怒りほど恐ろしいものはありません。堪忍をしましょう。

掲載日:2016年12月1日(木)

常日頃から堪忍の大切さを聞いている私たちですが、凡夫の悲しさか、ついつい愚痴を言ったり怒ったりしてしまいます。また、世の中には本当に腹の立つような出来事もあります。ですから、“我慢ばかりしていると体に悪い。たまには怒って発散した方が良い”という人もいますが、それは間違いです。

チベット仏教の指導者・ダライ・ラマ法王は「怒って良いことは何もない」と言われています。アメリカのお医者さんとの対談で言われたことですが、そのお医者さんが「もし人が怒らなくなったら心臓病や、脳の血管の病気はかなり減るだろう」と言われています。つまり人は、怒ることによって血管がつまったり切れたりすることが多いということです。またそのお医者さんは「怒りを発散させるように外に出し、爆発させることが体にはもっとも悪い」と言われています。

私もそう思います。怒りや愚痴は一度口に出すと止まらなくなります。やはり“ならぬ堪忍するが堪忍”が肝心です。

信念

渡邊秋男さんという昔の信者さんの体験談が、三徳開教百年史の別巻に載っています。

渡邊さんがある人に、人生には三徳が必要なこと、堪忍の大切なことを伝えたところ、その人は色をなして「それは確かに君の言う通り正しいことに違いない。しかしだ、君はまだ若いからそんなことを言うのだ。世間というものはそんなものではない。『あんなひどいことを言われれば怒るのはあたりまえだ』等と、むしろ怒らないことを馬鹿にする場合がある。又、あまりに正直一途の人間を、『あいつは馬鹿正直だ』等と嘲笑する場合もある。慈悲とか至誠とかいうものは結局は、世間を渡り歩く表道具に過ぎない。君だって時には怒りたいこともあるだろうし、怒ることもあるではないか。どんな人間だって口に唱えている程立派な奴はおらん」と言われたそうです。

それを聞いて渡邊さんは、「或いはそうかもしれんと思ったが、仮に世間一般が不誠意であり、不正直であるからといって、自分も不誠意・不正直であっても良いという理由が成り立つだろうか。むしろ私は、最後の一人になるも正しいと信じる道を行かなくてはならぬものだと確信した」と言われています。

私たちも渡邊さんのような気概を持たねばならぬと思います。誰が何と言おうと三徳、殊に堪忍なのです。

舎利弗の過ち

仏遺教経というお経があります。その中に、堪忍の大切さと怒ることの恐ろしさが説かれています。

「若し恚心を縦にすれば、則ち自ら道を妨げ、功徳の利を失す。忍の徳為ること、持戒苦行も及ぶ能わざる所なり。能く忍を行ずる者は、乃ち名づけて有力の大人と為す可し。若し其れ悪罵の毒を歓喜し忍受して、甘露を飲むが如くすること能わざる者は、入道智慧の人と名づけず。所以は何んとなれば、瞋恚の害は則ち諸の善法を破り、好名聞を壊る。今世後世、人見んこと憙わず。当に知るべし、瞋心は猛火よりも甚だし。常に当に防護して入ること得しむること無かるべし。功徳を劫むる賊は瞋恚に過ぎたるは無し」

“もし、心に怒りがみだりに生ずるようなことがあると、仏道を修行する妨げになるばかりか、今までの修行で積み重ねてきた功徳もいっぺんに失ってしまう。それであるから、どのような場合にも忍辱を貫くという徳は、持戒や苦行も及ばないほど貴いのである。守り難い忍辱を守ることのできる者こそ、本当に力のある立派な人間といってよろしい。もしどのように悪口を言われ、口汚くののしられようとも、その毒舌を、自己を鍛える絶好のたまものであると考えて、甘露を飲むような思いで喜んで受けとめるようでなければならぬ。そこまで修行ができていない者は、仏道に入って智慧を磨くべき出家者とは名づけられない。なぜかと言えば、一度怒りを発すると、今まで修めてきたいろいろな功徳をすべて空しく破り去り、これまで尊敬していた人も尊敬しなくなって、悪名が知れわたり、二度と再び喜んで会おうと思う人はいなくなるであろう。それであるから、怒りは猛火が世間を焼き尽くすよりも恐ろしいと知るべきであって、怒りの生じるすきのないように常に心を防護する必要がある。このように、あらゆる功徳を奪い去る賊は怒りに過ぎるものはない”

釈尊の十大弟子の一人・舎利弗が過去世において菩薩としての修行をしていた時に、怒りを発したために長い間の修行の功徳をなくしてしまったという話が『大智度論』にあります。

舎利弗が一生懸命に布施の修行をしていた時のことです。乞眼婆羅門がやってきて、「お前の肉眼を布施してくれ」と言いました。舎利弗はそれに対して「私の肉眼をお前にやっても、何の役にも立つまい。なぜそんなものを求めるのか私にはわからない。もし、その他のものならば、お金でも品物でも何でも布施しよう」と答えましたが、乞眼婆羅門は「金品は何も要らない。ただ、お前の肉眼が欲しいのだ。お前が本当に布施を実行しているのならば、肉眼であっても布施すべきではないか」と言って聞き入れません。

そこで舎利弗は、一眼をえぐり出してその婆羅門に与えました。すると婆羅門は喜ぶと思いきや、血だらけの眼を鼻に当ててその臭いをかぎ、「こんな臭いものは要らん」と言って地面にたたきつけ、足で踏みつぶしてしまいました。

さすがに修行を積んだはずの舎利弗もここでカッと怒りを発してしまったのです。その途端に、六十劫という気が遠くなる程の長い間、修行して積み重ねた功徳がいっぺんに消し飛んでしまって、菩薩から小乗という低い位に落ちてしまいました。

これはもちろん一つの寓話ですが、それほど堪忍の修行はむずかしいということです。

怒り

日蓮聖人の御遺文「崇峻天皇御書」に、

「日本始まりて国王二人、人に殺され給う。其の一人は崇峻天皇なり。此の王は欽明天皇の御太子、聖徳太子の伯父なり」とあります。これは、国王(天皇)のような偉い方でも怒ってばかりいたら殺されてしまう、というお話です。

崇峻天皇という方は、天皇でありながら蘇我馬子がすべての実権を握っていたので何も思い通りにならず、絶えずイライラしていました。ある時、甥の聖徳太子を呼んで「私のこれからの運勢を見てくれないか」と言われました。しかし聖徳太子は断ります。その後も断り続けましたがついに断りきれずに卜占し「陛下は人に殺される相があります」と答えました。すると天皇は怒って「何の根拠があってそんなことを言うのだ」と言われました。それに対して太子は「陛下は御眼に赤い筋が通っております。それは人から怨まれる相です」と申し上げました。天皇は「では、どうすればその難を避けることができるのか」と尋ねられます。そこで太子は「仏法に忍辱波羅蜜(堪忍)という教えがあります。これを守っていただければ難を避けることができます」と、仏道による修養を勧めました。それを聞いて天皇は怒った顔で「わかった。怒らないようにしよう」と言われました。

それからしばらく堪忍を守っておられたのですが、天皇になって五年目の冬、東北から猪が献上されました。その猪を見て、何を思われたか天皇自ら刀を抜き、猪の目玉を突き刺し「いつかあの憎い奴を同じようにしてやりたい」と口走ったのです。そのことを聞いた蘇我馬子は自分のことだと思い、“殺される前に殺さなければ”と、天皇を騙して誘い出し、暗殺してしまったのです。

その日のうちに崇峻天皇の遺体は、倉梯丘陵に葬られました。殯宮と呼ばれる葬礼の儀がなかったのは、この崇峻天皇だけだそうです。

日蓮聖人は言われます。

「たとえ王位にいる身であっても、思うことをたやすく言えば、このような目にあうのだ。孔子は、九度思って一度口を開いたという。短気をおさえ、注意深く、粘り強く生き抜き、法華経の修行に励む心掛けを持たねばならない。教主釈尊が世に出られた本懐は人の振る舞いを教えることにあったのである」

日常の中での堪忍、今日一日と思っての堪忍、皆さんお互いに頑張りましょう。