忘れることも仏さまのおはからいです

掲載日:2018年2月1日(木)

どんなに悲しいことやつらいことでも、必ず時間が癒してくれると言います。悲しみや苦しみがいつしか「思い出」に変わっていくということです。だんだんと記憶が薄らいでいって、その角がとれて丸くなって、嫌な部分が消えて、良い思い出だけが残るということです。今回は忘れられることは良いことであるというお話です。

インドの神話に『昼夜の起源の物語』というお話があります。

昔、ヤマという、一番最初の人間とされる人がいました。このヤマは、死者としても初めての人と言われています。ヤマは初めて、天界に行った人です。

その後、ヤマに続いて多くの死者が天界にやってきますが、ヤマは最初に死者の世界に行ったので、天界の王さまになりました。ただ、後から来る人間の中には悪人もいます。悪人は別の所へ送りたいと考えたヤマは、地下に牢獄を作りました。それが地獄です。ですからヤマは別名・閻魔大王とも言われています。

ヤマには、ヤミーという双子の妹がいました。ヤミーは妹ですが、ほかに女性がいなかったので、また男性もヤマ一人でしたので、二人は結婚をしました。ところがヤマが先に死んでしまい、ヤミーはひどく悲しみました。毎日泣き暮らし、「今日ヤマが死んだ。今日ヤマが死んだ」と言って悲嘆にくれていました。それを見ていた神々達が、どうにかしてヤミーにヤマのことを忘れさせようと考え、慈悲心から「夜」を創りました。それまでは昼しかなかったのです。

夜ができたので翌日ができ、ヤミーの言葉が変わりました。「今日ヤマが死んだ」が「昨日」になり、「一昨日」になり、「一週間前」、「一月前」、「一年前」となり、ヤミーの中で次第にヤマを失った悲しみが薄れていきました。そして思い出に変わっていったというお話です。

私達が“忘れる。忘れられる”ということは、諸仏善神のおはからいであるのかもしれません。

お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんという方がおられます。この方のエッセイがどれもとてもおもしろいのです。その中に『健忘のススメ』というエッセイがあります。

外山さんは言われます。「私は記憶力の良い人を神さまのように思うことがある。私はその全く逆で、本当に記憶力が悪く、劣等感をいだいてきた」

外山さんはずっと学校の先生をされていましたが、現役時代、学生の名前が、なかなか覚えられなくて困ったそうです。ある日、学校の近くを歩いていると通りの向こうから白い杖をついた目の不自由な青年がこちらに近づいて来て、通り過ぎようとした時、「外山先生」と挨拶をしてきました。外山さんは飛び上がるほど驚いたそうです。「どうしてわかるんだ」と青年に聞くと「先生、私は一年間先生の授業を受けました。先生の歩き方を覚えています」と微笑みながら言ったそうです。外山さんは青年の記憶力に敬意を覚えたと言います。

当時の外山さんの同僚に、フランス語の先生がいました。その先生は戦前の学校を出られた方で、小学校の五年生から飛び級で中学校に入りました。そこでまた飛び級になり一高に進学しました。そして最優秀で東大に入ったという伝説の秀才だったそうです。

ある時、その先生に突然のお客さんが「はじめまして」と挨拶をしたところ、その先生が「初めてではありませんね。二十数年前に会っていますよ。渋谷の喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、隣の席の人が喧嘩を始めたので、その時に私が仲裁に入りました。その片方があなたでしたね」と言ったというのです。そのお客さんはびっくりして言ったそうです。「たしかに喫茶店で私は喧嘩をして、止められました。あの時の方が先生でしたか」

この話を聞いた外山さんは“こんなに記憶力の良い人がいるのか”とふるえ上がったそうです。

外山さんは記憶力が悪いということが劣等感だったので、今でも記憶力の悪い人に出会うとうれしくなるそうです。また、すぐれた人物でもよく忘れるタイプがいると知って安心もしたそうです。

こんなお話があります。

詩人の西脇順三郎という人がいました。ノーベル文学賞の候補にもなった人です。外山さんは西脇さんとおつきあいがありました。ある日のこと、外山さんが西脇さんの家を訪れると、「今日、詩人の会があるから一緒に行かないか」と誘われました。そこでタクシーに乗り「詩人の会はどちらで行われるのですか」と尋ねると「それがはっきりしないけど…、貧乏な詩人の会だからどうせあの店だろう」と言われ、その店に着くと、店主に「今日はそういう会はありません」と言われます。「じゃあ、あっちの店かな」と二人で次の店に向かうのですが、そこでも「そういう会はありません」と言われ、心当たりを数カ所回ったのですが、やはりありません。そこで「しかたないなぁ。じゃあ自宅に戻って一杯やろうか」となったそうです。

このエッセイの最後で外山さんは、忘れることを肯定して、記憶することは食べることに似ていると言われています。

「食べれば人間は必ず排泄をする。排泄をしなければ、腸閉塞になってしまう。頭も同じで、たくさん詰め込みすぎると一杯になってノイローゼになったりする。だから忘れることは良いことだ。

よく眠ったあとの朝の目覚めは、一日のうちでもっとも清々しく、気力にみち、ものごとがよくわかる状態である。グッド・モーニングである。夜中に、忘却がすすんで、頭脳がきれいになっている証拠である。

われわれは、忘却によって頭が良くなっている。忘れるのを恐れるのは誤りである。そういえば、かつては、よく忘れるのを健忘と言い、健忘症という言い方があった。健という文字はダテではないような気がする」

世の中には忘れなければいけないことがあります。それは「恨み・つらみ・怒り」です。これを抱いていると人間は幸せになれません。

心理カウンセラーの衛藤信之さんという方がいます。衛藤さんの所には、心の悩みを抱えた人がいっぱいやって来られます。ある女性が「男性にふられた。彼のことが憎い」と言ってやってきました。話を聞いてみると、ふられたのは五年前でした。なのに「今も憎くて仕方がない」というのです。「あの日以来、腹が立って腹が立って毎日その男性に電話をかけて『あなたなんて大嫌い。怨んでやる』と言っている」とのことでした。それを聞いた衛藤さんは「とにかく、その男性のことは忘れましょう。電話をするのをやめましょう」というアドバイスをしました。

衛藤さんは言われます。

「彼女は気づいていませんが、その憎しみを通して彼女自身がずっと傷ついてきました。だから〝忘れる〟ということが大事なのです。

出来事が人を苦しめるわけではないのです。大事なのは受け取り方なのです。受け取り方を変えない自分によって、自分自身が傷つけられてしまうのです」

以前、渡部昇一先生のお話を紹介しました。先生の教え子が女性にふられて、この世の終わりのような顔をしてやってくると先生は必ず「よかったなあ。もっと良い人に会えるという吉兆だよ。お祝いに一杯飲みに行こう」と言ってつれ出したそうです。渡部先生の言葉によって、“これはもっと良い相手にめぐり会える吉兆なのだ”と暗示にかかったように、失恋した相手のことを忘れ、その後の勉強にも集中でき、新たな出会いを楽しみにできたのです。そして、決まって「先生の言われる通りでした」と次の相手をつれて来たそうです。

アフリカ・ルワンダのイマキュレー・イリバギザさんが書かれた『生かされて。』という本があります。1994年にルワンダという国でおこった大虐殺のことが書かれています。

ルワンダにはツチ族とフツ族という二つの部族がありました。少数のツチ族が支配階級で、大多数のフツ族が支配されていましたが、ある日、突然フツ族が支配階級のツチ族に蜂起して、百日間で百万人のツチ族が殺されました。「一日一万人」です。これが、爆弾を落としたり機関銃を使ったりしたのではなく、大鉈やナイフで殺したというのです。

イマキュレーさんは小さなトイレに身を隠して奇跡的に生き抜いたのです。しかし、家族はほとんど殺されました。それなのに、イマキュレーさんが自分の家族を殺した犯人と肩を組んでいる写真があります。

「私は彼に『あなたを赦します』と言いました。赦ししか、彼に与えるものがないのです」と言われています。よくそんなことができるなと思われる方がいるでしょう。イマキュレーさんは言われます。

「赦さないとルワンダは先に進めないのです。このまま恨みを持ち続ければ、今度は逆のことが起こるかもしれません。だから恨みを捨てて、赦すことがすべてなのです」

イマキュレーさんは自分の体験を伝えようと、世界中を講演して回られています。アメリカのアトランタで講演した時、一人の女性が講演の後でイマキュレーさんのところに来ました。この女性は幼い時に、ユダヤ人の両親がナチスのホロコーストで殺されたため、ヒトラーやドイツ人にものすごい恨みを持っていました。

「私の一生は怒りでいっぱいでした。何年も何年も、両親がいないために苦しみ、泣きました。でもあなたの話を聞き、どんな経験をしたのか、どのように赦すことができたのかを聞いて目が覚めました。ずっと、両親を殺した殺人者達を赦そうとしてきたのですが、今、やっとできるような気がします。そして、怒りを手放し、幸せに生きることが」

同じ講演会で、九十二才の老婦人がイマキュレーさんを抱きしめて、感情を高ぶらせて言いました。

「私は、赦すには遅すぎると考えていました。でも、あなたがしたようなことを誰かが話してくれるのを待っていたのです。決して赦すことのできないことを、赦すことさえできると知る必要がありました。今、私の心はやっとやすらかになりました」

人間にとって忘れられることはありがたいことだと思います。悲しみや苦しみをいつまでも鮮明に覚えていなければならないとしたら、とてもつらいことです。悲しみや苦しみがだんだん和らいで、思い出に変わっていくというのは、やはり諸仏善神のおはからいであろうと思います。そして最後に『法句経』のあの有名な言葉を改めてかみしめたいと思います。

「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」

※『生かされて。』  著 イマキュレー・イリバギザ スティーヴ・アーウィン
           訳  堤 江実
           出版社 PHP文庫