てはいけないのか」など、極端な批判が出てきました。一方「ペンスさんは非常に真面目な男性で、ただ思っていることを普通に答えただけじゃないか」「厳格なユダヤ教の人だってイスラム教の人だって同じことを言うと思う。ただ副大統領という立場だからといって批判されるのはかわいそうだ」という意見もありました。

お釈迦さまは「どんな人物でもほめ続けられる人もいないし、けなし続けられる人もいない」とおっしゃっていますが、ただ「奥さんと一緒に食事をする。他の女性とはしない」と言っただけでこれだけ批判されるのですから、“世の中には色々な見方があるものだ”とつくづく思いました。

ただペンスさんも“妻以外の女性とは二人きりでは食事をしません”とでも付け加えておけば良かったのかもしれませんが。

今回はものの見方のお話です。

四年前に亡くなった精神科の医師で、作家でもあった、なだいなださんの書かれた文章を読んだ時に“立場の違いによって見方は違うものだ”と思いました。医師の資格を持つ作家は珍しくありません。精神科医の作家が特に多いのは、人間洞察に優れているからではないかと思います。

なださんが若い頃、精神科の病院に勤務している時に「私は天皇である」という患者さんが三人いたそうです。その中で「春日天皇」を自称する人がおもしろい人で、その人は年末になるとお医者さんや看護師さんたちにボーナスをくれたそうです。と言っても、紙に金額を書いて渡すだけですが、なださんももらいました。“5万円”と書いてありましたので、他の人がいくらもらったのかが気になって看護師さんたちに聞いてみると、ある看護師さんは「18万円もらいました」とのことでした。なださんの3倍以上です。さらに、勤め始めて間もない准看護師さんが「私は30万円でした」と言ったのを聞いて、なださんは医者である自分が5万円で准看護師が30万円なのが納得できず、春日天皇のところに行き、「ボーナスのことですが、どうして私が5万円で、あの准看護師が30万円なのですか?」と聞きました。すると「これは私的なボーナスで、病院で出すボーナスとは違うので気にしないでください」と言うので、再び「それはわかっています。でもどうして私が5万円で…」と聞くと、「先生は私に何をしてくれましたか」と言われました。そこで、「私は主治医で、あなたの治療をしているのは私ですよ。私が処方箋を出して、その薬をあなたは飲んでいるじゃないですか。病院で一番大事なことをしているのは私ですよ」と言うと、「そんなことはわかっています。でもあの薬は要りません。飲みたくないのです。そもそもあの薬は効きますか。もし効くのなら私はとっくに退院していますよね」と言われてしまいました。

なださんは返答できなかったそうです。確かに薬は効くのですが、それは春日天皇という妄想癖を治す薬ではなく、ただ精神を落ち着かせるための薬だったのです。

なださんの「どうして准看護師のあの人が30万円なのですか」という問いに春日天皇は答えました。

あの人は優しいんですよ。私が風邪をひいて熱を出した時、氷枕を作って持ってきてくれたんですよ。うれしかったな。ありがたかったな。その後にお粥まで作ってきてくれたんですよ。だから、ボーナスを30万円あげたんですよ」

なださんは言われます。

“看護師よりも医者の方にたくさん給料をあげる”というのは病院側のものさしです。でも春日天皇は医者や看護師を評価するものさしを自分でしっかり持っていたんです。いろんな評価のものさしがあることを私は春日天皇から教わりました」

どんな仕事でも利用される方の見方を重視しなければと思います。

ものの見方は人それぞれですが、新渡戸稲造博士は次のように言われます。

「物事には必ず『明・暗』の両面があるが、私は光明の方面から見たい。そうすれば自ずと愉快な念がわいてくる。人が生涯の中で遭遇する物事は善意にも悪意にも解(かい)せるものが多く、ものそのもの、ことそのこと自体は絶対的に善でもなく悪でもないことが多い。従って、人生なるものはめいめいの心の置きよう、すなわち心の持ちようによってどうにでも取れる。“世の中うるさい”と思えば、いたたまれない程にうるさいし、“結構だ”と思えば、お礼の申し上げようのない程結構になる。故に私は、世に処するに善意を以てし、“チアフル”に世渡りしたい」

“チアフル”とは“愉快な顔をする”ということです。いつどんなことがあっても愉快な顔をしていたいと言っておられるのです。

新渡戸博士の『武士道』は有名ですが、私たちが読むのは英語で書かれたものの翻訳です。博士は37歳の時にこの本を書かれましたが、実は35歳の時に大病をされています。医師に「完治するには8年か9年ぐらいかかる」と言われたそうです。35歳で“そんな長期の療養生活をしなければいけない”となると普通なら絶望するものですが、それを新渡戸博士は“チアフル”で乗り越えられたのです。

「病気も修養の種にすればよい。病から得るものもあるはずだ。今、自分は人生の半ばに来てひと休みさせてもらうのだ。そう考えればよい」

ものの見方を見事に変えられたのです。

このような気持ちで療養生活を送っていたところ、一年で治ってしまったと言います。その一年後に『武士道』を書き上げられたのです。心の持ちようで病気も克服できるということです。

究極の明るい見方、それは“感謝”だと思います。何にでも感謝をすることが一番明るいものの見方だと思います。

去年の『法音』4月号に工藤房美さんのことを書きました。工藤さんは40歳を過ぎて末期の子宮がんになり、その病は治ったのですが、今度は末期の肺がんと肝臓がんになってしまいました。そのレントゲンを見た瞬間に主治医は「今、あなたが生きているのが不思議でしょうがない。この瞬間、倒れて亡くなっても不思議ではない」と言ったそうです。

その工藤さんは、それから十数年経っても元気に暮らしていらっしゃいます。手術も何もしていないのですが、がんが消えたのです。どうやって克服したかというと「ありがとう」と言い続けたのです。自分の体の細胞の隅々にまで「ありがとう」と言い続けたのです。そしてがん細胞にも言い続け、そのうちにすべての縁ある人、物事に「ありがとう」と言い続けられるようになったのです。すると知らないうちにすべてのがんが、骨転移していたものまでが消えていたのです。その体験を『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』という本にして出されました。

この本が出版されると、工藤さんが経営する熊本のカレー屋さんに、がんで同じように苦しむ人が「一度話を聞きたい。体験を聞きたい。会いたい」と訪ねてくるようになりました。そして、末期がんの人も工藤さんに会うと、多くの人が治ってしまうというのです。その話が2冊目の本『「ありがとう」百万回の奇跡』に書かれています。

「この本を書いてくださった工藤房美さんにどうしてもお礼が言いたくて来ました」

その人は涙で声が震えていたそうです。

「私は『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』を8回読みました。何度も声に出して読みました。毎回違った気づきをもらいました。8回読んで8個の気づきをいただいたのです。80年間生きてきて、これほど感動して泣いたことはありません。人生で初めてのことです。8回目を読んで8個目の気づきをいただいたとき、涙が止まらなくなりました。泣いて、泣いて、涙が枯れるのではないかというくらいに泣きました。よくこれほど涙が出るものだというくらい泣いたのです。次の週に病院に検査に行きました。実は私は末期がんを患っていたのですが、そのがんが、なんとすべて消えていました。私にも奇跡が起きました。私は自分の人生をもう一度生きるチャンスをいただきました。本当にありがとうございました」

名古屋から工藤さんに会いに行かれた方もいます。工藤さんに会って元気になったのですが、その二カ月後に「おしっこが出なくなった」という連絡がありました。そこで工藤さんは「“ありがとう”と同時に“大丈夫”を一日千回言ってください」と言われました。それから二カ月くらいして、また電話がありました。

「おしっこが自力で出るようになりました。ありがたいです。トイレに行くたびに“本当にありがたいなぁ”と思うのです。トイレに対する感謝の気持ちが湧いて、おしっこをするたびにトイレを掃除するようになりました」

そのトイレは自宅のトイレではなく、病院のトイレです。

「トイレの掃除をしながら、このトイレでおしっこをする人に対して“皆さんもおしっこが出て良かったですね”という思いになりました。トイレに感謝をするとともに、病院で同じようにおしっこをしている人に対して“良かったですね”と祝福するような気持ちになりました。ほとんど寝たきりだった私なのに毎日毎日病院のトイレ掃除をしていたら気分が良くなって、掃除を始(はじ)めてから一カ月くらい後に検査をしてもらったらがんが全部消えていたのです」

工藤さんの本にはこのような話がたくさん載っています。

工藤さんは言われます。「明日はないかもしれないと思い、今生かされていることに心から感謝する。感謝を感じている時、最高に幸せでした。するとまた“ありがとう”と出てきます。感謝の気持ちはそうやってどんどん膨らんでいきました。感謝が感謝を呼ぶのです」

「十二年間唱えてきた百万回を超える“ありがとう”は、私がたくさん着込んでいた上着(お金、学歴のような外的幸せ)を一枚一枚脱がせてくれたと思います。これが自分だと思っていたものすべてをそぎ落した時、最後に残った私の本質の部分、それは光でした。その光のことを魂と言うのかもしれません。その光はサムシング・グレート(神仏のような存在)が創造した宇宙の一部分です。私の“ありがとう”は私自身の本質への感謝でした。私の本質、つまり宇宙に対する感謝でした。私はいつの間にか、宇宙とつながっていました」

この後、工藤さんは、とても不思議な体験をたくさんしておられます。

「おーい、久しぶり。会いたかったよ」と会ったこともない人から言われることが多くなったそうです。この会ったこともない相手のほとんどが、障がい者の方だそうです。

ビュッフェスタイルのレストランで工藤さんが、三十代後半ぐらいの障がいを持つ男性と交わした会話です。

本当に久しぶりね。私も会いたかったわよ。元気だった?」

「うれしいな。本当にうれしいな。久しぶりに会ったからたくさん話がしたいよ」

「せっかく私のレストランに来たのだから、まず料理を食べてね」

「どれもおいしくなさそうだ」

「あらそう、どうして?」

「あのね、世の中で一番おいしいごはんは、お母さんが作ってくれたご飯なんだよ」

 それを聞きながら七十代くらいのお父さんらしき人が、人目もはばからずオイオイ泣き始めたそうです。そして、工藤さんに対して「一体あなたは何者なんですか?」と言いました。

「息子は昔からあなたを知っているようにうれしそうに話しかけていましたが、私は驚きました。目の前で起こっていることが信じられないのです。息子が誰かと会話するのを初めて見ました。息子は重度の自閉症で、会話ができないのです。私や家内とも話したことはありません」

その時、お母さんは付き添っていなかったのですが、「『お母さんの料理が一番おいしい』という言葉をぜひ伝えたい」とお父さんは言われたそうです。

さらにお父さんは「今まで、この子は普通じゃないと思っていました。障がいがあるのでかわいそうだと思っていたのです。私たちの言葉を理解することもできないし、まるで違う世界に生きているようだと思っていました。でもそれは私の思い違いですね。この子は普通の人と何ら変わらないんですね」と言われたそうです。

またある日、工藤さんが電車に乗っていると、目の前に臨月に近い妊婦さんが座っていました。

その妊婦さんのお腹の中の子どもに「あなたは七十兆分の一の奇跡的な確率で、もうすぐこの地球に生まれてくるんだね。おめでとう。あなたはここでどんな体験をしたいのかな。どうかこのお母さんと思い切り人生を楽しんでくださいね」と思い、メッセージを送ったそうです。するとふと、男の子の顔が浮かび、その子が話しかけてきたと言います。

「あのね。今から僕は生まれてくるんだけど、お母さんに伝えてください。僕は障がいを抱えて生まれます。だから、大好きなお母さんは僕と一生会話をすることはできません。僕は僕の気持ちをお母さんに伝えることはできないのです。だからお母さんに今、伝えてください。“大好きなお母さん。僕はお母さんをとてもとても愛してるよ”って」

「伝えてください」と言われてもいきなりそんなことは言えないものです。でも、〝こんな重大なメッセージを託されたので、どうにかしないと”と思い、工藤さんは「お腹が重たそうですね。予定日はいつですか」と声をかけました。するとそのお母さんは「もうすぐ生まれてくるんですよ。実はこの子、障がいをもって生まれてくるんです。検査をしてお医者さんから言われたのです」と言ったのです。

お母さんがお腹の子に障がいがあることを知っていることがわかり、工藤さんは思い切って伝えることにしました。

「あなたが信じるか信じないかはわかりませんが、実は先ほどあなたの息子さんが私に “自分は障がいをもって生まれてくるのだ”と話してくれました。そして“お母さんにメッセージを伝えてほしい”と言っています。そのメッセージをお伝えしてもよろしいですか」

妊婦さんは身を乗り出して言いました。

「お願いします。教えてください。しかし、なぜ男の子だとわかったのですか。確かに産婦人科の先生は男の子だと言われましたが…」

「男の子の顔が浮かんできたのです。…あなたの赤ちゃんは私にこう言いました」

『僕はもうすぐ生まれるのだけれど、障がい児として生まれます。お母さんは僕と一生会話をすることはできないでしょう。だからお母さんに伝えてください。大好きなお母さん、僕はお母さんをとてもとても愛しているよ』

その妊婦さんは電車の中で顔を覆って泣きくずれたそうです。そして別れ際に「障がい者としてこの子を育てる中で、辛いこともたくさんあることでしょうが、この子からの今の言葉だけで私は一生幸せに生きていけます」と言われたそうです。

 工藤さんは“ありがとう”という言葉の力で特別な存在になられました。私たちにはお題目もあります。本当にありがたいことです。